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□追いかけて、追いかけて、
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20を越えたあたりから、数えるのをやめた。


脳内でこっそりそんなことをしている自分が女々しく感じたのもあるけれど、

その名が彼女の口から放たれる回数が、

自分のそれの10倍だということに、10を越えたあたりでようやく気がついた。


確かにおれは、人からよく名を呼ばれる方ではないかもしれない。

コックのやつが、マリモだの、藻だのなんだのと、

滅多に名前を呼ばないという印象が強すぎて、そう感じるだけかもしれないが、

この船で常日頃耳にするのは、


あいつがよく呼ぶ「彼女の名前」と、

彼女がよく呼ぶ「あいつの名前」


このふたつが、ダントツぶっちぎりワンツーネームだ。



「ねぇルフィ」


「どうしたナミー?島でも見えたか?」


操縦席から甲板のルフィを振り返ったナミの口が、再三にわたる期待はずれのその名を発したとき、

なんとなく、海の底が見えたような気持ちがした。


「違うのー。島じゃないんだけど、海に何かあるのよ」

「んん?なんだ?なにがあるんだ?」

「よく見えないんだけど、黒くて大きいもの……」


同じ望遠鏡を覗き込もうとするふたりの距離が、異様に近い。

いっそ愛を語らう若いカップルにさえ見えてくる。


…………つまらねェ。


決して声には出さない呟きをもらして、投げ出していた足の踵で芝生を叩いた。

今見たことは、夢にでもしてしまおう。

そう決めてため息の後に閉ざそうとした視界が一気に開いたのは、

甲板に響いた甲高い悲鳴に弾かれたからだった。


「きゃああああッ!!!」


周囲のクルーがどうした、何かあったのかと船首に駆け寄る。

波を逆巻いて水から浮かび上がったのは、

鋭く巨大な牙を持ち、全身に強固な鎧を思わせる鱗を背負った海獣だった。


「海の悪魔、レヴィアタンね。初めて見たわ」

「何度も見てたまるか!伝説の生物だぞ!」

「あら、口から炎を吹いてる。ナミたちこんがり焼けなきゃいいけど」

「怖ェよッ!つーかスケッチしてる場合か!!」

「ナミ!下がってろ!!」

「う、うん……!」


ウソップたちの横を通りすぎた船首への階段で、

ルフィに促されて避難してきたナミとすれ違い、一瞬だけ目が合った。

キッチンからは騒ぎを聞き付けたコックやチョッパーが顔を出しているところだった。


「よォーし、覚悟しろよ……」

「おいルフィ、手ェ貸すか?」

「必要ねェ。こいつは今夜の晩飯だ!」

「食う気かよッ!!」


刀を抜きはしたものの、おれが出るまでもないようだった。

いつでもどこでも腹ペコ野生児が意気揚々と腕を振り回し、その獲物に襲いかかる。


「……あ、あれ……!?」


スカッ……と宙を切っただけで、ルフィは甲板に足をついた。

危険を悟ったのか怪物は見事な素早さで海の中に身を隠した。


「……なんだ。獣のくせに手応えのねェ野郎だな」

「えぇぇっ!?めしぃぃっ!おれのめしぃぃっ!」

まだ言ってんのか。そう呟いて踵を返すと、船の縁にもたれかかるナミの背後にぬっと黒い影が現れた。


「……っ、おい!ナミ!後ろ…!!」

「……え?」


海面から姿を現した海獣が、鋭い牙で頭からナミにかぶりつこうとしている衝撃的なシーンに、

しまいかけていた刀を勢いよく抜いた。


くそっ、……弱ェの狙ってんじゃねェよ!

ケモノのくせに!


「い、……いやぁぁぁッ!!!」


船の板を蹴って真っ直ぐに駆け出すと、船体の揺れでバランスを失いながら、

ナミがこっちに向かって手を伸ばした。

その手を掴めるように、地面を蹴った。

ついさっきすれ違った階段を、飛ぶように引き返して……

しかし、その瞳が助けを求めていたのは、

その手が必要としていた人物は、おれではなかった。




「……ルフィッ……!!!」



「ナミぃッッ……!!!」



皮膚が波打つほどの強い覇気が、辺りを襲った。

揺れる水の中に泡を巻
いた巨体。

気がつけば、その気迫に圧倒されて動けずにいるクルーの誰よりも早く、

ルフィがナミに駆け寄った。


「……ルフィっ、」

「ナミ!大丈夫か!?」

「……えぇ、ありがと……」


腰の抜けたナミを抱き起こすルフィの背中を、

おれはただ、情けないほどぼんやりと眺めていた。


あいつがよく呼ぶ「彼女の名前」と、


彼女がよく呼ぶ「あいつの名前」


そのふたつだけが、やけに耳の中で繰り返される。


ずっとそうだった。


追いかけては、かわされる。


それでもどうしても諦めきれないから、


バカの一つ覚えみたいに追いかけて、


恋人の位置を手に入れても、変わらない。


追いかけて、追いかけて、


そして、その手が掴むのは、


…………おれじゃない。



全部を遮るように音を立てて刀を鞘におさめても、


頭の中で互いの名を呼ぶふたりの声が、途切れることはなかった。
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