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□悪魔の教育
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なんだか、ちっとも思い通りにならないやつだから。



私があの男を気にする
理由なんて、きっとそれだけ。

だって、何百歩譲っても、今あの男の肩にしなだれている女より、私の方がイイ女。

あの堅物なうちの剣士や、恋のこの字も知らない船長だって、私に骨抜きとかいう噂もあるくらい。

なのにあいつの隣にはいつだって私じゃない女がいて、引く手あまたの自分を見せつけては、鼻で笑っているようにも見える。



「よォ、こんなところで一人酒か?淋しい女だな」



…………ほらね、こんなふうに。



「うっさいわね……あっち行って」

「心配するな。おれは親切だからな。淋しい女にも、やさしく接してやる」

「勝手に淋しい女って決めつけないでくれる?」

「このおれがかまってやると言ってんだ。素直に喜べ」


頼んだ覚えなんてない。そう言うよりも早く、ローはどかりと私の横に座った。

アルコールに混ざって、甘ったるい香水の匂いをまとわりつかせている。それが鬱陶しくて、あからさまにため息をついた。


「……あんたが隣にいたら、全然酔えない」

「そうか、それは少しばかりおれを意識しすぎだな」

「……そういう意味じゃないってのよ。相変わらずの自惚れ具合に呆れるわ?」

「くくっ、つれない猫みてェな面してんじゃねェよ。ほら、これで機嫌をなおせ。食わせてやる……」



あーん、だ。



刺繍の指が小さなタルトをつまみ上げ、口元に近づける。

珍しく他人に何かを施したと思ったら、これだ。いつもよりニヤついているところが、腹立たしい。

いらない。そう口を開きかけたのが間違いだった。

まんまとタルトを押し込まれ“あーん”状態の私に、悪魔の角を隠し持った男は、それはそれは楽しそうに目を細めた。


「んっ、……っ、」

「………オイオイ、下手くそだなァ。あんたがちゃんと食わねェから、おれの指に垂れちまったじゃねェか」



舐めろ。



「……ちょ、……んぅっ!」


犬にでも言いつけるように放たれた命令の後、生クリームのついた人差し指が口に侵入した。

驚いて、すぐ近くで騒いでいるクルーたちに見られまいと抵抗するが、さらに中指まで入り込む。

頭の後ろを反対の手のひらが固定して、二本の指が舌の上を撫で付ける。

出し入れを繰り返す動きがあらぬことを連想させて、耐えきれず睨みつけると、低い笑いを残して指が抜かれた。


「何赤くなってやがる。変な想像でもしてたか?」

「するわけないでしょ!」

「いいぜ?物足りねェなら、もっと立派なもんでもしゃぶってみるか?」

「っ、ばかッ!!からかうのもいい加減にしてよ!!今度同じようなことしたら、あんたのその指に噛みついてやるんだか、……」



ぐっ、と頭を支えていたローの手に力が入って、引き寄せられた顔に、灰色がかった瞳が近づいた。

開きかけの口の中に、今度は指より柔らかいものが侵入して、呼吸を阻む。

酒の味を乗せた舌が絡まって、くちゅっと粘着質な音を立てた。

濡れた唇に食い付いて離れると、近すぎて影をつくった瞳がギラリと光る。



「……生意気なペットには、厳しいしつけが必要か?なぁオイ、……噛みつかれるのは、どっちだと思う……?」


「っ、」



獲物を前にした、獣の眼。動くことさえ許されない私はまるで、虎の前に放たれた非力な仔兎も同然だった。

こんな狂暴な相手に立ち向かうなど、できっこない。

情けないことに、言い返すこともできず目の前の身体を押し退け出口へ駆ける。


「……あれ?ちょ、ナミさんどこ行くのー?」

「…………先に帰る」


私の異変に気づいたサンジくんが慌てて追ってきて、「朝飯の仕込みもあるし、どうせ戻るつもりだったから」と結局船まで付き添った。

その後、他のクルーは一晩を街で過ごしたようだった。



ーー−



「水」

「……水が何よ?欲しいなら、自分でつげば?」


昼下がりの静かなキッチンにて。お湯が沸くのを待っていた私を認めるなり、開口一番男が口にした単語に眉をひそめた。

いつ、戻ってきたのだろうか。昼帰りで姿を見せたと思ったら、この態度。

