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□男なんて、星の数
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「わっ!!……ごめん、前見てなかっ……」


「………………」



私が距離を取るよりも早く、

ぎゅうっと正面から抱きしめてきたその人に、目を丸くした。


「え、エース……?」

「おはよう、ナミ」


ちゅっ。


突然降ってきた柔らかくてあたたかいその感触に、さらに目を丸くした。


「…………いま、なにしたの……」


「ん?キスだけど」


んな……っ!!!


見上げた先でにこりと微笑んだエースの身体を思い切り押し退け、

口元をわななかせながらふらつく足で床を踏みしめた。


今朝はなんと目の冴える朝だろう。



「な、キ、……なっ、なんでっ!!!」

「なにを動揺してんだ」


するわッ!!!

いきなりキスされたら、誰でも動揺するわッ!!!


「な、なんで急にキスなんてするの!!?」


狼狽えすぎたせいか腕を胸の前で構えて、なぜかファイティングポーズをつくった私に、

エースはぴょんと跳ねた寝癖のあたりをがしがしとかきながら、緊張感のない声を出した。


「なんでって……挨拶みてェなもんじゃねェか」


挨拶でキスなんてするかァァ!!

どんだけオープンな国の生まれだ!!


「……あ、あり得ない……いきなり抱きしめたり……キス、したり……」


どうせならもっとこう、

雰囲気のあるところで、雰囲気のあるキスやハグをしたいに決まってる。

なにも、朝食前の食堂に向かう通路なんていう色気のない場所で、

しかもぶつかった拍子に、挨拶のついでにしなくても……

憧れの人とのキスが、こんな形のものになるなんて……


戸惑う私をよそに、エースは人のいい笑みを浮かべ、鼻唄でも歌うように上機嫌に言った。


「目の前に女がいたら抱きしめる、見つめ合ったらキスをする、身体が反応したらヤる……男なんてみんなそんなもんだろ?」


「………………」



こてっと屈託なく首を傾げるかわいい仕草に、目眩を覚えた。


「………………」

「………………」

「……あ、悪ィ、舌も入れた方がよかったか?」


なおも私の肩に手をかけてきたエースをキッと睨んで、拳を握る。


「いつまでも…………寝ぼけたこと言ってんじゃないわよッッ!!!」


「ぐはッ……!!!」


ゴチンッという音を最後に床にうずくまったエースを置いて、

私は肩を怒らせながら食堂に向かったのだった。





ーー−−




「私、エースみたいな男とは絶っっっっ対!!付き合わないわ!!!」


「ははっ、そうかいそうかい、そりゃいい心がけだよい」


昼になってもいっこうに腹の虫がおさまらなかったので、

珍しく手透きだったマルコを捕まえて、船の縁に座ったまま今朝の出来事を愚痴る。


「エースがあんなに女ったらしだとは思わなかったわー」

「本人に自覚はねェんだよい。あの歳であれだけ女に寄ってこられちゃ見境なんてなくなるし、調子にだって乗っちまう」


私の隣で立ったまま船縁にもたれているマルコをじとりと見下ろす。


