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□駆け引き上手
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名を呼ぶのはいつだって、私から。


いつもどこか、遠い海の果てを見据えているその瞳。


志に燃えるその輝きの、ほんの一欠片の情熱でもこの身に注いでほしくて、ひたすらに根気強く、手をのばす。


意味もなく近づいて、「ここにいるわよ」「かまってよ」と心の中で唱えては、


決して口には出さないと決めた心の声を、結局は痺れを切らせ、矢も盾もたまらずぽろぽろと言葉にする。


それでも果ては、冷たく伸びる鉄の塊以外に見向きなどしない横顔と、


信念と野望で造形された、他の何者をも拒む大きな背中。


邪魔者の侵入など許さない強さへの執着は、


人の温もりさえはねつけるように、時には残酷に、ただ粛々と恬淡に、渇き、


私の魂ごと、海の底の深いところに沈めてしまう。



だから………………






「…………んっ、」


「ナミさん大丈夫?きもちわるい?」


「………へーき。とってもいい気分……」


「それはよかった。もうすぐ我が家に着きますよ、お姫様」


しっかりつかまってて?そう囁いた声の主の首に、ぎゅっとしがみつく。

一人分の足音が響くたび、浅く瞼を閉じた暗闇の中で横抱きにされた身体が穏やかに上下する。

本当は一人でだって歩けるし、いくら飲んでも酔えないのが、酒豪の悩みだったりする。


だけどあえて彼に頼ることで、私の行き場のない欲求も、彼の自尊心もほんの少しだけ満たされる。


仕方がない。本来その役目をしてくれるはずの恋人は、


今も船の上で修行という名の中毒に犯されて、私の相手をする暇などないのだから。



「…………サンジくん……?どうしたの?」


「…………あァ、キッチンに寄ってもいいかい?あったけェもんでも飲んだ方がいい」


甲板で足を止めて覗き込んできた彼にコクりと頷くと、再び芝生を踏む音が耳に届いた。

足音の回数が重なるたび、とっくに冴えてきた頭の端が私を現実に引き戻す。


そういえば、この人私の男じゃないのよね。

なにのどうして、私はこの人の温もりを、あいつのそれより遥かに多く知っているんだろう。

キスをしたわけでも、セックスをしたわけでもないのに……


チラリと薄目で見上げると、サンジくんが私の視線に気づいてふわりと笑った。


……ゾロも、これくらい優しかったらいいのに。

これくらい、私を見てくれたらいいのに。




サンジくんが、ゾロだったら、よかったのに……


その先の考えを遮ったのは、扉が開く音の次に脳にこだました低い声だった。



「……ずいぶん遅ェお帰りだな」


「心配してもらわなくても結構だぜ。ナミさんにはおれがついてんだからよ。ねー、ナミさん?」


「…………ん、」


目を閉じたまま、サンジくんの肩に頬を擦りつける。

お酒を取りにきたのだろうか、瓶のぶつかる音を響かせながら、

ゾロは興味なさげに「まァ、どうでもいいけどよ」と呟いた。

ダイニングのソファの方向に運ばれながら、唇を噛む。

こんな時間に酔って男に抱えられてきたって、ゾロは私を露ほどにも気にかけてくれないこと、

それが、たまらなく悔しい。


「……オイ、てめェの見張りがまわってくるたびに酒が減る。一晩中飲んでんじゃねェよ」

「はっ、小せェ男が。ケチケチすんなよぐるぐるコック」

「んだとこらァ!?」

「やんのか?あァ!?」


ゆっくりソファに下ろされると、サンジくんの腕と銅の間から、酒瓶を手にしたゾロが目に入った。

逞しい出で立ちと男らしい風格が、どんなときでも私の胸をじわりとさせる。

目が放せないくらいの強烈な魅力を持つ彼に、むくむくと燃え上がるのは、嫉妬。

周りの女に妬いたことは、一度もない。

ゾロは誰であろうと受け入れないとわかっているから。

そう、私でさえも………


私ばかりが好きでいる、私の心ばかりを奪っていく、

そのことに対しての激しい業火が、サンジくんごしのゾロへ、メラメラと燃えたその刹那。


何か言い合っているふたりの声を聞くともなく聞きながら、

