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□海に向かって舵を切れ
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「いつまでそうしてるつもりだ、破廉恥女」


「破廉恥言うな!!!」



ガレーラカンパニー造船所の片隅、右隣で葉巻を吹かす船大工から顔をそらして、

大袈裟に深いため息をつきながら耳をふさいだ。


……別に、作業の音がうるさいからではない。



「その男はおまえさんのことを心配しとるんじゃ、新しい船のカタログを脇に抱えておるのがその証拠じゃ」


「う、うるせェッてめェカク!そう言うてめェこそさっきからずっとここに居座ってんだろうがァァ!」


「わしは今休憩時間中なんじゃ。パウリー、おまえの休憩時間はもうとっくに過ぎとるぞ」


「ほ、ほっとけ!おれはこの女が男の仕事場で辛気くせェ面してやがるから…!!」


「顔が赤いようじゃな?何をムキになっておる」


左隣の男の四角い鼻は横目で見るとますますウソップにしか見えない。

そう言えばあいつどこ行ったのかしら?

まぁどうせ造船所内を探索でもしてるんだろうけど。

向かいの足場の高いところでちょこちょこと動き回る赤色が目につくのは自分の船の船長だからか、それとも私が今何かにすがりたいからなのか。



「……困ったわ…メリー号がもう……本当に走れないなんて……」


「………………」


「………………」


自分の膝に視線を落とす。

まさかそこまで深刻だったとは。

まさかそこまでメリー号が無理をしていたなんて……。

私に航海士としての腕がもっとあったら、メリー号の傷は浅くて済んだかもしれないのに。



「わしらからしてみれば、船大工もおらん中ようここまで持ちこたえたと思うがのう…」


「……ウソップがつぎはぎ修理してたから」


「……あぁ、あの長っ鼻か」


「……あんたね、自分を棚に上げてよくウソップの鼻のことが言えるわね」


口元だけを服の襟の中に隠したまま「そんなに似ておるかのう」と溢した彼に、お兄さんが「おれはてっきり生き別れの兄弟か親戚かと…」と真面目な顔で呟いた。


呑気よね、ほんとに呑気。

こっちは今重大な問題を抱えてるっていうのに、

他人事だからって簡単に「もう直せん」なんて、そんなのないじゃない。

やっぱり船大工にとっては旅で傷ついた船だって商売の対象でしかないのかしら。



「ねぇ、ウソップのお兄さん……」


「違うわい!!…………なんじゃ?」


「……本当にちゃんと見てくれた?メリー号のこと」


自分が執念深いことなんてわかってる。

査定に嘘がないこともわかってる。

だけど、信じられないじゃない。

信じたくないのよ、

もう二度と、メリー号と一緒に航海できないなんて……


「……残念じゃが、しっかりこの目で見てきたわい」


冷静な声色がやけに耳をふるわせて、私は責めるように彼の服に爪を食い込ませた。


「ほんとにちゃんと見たの!?隅から隅まで!」

「あぁ、外装、船体、内部、全部確認してきた」

「だってメリー号は!今日まで私たちを乗せてちゃんと走ってきたのよ!?」

「さっきも聞いたわい」

「確かに…いろんなとこにぶつけたり、波にのまれたり、砲弾とか、炎とか……いろいろ危ないことはあったけど、……船長に似て丈夫なのよ!あの船は!!」

「……あぁ、型は古いがしっかり造られた船じゃった」

「なんとか補強して、修理すれば走れるはずよ!!だってあの船は、すっごくいい船なの!世界で一番の海賊船なんだから!!」


無意味なことも、なんの解決にもならないこともわかって食い下がる私を、

帽子で影った丸い瞳が真っ直ぐに見据えた。




「船大工でもないおまえさんに、“船の良し悪し”がわかるのか…?」




船の能否や価値なんて、わかるはずない。

