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□ルビーのお礼
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自分の運の悪さには薄々気づいていたが、まさかここまで不幸体質だったとは。


太陽が、キラリ。

誰もが幸せになれそうなこんな日和に目撃したのはよりにもよって、

この世で唯一逆らうことのできない自分の船の船長と、惚れた女の逢い引き現場。

幸福の女神とやらがおれに微笑んでくれるのは、どうやら天文学的な確率らしい。

冷静沈着、情け容赦ない性格でいろんなところに敵をつくってきたけれど、

とうとう運にまで嫌われてしまったようだ。



「見てわからねェか?取り込んでる」

「……お取り込み中、失礼します」

「あァ、用なら後で聞いてや…」

「すみません…………ナミ、おまえに用がある。おれと来てくれ」


今すぐだ。毅然と言ったおれに、振り返った船長がこれでもかというほど眉を寄せた。

第一、こんな人目につきやすい甲板で女にキスを迫るだなんて、あなたは何をお考えになっている。

そもそもおれたちは、そんなオープンな国の生まれじゃないはずだ。


ナミは、素直に船長の腕をすり抜けておれのところへやってきた。

大袈裟な舌打ちが聞こえたが、知ったこっちゃない。見せつけられて、見過ごせるほど、おれの心は鉄じゃない。



「なんか用だった?ペンギン」

「まぁ、たいしたことではないが…」


静かな廊下で、不思議そうに尋ねてくるナミの前を歩く。

うまい口実も浮かばないのに、あっという間に自分の部屋の前にたどり着いてしまった。

ひとまず「入れ」と扉を開ける。

同居人のシャチは目下買い出し中である。

…………そういえば。

何度も船に訪れているナミだけど、この部屋に招くのは初めてだ。


「え、やだ、ペンギン、私に何する気?」

「……なっ?!だっ、断じてやましい意味ではない!別に、そういうつもりで部屋に連れてきたわけじゃ、」


自分の身体を抱き締めたナミに恨めしげな眼差しを向けられ、

もしかして間違いが起こらないかなどと、寸分でも期待した自分に気がついた。


「あはは!冗談よ!動揺しすぎ!わかってる。あんたにそんなことできないわよねー」

「………………」


かの悪名高き死の外科医の右腕は、石のように腰の据わった男だと囁かれているらしい。

無論、多少女にからかわれたくらいで仮面は崩さない。

ただ、最後の言葉にだけは釈然としないものを感じて、帽子の下の眉はぴくりと跳ねた。

躊躇もせずスタスタ部屋に入るとナミは「で?用って何?」と、映画のワンシーンのようにかわいらしく振り向く。


「あー、その…なんだ…」

「なによ?」

「……さっきのようなことは、人目につくところでは控えてくれないか」

「はぁ、やっぱりお説教なのねー」


瞼を半分下ろしてくるりと再び背を向けたナミは、シャチがデスクの上に散らかした小物を物色しだした。


「同盟は組んでいても、…いや組んでいるからこそ、世間に知れると何かとよろしくないだろう」

「まぁそうでしょうねー」

「うちの船長の品位にも関わる話だ」

「その船長さんが勝手に迫ってくるからじゃない。迷惑被ってるのは私の方よ」

「勝手に迫ってくる?だが、船長とおまえはそういう関係じゃないのか?」

「さぁね、どうかしらー」

「……いや、今さら隠さなくていい。さっきだって公共の面前でキスしていただろう」

「そういうふうに見えた?」

「……違うのか?」

「気になる?」

「……そういうわけじゃない」


敵船からすくねたばかりの深紅のルビー。引き出しの奥にしまっていたはずのそれが、いつの間にかナミの手の中にあった。

探し当てたその宝をうっとりと眺め、愛しい恋人にするように口づける仕草に、思わず息をのむ。


「ねぇ、この子、私に似合うと思わない?」

「話をそらすな。船長とはどういう関係なんだ?答えによってはおれも対応を変えなければならないからな」

「やっぱり絶対似合うわよね。だってこれ、本物だもの。なんでこんなものがここにあるのか知らないけど、男には必要ないものじゃない?」

「…………オイ、話を……」

「欲しいなー……」

「………………」


帽子の鍔に手を置いて、ため息をつく。

船長を前に幾度となく繰り返してきたこの癖が降参ポーズだということを、ナミは知っているのだろうか。

チラリと目配せをする小癪な罠に、厳しいはずのこの口さえ、彼女の望む言葉を捧げてしまう。


「私がつけたらきっとかわいいのになー」

「……わかった。それはおまえにやろう。だから本当のところを…」

「きゃーっ!ありがとペンギン!」


ぱぁっと笑顔を咲かせて、ナミは少女のような無邪気さでおれに飛び付いた。

