過去拍手御礼novels2

□独占すること
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人はなにも、いつだって朗らかに生きていられるものではない。


拗ねたり、哀しんだり、落ち込んだり、時には腹を立てたり……


感情という、めまぐるしく移り変わる厄介者を、誰しも腹の底に据えている。


自分でも気づかぬような想いの破片が、何かのきっかけで、突如として凶器に変わることもある。


……恋をすれば、特にそう。


激しい恋はその身を焦がし、いつしか激情の渦に絡めとられて、どうにも抜け出せなくなるものだ。


もう、……どうしようもないほどに。



ーー−



「………勝手に入らないでって言ってるでしょー…」


湿った空気が、扉の閉まる音を部屋に響かせた。

通り雨に見舞われたシャツを入口の洗濯かごに投げ洗い立てのタオルを取り出すと、

ベッドの上に山をつくっている人物が、視線だけをそろりとこちらに向ける。


「………………」

「……ちょっとゾロ、聞いてるの?」

「………………」

「ここのベッドが寝心地いいのはわかったから、部屋に入るなら一言言って」

「………………」

「私たちだけの部屋じゃないのよ?ロビンが気つかっちゃうじゃない」

「……………オイ、」


タオルをキャミソールの肩にかけ、低い声のした方を振り向くと、

硬い髪をシーツにべったり付けたまま真っ直ぐ私を睨むゾロと、目が合った。


「……なによ?」


「これ、…………なんだよ」


部屋の暗さなどものともしないほどの、鋭い瞳孔。

近づけば、あっという間に吸い込まれてしまいそうな、その瞳。


「………………」

「おまえの、ベッドの上にあったぞ……」

「………………」

「……なんだよ、これ…」


ベッドの縁から伸びた手がたらりと頼りなくぶら下げた、それに、

私はいっそ、唇に微笑みを称えて呟いた。


「…………ネクタイ…ね」

「………………」

「それが、……どうかした?」


何か、ガラスが鋭く割れるような殺気を息と共に吐き出して、

ゾロは、かけていた布団を勢いよく跳ね除けた。


「そんなこと聞いてるんじゃねェ」

「あら、だって“これはなにか”って聞かれたら、ネクタイでしょ、どう見たって」

「てめェ……ふざけてんのか…」

「あんたにだけは、ふざけてるなんて言われたくなーい」


ゾロの表情が、たちまちに険しくなる。

それを見せたら、私が動揺するとでも思っていたのだろうか。

なにも、驚くわけがない。

いつ、どこにやってくるのか。

ゾロだって、通り雨だって、私にはいとも容易く予測がつく。

始末し忘れたのではない。あえて、残しておいたのだ。

そう、……見つかるように。


「…………誰んだ」

「………………」

「このネクタイ、誰のだって聞いてんだよ」


ギシリ、ベッドから立ち上がると、ゾロはそれを私に突きつけるように向かってきた。

髪の水気を染み込ませたタオルをするりと肩から抜き取り、

私はいかにも小憎たらしく首を傾げてみせる。


「……さぁ、誰のだったかしら?」


「……っ、ナミ…ッ!!」


唸るように私の名を呼び、素足のまま大股で捻り寄る。

絶対に逃がさない。そんな気迫が、一連の動作の中に垣間見える。


「知らないって言ってるでしょう?着替えたいから放してくれる?」

「しらばっくれんな!!なんでこんなもんがてめェのベッドに落ちてんだ!あァ!?」

「さぁねー。心当たりないけど」

「んなわけねェだろうが!どういうことだ!?説明しろ!!」

「説明しろって言われてもねぇ…」


皮膚を突き刺すような鋭利な視線。

尋常ではないその怒気を、他人事のようにひらりとかわす。

つれない態度に痺れを切らせたのか、ゾロは弄んでいたタオルを私の手から乱暴に奪って投げ捨てた。


「いいからこっち向けッ!!」

「…ちょっと、床に投げないで」

「真面目に答えろっつってんだよ!!」


腕の付け根の骨に、太い親指が食い込んだ。

肩を掴まれ無理矢理に対面させられると、

見上げた先では獲物を威圧するときと同じように、その眼光が赤く光っている。

それがうっとりするほど綺麗で、私はますます口元に弧を張った。


「私だってネクタイをつけることくらいあるわよ」

「……わざわざ、……コックから借りてか……」