この一味に、そんなことを判断できる人間なんて一人もいない。

だけど……



「……“良し悪し”なんて、考えたこともないわ。だってあの船は、私たちを運ぶための道具じゃない……」


「………………」


「一緒に旅をしてきた……“仲間の一人”だもの……」



一瞬大きく見開かれた瞳が柔らかくなったかと思うと、頭にずしっとした手のひらの重みを感じた。



「……残酷なことを言うようじゃが、あの船は……本当にもう直らん……」


「っ、」


後ろからは煙を吐き出す息の後、

「これもおれたちの仕事だ、別におまえらに悪意があって言ってるんじゃねェ」

という声も聞こえて、唇を噛み締めた。


「じゃがのう……わしも今、思うたわい」


「…………」


俯く私の頭をポンポンと撫でた後、覗きこむようにして向かってきた言葉に思わずじわりと目の奥が熱くなった。



「あの船において質も、丈夫さも、広さも、世界一のものなんてひとつもない………じゃが唯一、世界一と言えるところがあるとすれば……」


「………………」


「世界一、船乗りに愛されてきた船なんじゃろう」


「……っ」



ごめんねメリー。

ふがいないクルーで。

そんな謝罪の思いで胸が痛くなった。



「……おいカク、コーヒーでも買ってくるか……」


「……そうじゃな、ところでパウリーおまえ、金なんて持っとるのか?」


「小銭くらいあるってんだ!さっきの借金取りだってうまくまいてきた!」


「……威張って言うことかのう…」



何も言えずに項垂れる私を一人にしようと気をきかせたのか、お兄さんと彼が飲み物を買うのに連れだって行ってしまった。



メリー号の船首の、あの愛らしい瞳を思う。

こんな場所にひとり残していくなんて、どれほど辛いことだろう。

だけどこの先あの傷ついた身体を、私たちは守っていけるのか……

そう考えたら、答えはひとつに決まっていた。

だけどどうしても、それが受け入れられなくて……

人と、船は、違うんだ。

船は自分を再生できる術も、守る術も持ってない。

だから私たちが、しっかり守ってあげなきゃいけなかったのに……




「よォ姉ちゃん、あんたもここの客かァ?」


見上げると、下品な顔をした大男か私を見下ろしていて、

その周りに付き従うような複数の男に囲まれていた。


「…関係ないでしょ、あっち行って」


今、私は最高に機嫌が悪い。

これからの航海のことを考えて、頭も心も痛くしていたところなのだ。

変な輩に目をつけられても、イライラが増すだけだ。


「うっほォ!気の強ェ女だなァ!おまけにべっぴんさんときた!うちのクルーにならねェか?今なら新品の船で航海できるぜ?」


「……新品の船……?興味ないわ」


「おいおいお頭が船と一緒にあんたも買ってやるって言ってんだぜ?ありがたく思いな?」


こいつら海賊ね。どうりで嫌な匂いがすると思ったわ。


「船だけじゃない、あんたの船長さんにも、興味ないって言ってんの」


「な…っ!てめェ調子乗んなよ!女だからって手ェ出さねェと思ったら…!」


「まァいいじゃねェか、こいつはおれの誘いに乗るか、心が揺れてんだよ……もう一度聞く。女、おれの船に、乗るか?」


肩に置かれた手に顔を歪め、キッと睨みつけた。


「遠慮するわ。あんたみたいな船長に着いて行ったって、私の女としての株が下がるだけだもの」


そうか……。ぽつりと呟いた男は、次の瞬間強い力で私の腕を引っ張り上げた。


「じゃあ無理矢理乗せるまでだな!素直に頷いてりゃあ、優しくしてやったのに!残念だったなァ!」


「ちょっと!放しなさいよ!」


「おおっ?どうした?気は強ェのに力は弱ェなァ!」


ずるずると引きずられるようにして敷地外に連れだそうとする男たち。

ルフィはなにしてんのよ、と振り返ると、さっきまで居たはずの場所にはもうその姿はなかった。

……ったく1分もじっとしていられないんだからあいつ!!