「……それって若いときの自分の体験談でしょ?」


「……だとしたら、エースもそのうちおれみてェに、ひとりの女に本気になるときがくるよい」


今でも十分女にまとわりつかれているマルコは、

確かにエースと違って誰それ構わずというわけではなさそうだ。

その優しい瞳の中に、いったい誰を想っているのだろうか。


「……あーあ、男なんて嫌いよ……バカで単純で、スケベでさあ……」


「そうだねい。男がそんなんだから、女がいてやらねェとだめなんだよい」


「……どういう意味ー?」


横顔を盗み見ながら、足でバタバタと宙を蹴ると

身体を反転させて海の方を向いたマルコは、穏やかに笑った。


「女が男を、変えていくもんなんだよい……いくつになってもな……」


「…………ふーん」


いつでも凛として、思慮深いその横顔がかっこよく思えて

気のない返事をしつつ、私の胸は少しだけドキドキと高鳴った。



「エース隊長っ!」


怒りの火種であるその男の名前がかわいらしい女の声で呼ばれ、私とマルコは思わずそちらを振り向いた。


船内から出てきたエースにひとりのナースが、隊長、隊長、と愛嬌を振り撒きながらその腰にしがみつく。

午後は隊務ないんですか?とか、次の島は私と出掛けてくださいよ、とか

わかりやすいアピールをへらりと受け流しつつ、エースもその子の腰に手を回す。



「……ああいう女がいるから、エースが調子に乗るんだよい」

「エースが相手にするから、ああいう女が後を絶たないんじゃない?」

「………………」

「………………」


「……どっちもだねい」と笑ったマルコに、私も思わず吹き出した。

向こうで見つめ合ったふたりを視界に入れないように隣のマルコへ顔を向けると、

マルコも私を見つめ返してくれた。



「……エースは、女とは、見つめ合ったらキスするものだって言ったのよ?信じられる?」

「そうかい……じゃあおれは、“好きな”女とは、見つめ合ったらキスするものだとでも言っておくよい……」


そっと腰に手が置かれ、引き寄せられる。

じっと見上げたまま顔の角度と表情を変えたマルコに、心臓がトクンと跳ねた。

無理に引き込まず、いつでも払いのけられる強さで、

まるで私に委ねるように優しく導く手のひらが、余計に胸を熱くする。


マルコって、女を落とすときこんなに色っぽい顔をするんだと、ぼんやり思った。





「んなとこでイチャつくなよ」


突然手首を強く掴んで私たちの意識を引き剥がしたその男に、必然的に私とマルコの声が重なった。


「それをあんたが言うの?」
「それをおめェが言うのかい?」


言われた当人はどこ吹く風で、おさまりつつあった私の火種に酸素を送り込むように

「ナミってもしかして、若ェ男に興味ねェのか?」

とか聞いてきたものだから、見事うまい具合に発火してしまった。


「……女が誰でもあんたみたいな男に引っ掛かると思ったら大間違いよ」

「別に引っ掛けようとはしてねェ。勝手に寄りついてくるだけで」

「……ああ、そう、よかったわね!だけど残念、私が興味ないのは若い男じゃないわ。あんたみたいな、節操のない男!おわかり?」


思い通りにならない女がいるなんて、思いもよらなかったでしょ?