こんなこと、男のツボを心得ている女なら誰だってしそうなことではあるが、

自分に対する好意の表れなのではと、身勝手な錯覚に陥る。

いずれにしろこんなに良い役を請け負えるなら、宝石なんていくらでもくれてやる……

…………そう思ってしまうが最後、骨の髄まで吸いとられ、後にはきっと何も残らない。


「なっ、…おい!そんなにくっつくなっ、」

「さっすがペンギン!大好きっ!」

「っ!!!」


首に回されたか細い腕や、ツナギの上から押しあてられる柔らかな胸の感触が、一気に心拍を上げる。

ナミは帽子の下を覗きこむようにして囁いた。


「お礼に、イイことしてあげる…………」

「…………っ、」


物欲しげな瞳が、固く閉じられたおれの口元を見つめる。

その刹那、夏でもないのに身体がカッと熱をもって、自分の脈打つ音で頭がくらくらした。

これは確か、数刻前の甲板における「男女の逢い引き現場」のシーンとよく似ている。

ただし今度はおれとナミのカットという、都合の良い妄想じみたものだ。

全く動けないまま頭の中で大混乱を起こすおれに、いよいよ鼻先の触れる距離まで近づいた薄く小さな唇が、ニヤリと横に弧を張った。



「キスしてもらえると思った?」

「……っ!そんなことは…!!」

「ふふ、ペンギンって、やっぱりウブなのねー?」

「なにを、言って…」

「顔、真っ赤よ?」

「っ、」


無防備なおれから帽子を奪い、ますますしてやったりの悪い顔をしたかと思うと、

男をたぶらかして満足したのか、悪戯な悪女はおれの腕からいなくなった。

まるで、風に吹かれてひらひら逃げる桜の花びらを思わせる。


「じゃ、このお宝はありがたーくもらっていくわね」

「なっ、ま、待て…!話がまだ終わっていないぞ!」

「あら私、これをもらう見返りにローとの関係を明かすとか、あんたの言うことを聞くなんて、一言も言ってないけど?」

「なっ、……いい加減にしろ!ナミ、おれはおまえのことを心配して…」

「心配?ホントは自分が嫌なだけじゃない?僻んでるの?それとも、」


ローに私を盗られたくないって思ってたりして。




あァ、そうだ。

船長にも、誰にも、おまえを盗られたくはない。

心の内まで見透かして、この固い口からは決して語られぬ真実さえ確信しているくせに、

あたかも冗談まじりに笑ってみせるなんて、


……なんて意地の悪い女。



「………馬鹿にするな」



自らの自制心でもおさえることのできない衝動が、おれの身体を動かした。

ナミの腕を強く引き寄せると、二段ベッドに掛けられた梯子へ縫い付ける。

一瞬の出来事に何が起きたか理解できないようで、ナミは目を丸くした。


「……ちょっ、なにすんの…!?」

「礼はどうした…」

「なっ、」

「そのルビーの礼がまだだと言っている」


あくまでも、口調は穏やかに。死の外科医の右腕は、どんな状況においても冷静さを欠いてはならない。

取り乱す心とは裏腹に低い声と強い視線で威圧すれば、ナミはごくりと喉を動かした。


「そ、そんなの、これはもらったものだから、お礼なんてしないわよっ」

「どんな女でも、あの人に深入りすると、必ず後悔する」

「………………」

「這い上がれなくなるほど心酔させられた挙げ句、あっさりと捨てられていった女を何人も見てきた」

「………………」

「後で泣きたくなければ、おれの言うことを聞いておけ……」


不安定に体重のかかった板が、ギシリと音を立てた。

狭い二柱におさまる身体を囲うように、梯子を握る。

生意気ばかりは、言わせない。おれにだって、プライドがある。



「……なによ、ムキになっちゃって」

「……ムキではない。本気なだけだ」

「ふーん……本気でローと私の仲を引き裂きにかかる気なのね?」

「………………」

「ペンギンって、そんなに私のことが好きなんだ?」

「………………」


白々しい問いなどには動じない。この期に及んで驚くことでもないだろう。

キリキリと切迫する空気の中、おれの無言の返事に対し、ナミはくすりと微笑んだ。



「あんたの望み通り、お礼なら、してあげる…………」


「………………」


「だけど、後悔しないでね?」


「……後悔?今さら何を……」


「私に本気になって、這い上がれなくなるのは、あんたじゃない?」


「………………」



素顔を隠す防寒帽はとうに床を這い、いつしか仮面は剥がされた。

広くなったはずの視界に映るのは、おれを惹き寄せ放さない、ただひとり。

潮でカサついた頬を、するり、爪の長い指が撫でていく。

唇にふっと息を吹きかけると、たった一言だけ呟いて、ナミはおれに口づけた。






「後で泣いても……知らないから…」




ルビーのお礼







END

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