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□食べちゃうぞ
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この世にはね、君の知らない「危険」がまだまだたくさん潜んでいるんだよ。


火のついた導火線に追いかけ回されるようなこれまでの旅なんて、脅威のうちの、ほんの一握りに過ぎないのさ。


いつどこで、トロイの木馬のような危ない罠が、おれたちを襲ってくるかわからない。


身の毛もよだつおぞましい恐怖が、そこかしこで、大きく口を開けて待っている。



ほら、気をつけて、


海の牙は、すぐそこに…………





「ひゃッ…!!!」



ぎゅっと握られたスーツの後ろが、おれのウエスト部分をきつくした。



「……ナミさん、今のは芝生を踏む音だよ」


「…………だ、だって、」


「大丈夫さ、おれも……ルフィたちだっているだろ?」


「そうだけどぉ〜……」


身動きのとれない身体で首だけを後ろに向けると、背中には彼女のつむじが見えるだけだった。


「ほら、あんなアフロでひょうきんな骸骨なんて、怖かねェぜ?」


「や、やだっ、怖いっ!」



ぎゅっ……。


あァ、この感覚たまんねェ。


世にも奇妙な骸骨と好奇心旺盛なうちの船長は、先程から甲板で呑気なやり取りを繰り広げている。

魔の海域に入ってからと言うもの恐怖に顔をひきつらせていたナミさんは、

今しがた出くわしてしまった動いて喋る骸骨の、あまりのショッキングさに、

死者を乗せた船がさ迷うというこの海へ、早くも白旗を揚げてしまったようだ。



「ところで麗しいお嬢さん、お名前など伺っても…」


「きゃーーッ!!こないでッ!こないでーーッ!!」


「オイこら骸骨!!レディを怖がらせんじゃねェ!!」


「そんなァ!怖がらせる気など、毛の先ほどもありません!……あ、私毛はあるんでした!ヨホホホホ!」


「おまえおもしれェなァ!」


何が面白いのか一緒になって笑っているルフィとはうって変わって、ナミさんはますますおれの背中で小さくなる。

すがりつくように怯える彼女を紳士らしく後ろに隠しながらも、おれの中は自尊心でいっぱいに。

か弱いこの子を守ってあげている。このおれが。

小さな手が頼るようにぎゅっと服の後ろを引っ張る度、この心も一緒にぎゅっと握られる。


たまらない快感だ。


こんなの、思いあがっちまう……



「さァ船内へ!ディナーにでも!」


「てめェが決めんな!!」


何はともあれ骸骨を追い返すのは飯の後。

「飯をつくってくる」とルフィに声をかけキッチンに向かおうとすると、アヒルの子のようにてくてくとナミさんもついてくる。

おれは頬をでれっとさせながらも、紳士の手前気遣いを見せることを忘れない。


「ナミさん、少し顔色が悪いな……部屋で休んできたらどうだい?」


「やだっ!ひ、一人になりたくないの!一緒にいてサンジくん…っ!!」


「メロリン喜んでーー!!」


煙草の煙をハートの形に吐き出して甲板に目を向ける。

確かに、ウソップやチョッパーはとても頼りになりはしないし、

こんな状態のナミさんなんて、悪戯好きなロビンちゃんの格好の餌食だ。

ルフィにナミさんの恐怖心が伝わるわけもなく、

その他の野郎に頼るのも、論外か……。


「……じゃあ、一緒にキッチンに行ってようか?」


「うん……」


半べそかきながら返事をした彼女を連れて甲板を横切る。


こんな役得があるならば、正直、しばらくこの魔の海域とやらを抜け出せなくてもいい…!

いやもうこのままナミさんという小悪魔に惑わされて地獄に引きずり落とされても構わねェ!!むしろそうしてくれ!!


“魔の三角地帯バンザイ”


頭の中でそんなくす玉を割りつつ、緩みに緩む頬に気づかれないよう、若干軽い足取りでキッチンの扉を開けた。




ーー−



「ナミさん、絶対手ェ出さないでね?今から包丁扱うから」


「ん……」


もはや意気消沈ぎみに、それでもおれの背中にくっついたまま短く頷くと、

細いその手はジャケットのポケットに滑りこんできた。


そ、そこ……!?

……なんだよそれ!!

かわいすぎる…!!!


脇腹のあたりでもぞもぞと動くそれに身悶えしつつ、調理台にまな板を敷いた。



「ナミさんってさ、」


「うん…?」


「そんなに苦手だったんだね……」


おばけ。


そう言うと、背中の密着がいっそう増す。

おれの心の内を表すかのように、気づけば手元の人参は全てハートの形になっていた。


「に、……苦手に決まってるじゃない…!だ、だって、……生きて…ないのよ…?」


「ははっ、確かに。生物……とは言えねェな」


「んもうっ!笑い事じゃないわよ!見たでしょあの骸骨!きっとこの海ではもっと恐ろしい生き霊や幽霊がたくさん出るんだわ……」


いやーーッ!!と悪い気を振り払うように、ナミさんはふるふると頭を振った。

幼児期の実念論じゃあるまいし、なんでも存在するなんて信じているわけではないけれど、

実際目の当たりにしてしまったら信じる他ない。

さすが不思議の宝庫、ザ・グランドライン。


「平気だよ、ナミさんに悪さするような輩は人間だろうが幽霊だろうが、おれが追い払ってやるからさ」


「……サンジくんは、怖くないの……?」


おばけ。


口にするのも怖いのか、その単語は心なしか上擦った声でおれの耳に届いた。


「んー、おれはおばけより、気持ち悪い系の虫の方がだめだなァ…」


「う、うん、私も嫌…。でも、お、おばけも十分怖いわよ…!」


「うんうん、そうだね〜」


「もーうッ!人が真剣に怖がってんのにぃー!!」


「ははっ、ごめんごめん」


だって、おばけなんてどうでもよくなるくらい、君がかわいいから。


きゃんきゃんとごねるナミさんには、普段の勇ましさも威勢も見られない。

血も涙もない魔女だとか、冷徹非道な性悪女だとか、男よりも男らしいだとか、いったいどいつが言ったんだ?