少しは女に手こずりなさい。

ここにいるのよ、“節操のないあんた”には靡かない、女が。


つんとすました顔で勝ち誇ったように顎を上げた私に、エースは僅か目を見開き、口にした。



「おまえそれ…………妬きもちか……?」



二、三度瞬きして、心の中で首を捻る。


やきもちじゃないわよ、やきもちじゃ、

これはあれよ、

ほらほらあれよ、俗にいう……



…………むしろそれ以外に何があるのか。


そう気づいた途端、一気に身体が熱くなって、口からは悲鳴が出そうになった

…けれど平然な顔をしてエースを睨み返す。


「……自惚れもたいがいにしなさいよね」


「おれ、おまえが嫌なら他の女とはキスしない」


さっきから、人の話を聞いている様子のないこの男。

勝手に頭の中で事を進めていく呑気さと、その口から出た意外すぎる言葉に息を止める。

これは、なにか、そう言って私を騙してもてあそぶつもりなのか。


「……ねぇマルコ、なんとかしてよ、この男」


「……ははっ、悪ィなナミ、おれにも扱い方がわからねェんだよい」


至極楽しそうに腹を抱えたマルコに「笑ってないで!」と詰め寄ると、

マルコの肩に触れようとした私の手を、寸でのところでエースが奪った。


「その代わり、おまえも他の男とはキスしねェ。いいな?」

「……は、はぁ?」

「触るのも触られんのもなし、おれ以外の男の名前は、ぜんぶ忘れろ」

「ちょっと待って!なんで私だけ条件多いの!?」


顔を赤くして、突っ込むとこはそこなのか、と自分でも思った。

マルコはますます可笑しそうに肩を揺らしている。


「おまえが嫌なら、おれも他の女には触らねェし、触らせねェ。おまえの名前以外、呼ばねェよ」


屈託のない笑顔と、清々しいくらいに迷いのない宣言に、トクトクと胸が鳴る。

待って、

待ちなさいよ、私の心臓。

惚れた弱味だからって、信じちゃだめ。

まだわからない。

誰にだって、平気でこういうことを言う生き物よ、男って。



「……てきとうなこと言わないで。キスが挨拶のあんたに、そんなことできるわけないでしょ」


嫌みをこめて、言ってはみたものの、

突っ込むとこはそこなのか、とまたもや自分に突っ込みを入れる。

女のプライドか、

乙女の恋心か、

どちらも綱渡りの、危ない橋、落っこちたら、二度と戻らないかもしれない。



「確かにおれは……好みの女なら誰とでも、キスとか、スキンシップとか、できるけど… 」


「………一回海に突き落としてあげましょうか?」


マルコはいよいよ顔を背けて声を我慢しているし、

エースは相変わらず人の話なんて聞いてない。

そして、そんな調子で手慣れたように私の手の甲を撫でる手つきが苦しくて、目をつぶる。



「縛りてェとか、縛られてェとか思うのは……おまえだけなんだ」


「…………」


ぐらぐらと揺れる綱の上で、なんとか落ちずに食い下がる。

落っこちたら、もう二度と……



「それから、女が寄ってきたら抱きしめてやるもんだとも思うけど……」


「………………」



エースは握っていた私の手を解いて、一歩後ろに後ずさった。



「寄ってきてほしいと思うのはおまえだけだし……抱きしめて、放したくねェって思ったのも、おまえだけ!」


「………………」


満面の笑みで両手を広げたエースに、心臓は、止まる。


ずるい。

ずるいずるいずるい。

やっぱりこの男は、私をたぶらかそうとしている。

その証拠に、悪戯に両手を開いて抱きしめる準備をして、

私の、プライドが勝つか、恋心が勝つか、試している。



「来るか?おれの胸に……そしたらもう、おれはおまえを放せなくなるさ」



他の女の入る隙を、私が自分で埋めろと言うのか。

まったく、生意気な。

私なんかが船の縁に座っても、見下ろすほどもない大きな身体を前に腕組みしてみせる。


「……あんた、モテるのが自分だけだとでも思ってる?見ての通り私かわいいの。言い寄ってくる男なんて、掃いて捨てるほどいるわ?」


「知ってる」


「あんたなんかより、マルコの方がよっぽど紳士的で大人だし?浮気なんて心配しなくていいのよねー」


「おう、違ぇねェ」


「男なんて星の数ほどいるの。あんたみたいな浮わついた男じゃなくたって私は……」


「ナミ」


「な、……なによ……」



彼の瞳や彼の言葉はいつだって、私の言葉を遮り、奔放に迫ってくる。

ただ真っ直ぐに正面を陣取って、プライドでできた私の綱を、

エースの手が、ぐらりと揺らした。






「おれを変えてくれる女は、……おまえがいい」



「っ、」





落っこちたら、もう二度と、


戻れないとわかっていながらも、


ギシギシと揺れる綱からあっさりと足を踏み外した私は、


他の誰かが入る隙を埋めるように、


熱い彼の胸に飛び込んだ。







男なんて、星の数







だけど私のたった一人は、太陽みたいな人でした。







「絶対ェ放さねェぞ」
「ちょ、ちょっとエース、さすがに恥ずかしくなってきた…」
「ナミ……朝の続きしよう?」
「!!」
(まったく、見せつけてくれるよい、こいつらは…)





END

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