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□風
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秋島に、冬がやってくる。



そんなことを言い出したのは、買い出しから戻ってきた船のコックだった。



「こりゃ普通の風じゃねェ、木枯らしだ。ふー寒ィぜ。こんなとこにこんな変態といて平気かい?ロビンちゃん」


「オイオイそんなに誉めるなよ〜!」


「誉めてねェよッ!!てめェは海パンの上になんか着やがれ!見てるこっちが寒ィんだよ!!」


「……確かに、外にいると少し冷えるわね」


「そうかァ?おれァそうでもねェが……」


「ロボのてめェと繊細なレディを一緒にすんな!風邪でもひかせてみろ、1週間コーラ抜きだからな!」


さっ、おれはナミすわんにもあったまるものもってこー!


という言葉と、ホットティとブランケットを残し、サンジは足早に甲板を後にした。



「……戻るか?」


部屋に。気をつかってそう訊ねたが、背中からは「これを読み終わるまで」という返事が返ってきた。



寒い日は、嫌いじゃない。

人間は寒ければ寒いほど、人肌の温度を求めるものだ。

まァ、おれの身体にそれを求めるのはちょっとばかし奇妙かもしれないが、

こうして寒い日に背中を預け合うおれたちは理に叶っていると思う。


そうやって暖め合いながら、後ろの人物が読書を再開した気配を感じて、おれも自分の作業に向き直った。



「…………あら」


「…………あ?」


視界の端で何かがひらりと踊って、おれたちふたりは手元から陸の方に視線を移した。

海べりの並木道を彩っているそのわずか一枚が、サニー号に舞い込んできたのだった。


「……風でここまで飛ばされてきたのね」


ゆらゆら、はらり、青い芝生の上に音も無くやってきたそれの裾を、細い指先がつまんだ。

くるくると手を振るように回されるそれは、紅と呼ぶには深く大人びた色を持つ。


「紅葉……かァ?」


「楓とも言うわね」


楓や銀杏なんかの色付く様を、文字通り紅葉すると言うのだ。

着港時、我が船を出迎えた目を見張るような赤や黄色の並木に

クルーたちが瞳をキラキラさせていたのを思い出す。


「へェ……秋島にも、秋の終わりってのはくるもんなんだなァ……」


落葉と言えば、季節の変わり目を象徴する現象だろう。

綺麗なのに、散ってしまうなんてもったいない。とは思っても、

そこに、その木に、枝に、梢に、何かの思い入れがあるわけでもなく

酒を飲む口実くらいにしかならない秋の落とし物を何の気なしに視界に入れていると、

ぽつり、呟かれた一言に、そんなおれの不届きで浅い考えは沈没した。




「どうして、わざわざ風まで吹いて散らそうとするのかしら……こんなに美しい紅葉の葉が、自分の意志で散るのも惜しいと思うはずなのに」



ロビンが穏やかな声で溢した瞬間、再びひとひらの風が吹き抜けて、

並木の紅がいくつも宙に舞った。



「ヴオオオオオッ!!わがるぜそのきもちーーッ!!」


「……………………」


懸命に生きてきた命を、綺麗に色付いた己を、自分で枝から離れるのも悔しいはずなのに、

冷たい秋風が悪戯に散らしていく……


無情にも程がある……!!