私は、完全に離れようとしているサンジくんの腰に腕を回し、


大きな賭けに出た。



「サンジくん………」


「あ…………え?ナミさん?」


「……………離れないで……?」


傍にいて。ゾロの耳にも届くように、そう甘く囁くと、

腕の中でサンジくんの身体がぴくりと揺れた。


「あァ、ここにいるよ……ナミさん……」


「ん、……サンジくん……」


ねだるようにシャツを引っ張ると、身を翻したサンジくんが目線を低くして私の頭を撫でてくれる。

ふらふらに酔ったふりをして倒れこむようにその肩に抱きつけば、

ゾロの目の前で反射的に罪悪を感じたのか、さすがのサンジくんも息を飲んだ。


「……はは、ナミさん今日はどうしたの?甘えちゃってかわいーなァ…悪ィなマリモ、見せつけちまって」


サンジくんの髪の中に鼻先を埋めながらゾロの様子を伺うと、

何の感情も持たない冷たい瞳が真っ直ぐに私を見据えていた。


「好きにしろよ」


寄り添う私たちからあっさり目線を外したゾロは、抑揚のない声を残してダイニングを出ていった。


「………………」


身体から、すっと熱が引いていく。

冷たい空気を肺に入れることが怖くて、息を吸うことができずにいると、

次第に頭が朦朧とし始めた。

女のプライドと意地をかけた一世一代の大勝負に、

私は、負けたのだ。



「…ナミさん……」


未だに抱き合ったままだったサンジくんの手のひらが、私の背中を優しく一撫でした。

彼の手の通った場所が、妙にリアルな温かさを生んで、

私はギシギシに重くなっていた身体をようやく動かした。


「…………ごめん、サンジくん……」


自然と口から漏れた言葉だった。

その優しさに甘えてごめん。拒まないことを知っていて、ゾロの気を引くために利用してごめん。いつも……


いつも傍にいてくれるのに、


遠くのゾロばかり見て、ごめんね。




「っ、やめてくれ…!」


「え……っ、きゃ!?」


離れたはずの身体は突然の衝撃と共にサンジくんの腕に捕らえられた。

片膝をソファについて私を抱く手に力を入れると、

今まで見せたことのないような鋭く苦しげな彼の瞳が、私を射た。



「……謝られんのは、あいつが好きだって言われるより……辛ェ……」


「……サンジくん…」


「嘘でもいいからっ、“あいつのいねェところで”……おれに、甘えてくれよ…!」


強く腕を引っ張られると、密着したサンジくんの身体ごと、そのままソファに縫い付けられた。

サンジくんの綺麗な髪ごしに、誰もいなくなったダイニングの空間が静かに流れている。

伏し目に近づいてきた彼が私の顔に影をつくったとき、心臓が一度、大きく跳ねた。


「……やっ、放してサンジくん…!」


「離れないでって言ったのはナミさんだろッ!!」


「っ、そ、……だけど、……こんな……」


鼻先が触れるほど私と差をつめて、

深い色をしたその瞳を、サンジくんがうっすらと細めた。

海と空の全部をかき混ぜたようなそれが、とてもこの世の色とは思えなくて、

私の視線は思わず釘付けとなった。


「……おれが、君からの甘い言葉を真に受けないとでも思った?こいつなら空気読めるからって、そう思ったんだろ?」


「……ち、が……」


「違わねェだろ。普段は軽くあしらっといて、あいつの前ではわざとおれを頼って……あいつの、気をひくために……」


「………………」


何も、違わない。

全てその通りで、言い訳の余地なんて残されてはいなかった。


「おれだったら、それを承知で利用させてくれると思った…そうだよな?あいつを振り向かせるための都合のいい道具とでも思ってた?」


「そんなっ、……そんなこと、」


「けどね、ナミさん……」


わななく私を額と鼻先で壁に追いつめたサンジくんは、

苛立ちを含んだ低い声で言った。



「悪いけど、おれはそこまでお人好しじゃねェ」



迷いなく押しあてられた唇に、目を見開く。

背けようとした顔を手で固定され、その身体を押し退けようともがくが、

予想以上に強靭な肉体は、一歩も後には引かなかった。
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