虫もだめ、おばけも怖い、泣き虫で寂しがり屋で、こんなにキュートでか弱いレディ。

おれにとっては女の子の中の、女の子なのに。



「もーっ、自分は平気だからって面白がって……キャッ…!!」


「…………ナミさん、今のは風の音だよ」


ナミさんはガタガタと揺れた小窓から顔を背けると、「わ、わかってるわよ!」と強がった。

それなのにスーツのポケットの中でもぞりと動いた手はしっかりシャツごと握りしめて、

おれは笑いを堪えるのに必死になりながら食材を鍋に入れる。


愛しいなァ……ホント。



「……つーかあれだな、こうも外が暗ェと時間の感覚がなくなっちまうな」


いつ抜けられるんだろうねー、この海域。


ま、抜けられなくても全然オッケーだけど。そう思いながら話を振ると、

よほどあの骸骨が後を引いているようでナミさんは今にも泣き出しそうな声で呟く。


「すぐにでも抜けたいわよー、けど、あっちもこっちも暗いし、またゴーストシップに遭いたくないし……どうしよ〜っ、このまま私たち、この海域をさ迷うはめになったら……」


外からの風が再びカタカタと小窓を揺らし、気弱な航海士が小さく悲鳴を上げたとき、

おれの中にはちょっとした悪戯心がわいてきた。



「…………あのさ、ナミさん……」


「うん、……なに?サンジくん」


「実は、さっきから思ってたんだけどね……」


「……な、なに……?」


「なんか…………誰かに見られてるような気がするなァ…………って、」


おれがそう言い終わるや否や、声にならない声を上げて、ナミさんはおれの身体をホールドした。


う、うおおおおっ!!

むっ、胸……!!

形まですんげェわかる!!!



「やーーッ!!やだやだやだやだーーッ!!怖いこと言わないでーーッ!!」


「う、うん、おれもそう思って言わなかったんだけどさ、なんか寒ィ気もするし……」


「いいいやあああッ!!やめてーーッ!!」


「今にもその壁からにゅうっと……何かが出てきそうな……」


「きゃーーッ!!ないないないっ!!おばけなんて出てこないーーッ!!」


自分で言って自分でぶるぶる震えているナミさんに苦笑して、鍋の蓋をしめる。

「やだやだ」と足までバタつかせて怯えているプリンセスを落ち着かせるため、

ポケットに入っていた手を取り出して、くるりと身体の向きを変えた。




「大丈夫だよ、おれがついてます」


「ふ、ふぇ……サンジく〜んっ……!」


ちょっと怖がらせすぎたかな。


涙目の彼女を見てそうは思ったが、正面からでも肩を狭くしてしがみついてくる様子に心の方はくすぐられっぱなしだ。


ロビンちゃんがドSとか、誰が言ったんだ。

わざと怖がらせた上にどさくさにまぎれて正面から抱きしめちまうって、今一番ドSなのはおれじゃねェのか。



「何が襲ってきても守ってさしあげます、プリンセス」


「ほ、……ほんと……?」


鼻声で呟くと、ナミさんの腕がおれの腰に回った。


あー……


こんなにイイ思いしていいんだろうか…


二度とないかもしれねェな、夢みてェな、こんな状況。




「もちろんです。おれはあなたの、騎士ですから」



にこりと微笑むと、おれの腕の中でもぞもぞとナミさんが顔を上げた。

うるうると瞳に涙を溜めて、ほんのり頬を赤くした彼女に、息をのむ。


一度ゆっくりまばたきをしてしっかりとおれを見つめた彼女は、少し尖らせた唇から頼りない声を出した。



「で、でも…………」


「ん……?なーに?ナミさん……」


「だ、大丈夫かな、」


「ん?…なにが?」


優しく髪を撫で、首を傾ける。

不安そうな表情で、「だって……」と言い、ナミさんはおれの胸のあたりにぴたりと顎をくっつけた。






「だって、…お、おばけって、に、人間を、………………食べちゃうんでしょう……?」






違いますよ、ナミさん。


おばけが人間を食べちゃうかは、正直おれにもわかりません。


けど、けどさ、世の中には、もっと危険なものがあるじゃないですか。


特に君みたいなかわいこちゃんが、一番狙われやすいんだよ?


何が襲ってきても、守ってあげるとは言ったけど、


「自分の中の衝動から君を守れるかは、保障できねェ」って言うのを、うっかり忘れちまってた。


油断したところを一口に、イカサマ紳士の大きな口が、拐っていってしまうかもしれないよ?


まだわからない?君の知らないこわーいものが、目の前に、いるでしょ?


ほらほら、そんなにうるんだ瞳で上目使いして、かわいく唇を尖らせてたら…………






食べちゃうぞ







愛しい君を。







「なにしてんだウソップ、こんなところで」
「…!しーっ!しーっ!ゾロくん!キッチンは今立ち入り禁止だッ!」
「あ?……なんで、」
「おれ様はおばけより、サンジとナミから制裁食らう方が怖ェ!」
「…そーいうことかよ」
(悪霊退散悪霊退散…!)
(あんのエロコック…!)







END

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