「……………」

「……あいつのモノが、どうしておまえのベッドにある……」

「……なーんだ、誰のモノかわかってるんじゃない」

「……っ、」


大きな舌打ちの後、足元に叩きつけられたそれ。

強く握られていたのか、几帳面な持ち主からは想像できないほど、ところどころ皺になっている。

ゾロはまるで憤怒と化した明王のように怖い顔をして、掴んだ私の肩を遠慮なく引きずっていく。

肩ごと外れてしまいそうな鈍い痛みが、たまらなく心地好い。


「ちょ、……痛い…!」

「痛ェだァ…?そんな悠長なことも言ってられなくなるぜ?」

「っ!!」


息が詰まるほど激しくベッドに投げ倒されると、それを追うようにすぐさま重い身体がのし掛かる。

瞼を持ち上げると、闇の中、射るように私を見下ろす獣の眼。


「きちんと筋を通してもらおうか……てめェのやったことだ……」


「……なんの話よ」


「惚けるな。寝たんだろ……あいつと、ここで……」


「そんなの、サンジくんのネクタイがあったからって証拠にはならないわ?」


薄く笑みを浮かべると、それに応えるかのように、ゾロも口元をつり上げた。



「……じゃあ、シーツについた煙草の匂いはどう説明する……?」


「………………」


押し黙った私の手首に、ギリリと深爪が食い込んだ。



「このっ、…………裏切り女が……ッ!!」


力任せに衣服を裂くと、獲物を貪る野獣のようにゾロは私の首筋に歯を立てた。


「痛ッ、……やめてよ!!」

「黙れッ!二度と浮気なんざできねェ身体にしてやる!!」

「だからっ、違うって……!やぁぁっ!」

「はっ、……そんな声で啼いたのかよ、……あいつの前でも……!」


今までに受けたこともないほど強く、私を押さえ込もうと苛立つ両手。

血走った瞳のまま、身体も心も縛ろうとする、感情の嵐。


「やめっ、……ゾロっ、」

「………………誓え」

「…………な、なに、を……」


俯いたままのゾロが、ベッドの脇に立て掛けられていた白い刀を、その鞘からするりと抜いた時、


まずい、……やり過ぎた……

本気で怒らせたなら、こういう手段に出るのもわかっていたのに。


途端にそう青ざめた。


………………けど、



「……今後何があろうと、一瞬たりとも他の男のものにはならねェと………誓え」


「………………」


「それができねェなら……………」


「………………」


「その息の根止めてでも、従わせるまでだ……」



そっと胸の上にあてられた、冷たい鉄の塊。

心臓の動きでさえも皮膚が斬れてしまいそうなほど肌にめり込む、本気の刃。


その瞬間、私は思う。


怒りや憎しみや哀しみさえも、他の人には渡さない。


彼の感情のありったけ、


独り占めするのは、この私。



「…………えぇ、誓うわ……」


「………………」


「……あんただけに、……縛られる……」



人はなにも、いつだって朗らかに生きていられるものではない。

日頃無関心なこの人だって、平然といられないときがある。

自分でも気づかぬような想いの破片が、何かのきっかけで、突如として凶器に変わる。


……恋をすれば、特にそう。


激しい恋をすればするほどに、激情の渦に絡めとられて、どうにも抜け出せなくなるものだ。


もう、……どうしようもないほどに。



「おれから逃げようなんざ、思わねェことだな……」


「………………」


「おまえはこのおれが、あの世の果てまで放さねェ……」



ゾロは刀を床に突き立て、いまだ冷たさの残る心臓の上に噛みついた。


……そうよ、私が求めていたのは、この痛み。


もっと、もっと、この身体に、


消えない痕を、残して頂戴。


我を忘れて乱れるあんたに、私は愛を実感する。


それが何であろうとも、他のものには、夢中にさせない。


彼の思うがままに独占される。


そうすることで、





私が彼を、独占するの。







「ナミさんってさ、」
「なによ?」
「意外と健気だよな」
「意外ってなによ?張り倒すわよ?」
「おれのネクタイと煙草はお役に立ちました?」
「……さぁね。ほら、手が止まってるわよ?仕事しなさい」
「くくっ、……はァーい、プリンセス」





END

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