過去拍手御礼novels2

□真っ赤に狂う
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一度だけ、キスをされたことがある。


あれは確か、私たちが初めて盃を交わした夜。

闇と、喧騒と、入り乱れるクルーたちに紛れて。

隣のゾロが、その隣のルフィに気をとられている隙に、不意打ちとも言えるそれはやってきた。

にわかに信じられなくて目を見張った私に、

あっという間に離れた唇で、彼は意地悪く笑ってみせた。

からかわれている。そう思ったけれど、不覚にも声を出せないほどに動揺した。

冒険と航海の日々で、男女のつばぜり合いなどとは疎遠になっていた私にとって、

彼の打った抜け目のない布石は、見事にこの心臓の、つかわれていない部分にメスを入れた。


…………秀逸だった。

夜を思わせる黒髪も、抑えのきいた低い声も、指先の見せ方も、色素の薄いビー玉の瞳も……

その全てがあまりにも卓抜としていて、畏怖さえ覚えた。

怖かった。まるで楽器を爪弾くように、容易く絡めとられてしまいそうで。

気づいたときには何もかも奪われて、脱け殻にされてしまいそうで。

だから、何か言葉を発しようと開いた彼の口から、隠れていた牙がついと見えた瞬間、

得体の知れない本性から逃れるように、無我夢中でその場を離れた。

もう二度と、あの空気にのまれたりはしない。

時折この船に姿を見せる彼の存在に気を張って、ふたりきりにならないよう注意をはらった。


…………なのに。





「…………怪我なら診てやる。そこに座れ」


見下すような角度で示された医務室のベッドを視界に入れ、私は入り口の扉にしがみついたまま唖然とした。


「あの、……チョッパーは…?」

「あ?……あァ、あいつなら薬草を天日干しすると甲板に出たが」

「そう……すれ違ったのね…」

「突っ立ってねェで早く座れ。薬くらい塗ってやる。それとも風邪の類いか?」


閉じた医学書を棚に戻すため男が立ち上がっとき、無意識に一歩足を引いていた。

ふたりきりにならないことなんてあちこちにクルーがいるこの船では簡単なはずなのに、悪戯好きの神様がいたものだ。

なんにせよこの男に治療を受けるなんて御免蒙る。

さりとて予想外に誠実というべきかまともな対応に、

こちらもあの夜の名残を見せないよう、わざとらしく入っていた肩の力を抜いてみた。

互いにそれなりに飲んでたし、なかったことにしてあげる。…そんな感じで。


「外科医様の手を煩わせるほどのものじゃないわ。悪かったわね、読書の邪魔して」


立ち尽くしていた足を動かして、半開きの扉から踵を返す。

一刻も早く、この男から離れなければ。

その牙にかかって、丸飲みにされてしまう前に。

しかしダイニングに踏み出した足は、後ろから覆い被さるように拘束された身体に引っ張られ、それ以上は進まなかった。


「診てやると言ってんだろうが……」

「っ、なにすんのっ!?」

「遠慮するな。おれは医者だ……治してやるよ……」

「やっ、……サンジく、……」


助けを求めてドアノブにかけた手の上から、褐色の手が重なった。

私の手ごとドアをぐっと内に引くと、その手の甲に塗られた刺繍にも、筋が浮かんだ。

見いっていたわけではないけれど、思わずそちらに意識を奪われていたら、ガチャリと目の前で逃げ道が塞がれた。


「通ってきたんなら、知ってるだろう?今そっちの部屋には誰も居やしねェよ」

「……な、なんの真似よ……放して……」

「治療してやると言ってんだ。親切は受けておくもんだぜ?」

「だから、必要ないって……!」

「心配するな。すぐに楽にしてやるよ……」


耳の横で不敵に笑う気配を感じ、身体中の血が沸騰する。

あの夜頭の中で灯ったただならぬ色の危険信号は、思い違いなどではなかった。

ドアノブを握る私の手を、それとは見えない丁寧な仕草で強引に引き剥がした男は、

そのままずるずると部屋の中央に私を引きずって、ベッドに乗せようとする。


「ちょっ、…とッ!放しなさいよ!」

「ほら、どこだ…?見せてみろ」

「やめてったら!叫ぶわよ!?」


私の虚勢に、男の腕に力が入った。

なんの攻防にもならないほど簡単にベッドに縫い付けられて、

今までの私の抵抗など、戯れにすぎなかったのだと思い知る。


「あァ、いいぜ?絶叫するほど感じさせてやろうか……?」


「っ、 」


口元に笑みを貼りつけたままギロリと上から見下ろされると、脊髄のあたりに戦慄が駆け抜けた。

もしかしてこの男、単なる性行為や性的悪戯が目的ではないのかもしれない。

直感的にそう思った。

私を見つめる深海の瞳には、もっと奇抜な興味が伴っているような気がした。

色で言うと、赤。いずれにしても、そこはかとなく危険だ。

今にも人をとって喰わんばかりの狂気めいた空気が、その大きな身体にも収まりきれず、だだ漏れしている。


「…こんな場所、どこで傷つけた?」


「……っ、い、いいからっ、放して…」


もう血が固まってやがると呟いた男が、蜜柑の木の枝で切った太ももの外側の切り傷をツーっとなぞる。

この男が見つけるまで、怪我をしていたことなんて忘れていた。

阻止しようとする手を歯牙にもかけず、傷に沿ってためらいもなくスカートを巻き上げる暴挙に、

恥じらいよりも先に、信じられないという気持ちが私の表情に表れた。

そんな間の抜けた私の顔と、露になっている黒の下着をその目に映し、男はニヤリと口元に弧を張った。


「……あんたのこの格好、そそるぜ…?」


「…っ!……やッ、」