「ううッ、吹くなっ!風っ!吹くんじゃねェッ!あの木どもがどんな思いで生きてきたか、おめェ知ってんのかよォ!?頼むから、散らさないでぐれェェッ!」


「……………………そんなに共感してもらえるだなんて、思ってもみなかったわ」


「おめェがそんな切ねェこと言うからだろぉがああッ!うっ…泣いでねェ!見んじゃねェ!ウオオオッ!」


「微塵も見てないわ」


クールに言い放って手にしていた葉を本の間に挟んだロビンと、

完全に作業の手を止めたおれは、自然と横並びに座って散り行く木々の葉の運命を見守る。


「ううっ…冬がっ、冬がぎだら、あそこの紅葉も全部落ちちまうのかよォ…」


「そうね、水分を無くしたカラカラの枯れ葉になって、人々の靴底で粉々にされていくんじゃないかしら」


「おめェは容赦ねェ想像してんじゃねェッ!!」


さっきはあれほどしんみりすることを言っておいて。

おれの突っ込みを無視して真っ直ぐ紅葉を見つめながら、ロビンはぽつり、ぽつりと口を開く。


「古代から落葉樹は、露や霜が降りることによって紅葉を促されると言われてきたわ」


「うっ、ぐずっ、ウォッ…また散っだァァ」


「自分の身体に露霜が降りた瞬間から、紅葉と、その先の落葉が始まると、あの木々たちはわかっているのね」


「ウオオっ、きれいだっ、散っても、きれいだぞおめェらァっ」


「だから、散る瞬間までのほんの一時に、最高の輝きを放つのかもしれないわ」


「ぞうだなっ、ぞうだなっ、うぐっ、」


隣でぐずぐず鼻水をすするおれには本当にチラリとも視線を寄越さずに、

表情ひとつ動かさずただ前を見つめる横顔。


「……紅葉もそう、桜も、花火も、人の夢も、……うつろいやすく、すぐに消えてしまう頼りないもの……」


「そんなものにこそ心奪われちまうんだ…おれらはよ…短ェ命だと、わがっでで……ううっ、」


「儚さゆえに、焦がれてしまう……うたかたの理ね」


「ウオオッ!どうじで風が吹くんだよォ、鬼じゃあるめェしっ、」


さわさわと一層大きく揺れた紅葉から、木の葉しぐれが散り敷かれる。

まるで錦が敷きつめられるように、地面が鮮やかな色で埋まっていく。

その様子をしっとりと見つめながら、「けれど…」と呟いたロビンは、

いつも涼しいその瞳を、少しだけ和らげた。



「そうして散った葉は、晩秋の冷たい風や地面から、私たちの足元を守ってくれるわ…」


「……ぐずっ、おめェ…!イイこと言うじゃねェか!」


「……フランキー、あなたって人は、本当に人情的なのね。……人としての原型をとどめていないのに」


「ううっ、悪ィか〜!おれァ心まで鉄に変えた覚えはねェ!」


くすり、微笑んでおれを見上げたロビンと、今日初めて目が合った。



「いいえ、情緒を解することができる人は、とても好きよ」


「……っ、そ、……そうかよ…」



何故か、照れる。おれのことではなく、人間味のある人間が好きだ…という意味だろうに。


「感受性が豊かなのは、相手の立場になって物事を見ることができる、“心の機微”があるということよ」


「………………」


「人の痛みや悲しみや喜びを理解しようとしない人間は、愚か者以外の何者でもないわ……」



落ち葉にさえも想いを馳せるあなたは、人の心を解ろうとする人なのね。



そう言って優しい笑みをつくったロビンに、鉄の身体はカッと熱くなった。





「……………どうしてわざわざ風なんて、吹くんだろうなァ……自分でだって、散りたくねェと思ってるはずなのによ……」


ちょっと前のロビンの言葉を借りて、舞い散る紅を見つめる。

やけに隣で穏やかな表情を浮かべると、自ら導き出したであろうその答えを、ロビンはおれに教えてくれた。




「……この一年よりも来年また、より美しく生きられるようにじゃないかしら……」


「……来年…………」


「木が……命がそこにある限り、何度だってやり直せる……今度はもっと輝ける……風は、それを教えてくれているのよ……」



そう思う方が、素敵でしょう?



それを想像してみると、涙でぼやけた視界の中で一枚、一枚、また一枚と吹き上げられていくそれに、

少しだけ、胸が踊った。



「…………散ってもまた、綺麗に色付くことができんだな……何度でも……」


冬に向かっていく秋の切ない情景に、愛しく目を細めたロビンは、優しく言った。



「えぇ、命ある限り、何度でも……何度でも、やり直し、進むことができる……」




“私たちと、同じよ”




パサァァ……と、木々も波も揺らす大きな風が吹き抜けて、サニー号の芝生を紅色に染め上げた。


鮮やかに舞い踊る紅葉と艶めき揺れる黒髪の、目眩がするようなコントラストの中、


いつかどこかで目にした海と仲間を愛しく想う、強く儚く美しい涙を思い出し、


おれの心は打ち震えた。








一陣の風が、教えてくれた。








生き抜けば何度でも、



咲くことができる。








END

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