淡々と突き返すと、ローは舌打ちをしてキッチンに入ってきた。


「あんたは黙っておれの命令に従え。そうすれば、色々具合の良いように扱ってやる」

「なっ、なんなのよあんたいっつも偉そうに…!私はね!男に使われるほど安い女じゃないの!!」

「おれの役に立てるなんて光栄だろうが。それとも、逆らうなら牢屋にでもぶちこんで、徹底的に仕込んでやろうか……?」


腕が後ろから回ってきて、指でヘソの辺りを強く刺激されると、言いなりにでもなったみたいに身体が硬直する。

ふわり、耳の傍で動くその髪や肌から夜の匂いを感じ、途端に呼吸が乱れてしまった。

……この男には、私がオモチャにしか見えないのだろう。



「……な、によ……」

「………………」

「あ、あんたには、私の代わりなんていくらでもいるじゃない」

「………………」

「一晩中、お楽しみだった女にでも、頼みなさいよっ、」

「………………」

「女が誰でも思い通りになると思ったら、大間違いよ。私は、あんたの言いなりになんて、ならない……!」


ぐらり、身体が傾いて、壁に背中をぶつけていた。

目を開けると、昨日と同じ瞳のローが、じとりと私を見下ろしている。



「……なァあんた、自分がおれと対等な立場だとでも、思ってんのか?」

「…………は、」

「キスしてやったからって、おれの女になれると勘違いしちゃいねェだろうな?」

「……っ、なに、そんなことっ、」

「あんたみたいな聞き分けのねェ女は、おれにしか扱えねェ。だから、相手にしてやってんだろうが」

「……な、」

「イイ子にしてたら、その分たっぷり可愛がってやるよ。嬉しいだろう?」



野良猫をなつかせる。そういうつもりなのだろう。

顎を掻いた指先は、撫で付けるように頬や唇を支配する。

ふいと顔を背け、強情に反抗する。私は、犬や猫なんかじゃない。



「おあいにくっ、私を可愛がってくれる紳士で素敵な男って、たくさんいるの。あんたみたいな性根のねじ曲がったやつの言うことなんて、聞くわけ…………」

「…………ない、とでも、言うつもりか……?」

「………………」


鋭い瞳が、簡単に言葉を奪う。

有無を言わせない、低い声。

この男がかける縛りは、私にとって強すぎる。



「あんたは結局、おれに逆らうことなんざできやしねェ……なぜだかわかるか……?」

「………………」


すれすれに近づいたその唇。息だけの掠れた言葉は、見えない蜘蛛の糸みたいに私を捕らえた。



「あんたは、おれのことが好きで好きで、仕方ねェんだよ」


「……っ!!」



そんなわけ、ない。気になるのは、こいつが私の思い通りにならないからで、きっと、それだけ。

この、胸が苦しくなる感情は、今に止まる。私に骨を抜かれるのは、あんたの方。



「おれが、あんたを飼う。……可愛い女に育ててやるよ」

「……なに、言ってんのよ、そんなこと、」

「まだ言うか?いい加減、認めたらどうだ。嫉妬に狂うほど、おれにまいっちまってんだろう?」

「っ、違う…!違うわっ!」

「たとえば今、おれが見つめるだけで、あんたは堕ちる。試してみるか?」

「………………」

「………………こっちを向け…」



顎に添えられた指が、上を向かせる。

抜けるような瞳が私の目を覗きこんだ、その瞬間、



ナミーー……。



男の唇からは甘い声がこぼれ落ちた。



「………………」

「…………わかったか?あんたはおれに逆らえねェ」

「………………」

「ほら、どうなんだ?さっさとおれに服従しろ。イイ子にするのかしねェのか、どっちだ」

「……っ、」

「くくっ、……なァ、ナミ……」




素直に言えたら、昨日のキスよりもっとすげェこと、してやってもいいんだぜ……?





「…………ーーる、」

「あァ?聞こえねェなァ。主の目を見て、はっきり言え」



この男を思い通りにしようなど、あまりに浅はかな考えだったのだ。


思い通りになるのはむしろ、私の方。どんなに抗ったところできっと、暴虐の限りでもって、全てを支配されるのだから。





「…………イイ子に、…………する」





「ご褒美だ」と満足げに微笑んだその口が、キスで私を喰い尽くす。





悪魔の教育






飼い猫に、甘い餌。




END

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