せり上がった羞恥に耐えきれず叫びを上げようとした口は、

再びつかれた意表に喉の奥で行き場を無くした。

なんの前触れもなく、できたてのその傷に男の歯が突き刺さった。

普段の理知的な雰囲気とはかけ離れた、一心不乱に肉に噛みつく野生のような姿に、

痛みよりも遥かに強い衝撃が、私を攻めた。


「はァッ、……逃げんな……足りねェよ」


「っ、やめッ……な、なにしてっ、」


傷口を歯と唇で食みながら舌をつかって丹念に舐めつけ、息を吐く。

それを何度か繰り返すと、男はジンジンと痺れだしたそこをきつく吸い上げてきた。

そんなに多量を抜き取られているわけでもないのに、

まるで身体中の血を一滴残らず搾り取られたような、激しい目眩に襲われた。


「痛ェのが好きか?……ココも感じてるみてェだなァ」


「……やっ、なにすんの!?やめてッ…!」


足を抱えこんで身動きを封じた男が、私に向けた指の腹で下着の中心を撫で付ける。

膜を張るように存在する液体を下着の上から慣らす指先に、

男の有らぬ行動が、身体の中の敏感な部分を反応させていたのだと知る。

……これが怖い。この、知らないうちになにもかもを操る器用さが。


「これならもう挿るなァ……」

「…!?なに、言って…や、やめ、」

「嫌なら泣いて抵抗でもしてみろ。そうしてもっとおれを煽ればいい」


その言葉と同時に男は片手で自分のベルトを外しにかかった。

カチカチと鳴る金属音が、私の衝撃をさらに助長させる。

容赦のない発言も、痛みや血を伴う攻撃性も、加虐を楽しむただの性癖とは違う。

決定的に、どこかズレている。


「や、やだ……なんであんたがっ、こんなこと、」


ズボンを緩めながら身体を倒してきた男に震える唇で呟くと、

獣のような吐息の後の、穏やかな声色が返ってきた。


「……あのときの、あんたの反応……」


「……あ、……あのとき……?」


思案のために眉を寄せた瞬間、

あのときと同じ生暖かさと消毒液のようなアルコールの匂いが口内を満たした。

唐突なそれに驚いて顔を背けると、男は平然と話の続きを口にした。


「あァ……丁度今みてェな……おれに怯える表情がたまらねェ」


「………………」


「強気なあんたも、おれが縛って無理矢理犯したら泣くだろう?…それを想像するだけで、おまえを求めて身体が渇く」


「………………」


「たとえ泣いて許してくれと言われても、やめるつもりはねェがなァ……むしろそっちの方が欲情する」


「………………」


「……あァそれから、知ってたか……?」


「………………」


なんの迷いもなくつらつらと語られる宣告。

あっという間に渇いた私の唇を、死を刻んだその指先で、

男はすーっと一撫でし、囁いた。


「恐怖と好奇心は……紙一重だってなァ」


「……っ、」


怖かった。まるで楽器を爪弾くように、こんなふうに容易く絡めとられてしまうから。

気づいたときには何もかも奪われて、脱け殻にされてしまうから。


…………だけど、


恐れをなすほど秀逸に全てを支配する彼の中には、どんなに私を昂らせてくれる魔物が巣食っているのか……


……………見て、みたい。



「………くくっ、いいぜ……食いちぎれよ……」


「っ、……んっ、」


唇に置かれていた親指に、渾身の力で歯を立てた。

しかし男は引き抜くどころか更に痛みを求めるように、奥へ奥へと押し込もうとする。

加えて私が顎に力を入れる度、感極まったように吐息を漏らし、

剥き出しの下半身のモノを硬くして押し付ける。

指の爪の付け根から、じわり、血がわいた。


「はっ、……たまんねェ……もっときもちよくさせてくれ」


「……っ、」


「ほら、どうした、……もっと犬歯を食い込ませろ。痛みがねェと、おれはもう感じねェんだよ」


「…………あ、っ、」


「心配するな……食いちぎっても、ちゃァんと目の前で、繋げてやるよ……」


「……っ、や、」


二度、三度の甘噛みを残して意気消沈ぎみに歯を開いた私を見て、

男は愉しそうに喉を鳴らす。

指先から滲む血を指の腹に馴染ませると、それを私の首筋に塗った。



「ナミ」



まるで愛を囁くように私の名を呼ぶと、自分の血が辿った首筋に、男は容赦なく噛みついた。



「……っ!やぁぁっ!痛ぁ、ッ!!」


同時に服をむしりとって身体中を這う手のひらに、

動けば首の肉を持っていかれてしまいそうで、もはや息を吸うのがやっとだった。

男は鼻に抜ける声を数度、信じられないほど色っぽく吐き出すと、

苦しむ私の中心に、自身を押し当てて囁いた。



「気を楽にしろ。その痛みも、直に快楽に変わる……」


「…………狂って、る……っ、」


「くくっ、……あんたも一緒に、狂うんだよ……」


「や、ッ…………」



男の親指が、頬、唇、鎖骨、胸に赤い跡をつけていく。

その道を辿るように舌を這わせながら、血の匂いで昂ったモノが、ゆっくりと、私の中に侵入する。

愉悦に浸るその顔が恍惚の微笑をつくったとき、何かが身体の芯を揺さぶった。

歪んだその瞳の輝きに頭の先から爪先まで何も残らず吸い取られ、


…………喰い殺される。



「知りてェんだろ……?この先の、快感を……」


「っ、……あ、あぁっ、」


「その身体中、染めてやるよ…………おれの、色に……」



男がペロリと自分の親指を舐めたとき、剥き出しになった白い牙が、血で濡れた。





真っ赤に






痛みさえも、悦びに。






END

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