「触んないでッ!あんた知らないわよ!?うちの船長にボッコボッコにされるんだから!!」


「船長?だからおれがなってやるっつってんだよ!おまえの船ちょ……ぐはッッ……!!!」


「え……?」


目にも止まらぬスピードで飛んできた缶が男の顔面に直撃して、解放された反動で身体がよろめいた。


「ぎゃぁぁぁッ!お頭ァァァ!!」


「おっと失礼。手が滑ったわい」


倒れそうな身体を支えてくれたその声の主は、悪びれもせず言ってのける。

男の顔面はもちろん、缶の方までもはや原型をとどめていない。


「て……てめェ船大工…!お頭になんてことしてくれんだ!?あァ!?おれたちは客だぞ!」


「その破廉恥な女も大事な客なんですよ、お客さん……こんなところでナンパはいかんでしょう」


だから破廉恥言うなって……

そう思っている間にも、海賊たちはロープで縛りあげられていた。



「造船所なだけあって海賊も多いのね、ここ」


「何を呑気な!てめェがそんなふしだらな格好してるから絡まれるんだろうが!足を隠せ足を!!」


「あーあー、せっかく買ってきたというのに、中身が無くなってしもうたわい」


そう言いつつ元の場所に座り直した彼は私に無事だった飲み物を手渡し、自分もカチッとフルタブを弾いた。


「……あ?いやなんでてめェらふたりだけ飲んでやがる!!」


「何を言うとる。結局金を出したのはわしじゃろうがい」


「ぐ……っ!!」


飲み物の代わりにしぶしぶ葉巻をくわえ直したお兄さんがさっきと同じ場所に座った。

この人たち、仕事はいいのかしら。


「ここの船大工って強いのね……うちの船も探してるんだけど、船大工……」


「……乗らねェぞ、破廉恥な女の誘いになんて。おれはアイスバーグさんに恩があるからな」


「お兄さんは誘ってない。うるさくなるだけだもん」


「んな…ッ!?てんめェ……」


口元をぴくつかせているお兄さんに背を向けて、涼しい佇まいでコーヒーをすする彼を見た。


「あなたが乗ってくれない?うちの船に」


「……わしが?」


瞳を瞬かせる表情はまるで大きな音に驚く草食動物みたいだ。


「えぇ、強いし、うるさくないし、普通の人っぽいし、船大工だし……」


それに、メリー号と私たちのことをわかってくれた……


「……わしを海賊に誘うなんて、物好きがいたもんじゃわい」


「そうかしら?確かにお兄さん、海っていうよりは山って感じだけど…」


山風なんて呼ばれているその身体は、身軽でいて、遠くへ遠くへ吹き抜けていく。

パチリと目が合うと、突然口を開けて笑いだした彼は、立ち上がってコーヒーを飲み干した。


「そうじゃな、わしには自由な海よりも、こっちの方が柄に合うとる…」


「…………」


「今の仕事に……誇りを持っとるんじゃ」


「残念、フラれちゃった」


後ろでなぜか舌打ちをしたお兄さんがカタログを置きっぱなしで「仕事に戻る」と腰を上げる。

風に乗りそうな細い後ろ姿は私を振り返りもせずにぽつりと言った。



「おまえさんたちは、真っ直ぐ進め。……船がどうなっても、仲間がどうなっても、真っ直ぐ海を進むんじゃ」



少しだけ厳しさを含んだような言葉が、それでも寂しそうに聞こえたのは

彼の声が穏やかだったからかもしれない。


「……そうね、それにあんたが仲間になったらウソップと似ててまぎらわしいものね」


「……じゃから、そんなに似ておるかのう?」


「そっくりよ。だからやっぱり船には乗らない方がいいわね」


わざと明るく笑って、私も腰を上げる。

じゃあ、ちょっとルフィのやつ探してくるわと声をかけた背中は、こちらを振り返りはしなかった。






「……おまえさんの誘いに乗ってしもうたら、二度と降りられなくなってしまいそうじゃからのう……」






風にかき消されたその呟きは、彼と反対方向に歩き出した私の耳にはもう、


届かなかった。







海に向かって舵を切れ








山には背を向け振り返らずに、


分かれ道でも迷わずに、


どんな高波にもひるまずに、


自由だけを見据え続けて、


冒険者たちに、良い旅を。







END

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