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□不幸に乾杯
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「お誕生日、おめでとう」



しっとりとした女の声が、子供じみたフレーズを海のうねりの中に落とした。

闇に漂う黄色の船が水面に映り、夜空の月を連想させる。


「………どこのタレ込みだ?」

「白熊情報屋よ。知ってちゃ悪い?」

「………………」


不満そうに尖らせた唇が何か言いたげなのをシカトしてやった。

知られて困るようなことでもないが、自分のために何かを祝われるのは不得手だ。

「おめでとう」「ありがとう」などという常套的なやり取りに魅力なんて感じなければ、

たかが1つ歳をとるだけのイベントに胸を高鳴らせていたのは、とうの20年も昔のこと。

口実にしたいクルーたちは勝手に騒げばいい。主役なんていなくても、酒さえあれば宴は進む。


「あんたのクルーが珍しくバカ騒ぎしてたのはそのせいなのね。臨時収入でもあったのかと思ったわ」

「たかるつもりだったなら、残念だな。貢ぐのはおまえの方だ」

「そうだと思って……ほら」


ナミはおれの手にグラスを握らせると、年代物のラベルの貼られたワインを得意気に見せびらかした。


「へェ……質より量の酒豪にしちゃ品のある代物じゃねェか」

「サンジくんのオススメよ。あんたが誕生日だって知ってたら、もっとネタになるもの持ってきてあげたのにねー」


例えば白熊の着ぐるみとか。そう呟いて慣れた手つきで栓を抜くと、ふたつのグラスに赤い液体を注いだ。


「物になんざ執着しねェよ。おまえの身ひとつ、おれに捧げろ。有り難く受け取ってやる」

「お断り!“私をあげる”なんて言おうものならどんな恐ろしい目に合うか……だいたいの予想はつくもの」

「心配するな。実験台も最高の快感を得られる方法で楽しむつもりだ」

「あんたねぇ……どうせ口説くなら乙女がキュンとするような、もっとロマンチックな口説き文句があるでしょうが。あんたのはほとんど犯罪予告か脅迫なのよ」


どう口説かれてェんだ。そうたずねると、ナミはおれと同じように冷たい手すりに手を置いた。

甲板の騒がしさよりも、船に寄せる波の音が耳に近い。


「そうねー、例えば、”君の瞳に乾杯“とか」

「……いつの時代のトレンディ映画か知れねェな」

「サンジくんなんてもっとすごいわよ?“恋の奴隷だ”とか、“愛のプリンスだ”とか」

「……くだらねェ」

「ちょっと、確かにサンジくんまでいくと鬱陶しいしくだらないしバカみたいだけど、あんたは私の男でしょう?」

「………………」

「たまにはかわいい恋人に愛の言葉のひとつやふたつ、囁いてみなさいよ」

「囁いてやってるだろうが。ベッドの中でいつも…」

「違う!!なんか違うからそれッ!!」


女というものは、どうしてこうも言葉というやつにこだわるのだろうか。

証しやらしるしやらが欲しいのなら、言葉だって雪のようにじわじわ溶けて、あっという間に消えゆくものだ。

生身をぶつけ、手でも触れられないほど深くでつながり、跡を残す。

そちらの方がよほどストレートな愛情表現のはずだろう。


「…………わがままでかなわねェな、女ってのは……」

「それさえかわいいって思うのが、本当に愛してるってことなのさ……って、サンジくんならそう言うわ」

「……あんなふざけた男と比べられるとは、心外だ」


抑揚のない声で嫌味をこぼしたナミを横目で睨むがどこ吹く風。

引き合いに出されたところでおれとあのおかしなフェミニストでは勝負にもならないし、

ナミだってそんな気休めの甘言にほだされるほど頭の悪い女じゃない。

…………なのに。


「あーあ、サンジくんならこういうとき、肩でも抱き寄せて素敵な言葉を囁いてくれるのにね」


今日はいったい何がこの女の情緒を不安定にさせている。聞き分けの悪さはまるで爪を立てる仔猫のようだ。



「……てめェさっきから聞いてれば……おれの前で他の男の話はするなと言い聞かせているはずだが?」

「素直に言ったら?やきもちやいてますって」


腕を引き寄せた拍子にグラスの中が大きく揺れた。

両手ともふさがって抵抗できずにいるナミを、後ろから拘束する。


「かわいいと思われてェなら、少しは従順になってみろ」

「ちょ、嫌よ!あんたの言いなりになんてなれるわけないでしょ!」

「そんなに愛されてると感じてェなら、今すぐここで抱いてやるよ」

「っ、そういうことじゃなくて、私はただ……!」

「………………」

「ただ…………あんたの口から…」

「………………」

「……本当の気持ちが、聞きたいだけよ………」


ぴくりと肩を強ばらせたナミが、おれの腕の中で小さくなった。

わずかな距離に過敏になって、いつか見捨てられることに怯え、常に自分への愛の重さを量りにかける。


女というものはどうしてこうも鈍感で、


…………弱いのか。




「本当の気持ちとやらが知りてェなら、…………教えてやる…」


「……………………」


「おれは、世間の戯れ言に容易く思いを重ねて、ちんけな台詞でおまえを喜ばせてやるつもりは、微塵もねェ」


「……………………」


「安売りするような感情なんざ、端から持ち合わせちゃいねェ……おまえの望むような愛の言葉は聞けねェだろうよ、“一生”なァ………」


「……………………」


「残念だったなァ。恨むなら、おれの手をとった自分の悲運を恨むんだな……」


「……………………」



おれの女になった人間が、平凡な幸せを手に入れられると思ったら、大間違いだ。


そう、“一生”、


この口からその場しのぎの甘い言葉なんて、間違っても吐いてはやらない。


おまえはただおれの本気に全てを捧げ、


窒息するほど溺れ果てた先で、思い知るがいい。



どんなに望んだところで、ひとりぼっちになんてなれやしないと。





「“君の瞳に乾杯”…?そんな小せェ男、くだらなくて腹抱えて笑っちまう」


「……………………」


「乾杯するなら……………………」




“一生このおれから逃れられやしねェ、おまえの不幸な運命に”…………だろう?




熱さを帯びた瞳の中で、おれの影が大きく揺れた。

傾けたグラスが女のグラスの口元と重なって、まるでくびきをかけたように澄んだ音色を響かせた。




不幸に乾杯





愛を裏付ける、鎖の代わりに。





Down the hatch! Happy birthday Law♪

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