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□一生のお願い
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氷にしたはずの心を溶かす声がした。


嫌いだなー、おまえのその顔。そう言われたときには、どういう意味だと拳の一つでも食らわせてやろうと思ったのだが。

泣きてェって我慢してる顔よりも、泣いてる顔の方が何倍もマシだ。次にそう言われ、大きくなりすぎた氷山はあっという間に決壊した。

敵わない。だって、その胸の中はまるで海なのだから、私の小さな涙粒など、いくつ落としてもいいのだとさえ思えてしまう。


「だっ、て、……できないっ、私っ、」

「やる前からできねェって決めつけんのか?」

「でも…!怖いのっ、怖い…!ごめんな、さ、」

「何も怖くねェ。おれたちがいる。チョッパーだっているだろ。な、チョッパー」

「そ、そうだぞナミ……何も心配しなくていいからな。とにかく、落ち着いて今後のことを考えるんだ」

「嫌っ!無理よっ、できない!!………………産めないっ!!」


食事時でもないのにやけに人口密度の高いダイニングで、私だけが独りぼっちの子供のように泣いていた。

ずっと隠し通せるものではないと思っていたけれど、鈍い鈍いと呆れていたクルーたちが、仲間の変化にだけは鋭いなんて。

洗いざらい吐かされて今に至るわけではあるが、こんなに長い時間同じ場所に止まって話し合いができる連中ではなかったはずだ。

不気味なほど静かで冷静な集団は、私のよく知る仲間とは思いがたい。つくろったような殊勝さが、恐ろしい。


「……おいナミ、ひとつ訊くが…」

「………………」

「相手は、てめェの腹の子のことを知ってるのか?」

「………………」


ゾロの声には返さずに、ルフィの肩に目を押しつける。見かねたロビンが、私の代わりに口を開いた。


「ナミの話では、今3ヵ月だと言っていたわね?確か、彼が来たのはちょうど3ヵ月ほど前のはずよ。ということは、妊娠が発覚してからは一度も会えていないでしょうね」

「ちっ、……ずいぶん勝手な話だな」

「よせよせ、ゾロ。相手の野郎を責めるよりも、今は小娘のことを考えるのが先決だ」

「相手の考え無しに、これ以上話は進まねェと思うがな。おいナミ、てめェはさっき産めねェと言ったが、それもてめェ一人の判断で決められることじゃねェんじゃねェか?」

「おいマリモ、てめェの頭はスカスカのスポンジか?ナミさんだってそれくらいのことわかってるに決まってんだろうが。だが、たとえ産みてェと思ってもここは海の上で、おれたちのことがあるから、ここまで悩ませちまってんだぞ」

「そうやって一人でぐずぐずしてたって、腹の子はでかくなるだけだ」

「だから、てめェの言うその問題の相手が、今度いつ現れるかわからねェから、こうやっておれたちで話し合ってんだろうがよ」

「だったらもういっそ産んじまえ。そんな勝手な野郎には、事後報告だって文句は言えんだろ」

「そんな無茶苦茶言ってんじゃねェ!産むのはナミさんだぞ!」

「けどよーサンジー、結局ナミはおれたちの仲間で、これからもおれたちの船で暮らすわけだろう?だったら、おれ様もそれでいいと思うぜ?面倒見られるやつだって、この船にはたくさんいるんだしな。なんならおれ様の英雄話を子守唄にしてやってもいい」

「私も見たいですねー。ナミさんのベイビー。あ、目はないんですけど」

「っ、…………いやッ!!産めない………ッ!!!」

「「「…………」」」


産むという選択肢が現実味を帯びてきたことで、不安や恐怖といった類いの感情が喉まで一気に駆け上がる。

目の前で握りしめているのはルフィの真っ赤な服のはずだが、それを見ることさえ怖くて、ぎゅっと目を閉じ真っ暗闇に逃げ込んだ。


「そんなのっ、無理よ…!!できないっ、できない…!!」

「な、ナミ、落ち着け」

「産んで、どうするっていうの!?だって、ここは、危険な海でっ、私は、航海士で…!!」

「落ち着いてナミ。ちゃんと聞いているわ」

「ちゃんと産んでやれるかもわからないっ、育ててあげられるかも……!!私には、この子を産む資格なんてないっ…!!」

「ナ、」

「それに…!!それに……!!」



きっと、あの人だって望まない。



頬に光が弾けるような痛みを受けた。見開いた目の前で、ルフィが私をじっと見つめている。

私を叩いたその手でがしりと肩を掴まえて、ルフィは目の覚めるような強い口調で言った。


「おまえ、自分のことは何一つ考えてねェじゃねェか」

「……え?」

「相手がどうだとか、おれたちに迷惑かけるだとか、そんなことはどうでもいい。おまえの腹の中にいるんだぞ、おまえの子どもは」

「………………」

「……おまえ…!おまえはその子どもを、生かすか殺すかで悩んでんだぞナミ!!」

「てめェルフィィ!!少しはナミさんの気持ちを考えて物を言えッ!!!」

「おまえらも少し黙ってろ!!船長命令だ!!!」

「……っ、」


ルフィの声が響く度、頬がジンジンと痛みを訴えた。

私の手は、まだふくらみもわからない腹部へと自然に導かれる。



「……この子を、生かすか、…………殺すか…?」

「そうだ。責任なんて、考えるなよ。おまえがどうしたいかだ。そんで、腹の子がどうしたいかだ。わかるだろ?おまえの腹の子だもんな。どうしたい?ナミ、おまえとそいつ、どうしたいんだ?」


私とこの子。愛しい人と、私の子ども。

生まれてもいない子が、どうしたいかなんてわからない。

でも、たったひとつわかるのは、私の中でもうひとつの生命が、確実に火を灯しているということ。



「………………あ、あい、たい……」

「………………」

「会って、会って……………っ、」



会って、抱きしめてあげたい。



止まっていた涙が、大きな海に落ちていく。

築き上げた氷の盾は、もう見る影もないほどに溶けてしまった。

ルフィはいつかのように私の頭へ宝物をかぶせると、少し掠れたやさしい声で呟いた。


「産んでどうするかなんて、おめェ、決まってるじゃねェか……」

「っ、ぅっ、ふ、」

「産まれて、生きる。それだけだ」

「……ル、フィ……っ、」

「先のことなんてさ、どーにかなる!やりたいようにやるのが一番だ!ナミの子どもならかわいいぞ!チビナミだ!」


あんたはいつだって、私の素直な気持ちを知っている。

人目も憚らずすがりついて声をあげて咽ぶ私を包み込み、ルフィはとても嬉しそうに笑っていた。


「……安心しろナミ!産まれてきたガキはおれ様の弟分にしてやろう!」

「てめェアホか!ナミさんの分身のような可愛らしいレディに決まってんだろ!そうなりゃおれのお嫁さんになるわけだ。万が一男でも、そのときはおれの息子に…」

「ならねェよ!!」

「どうしましょう!私、おじいちゃんなんて言われたら!どうしましょう!」

「おじいちゃんどころか、スーパーひいおじいちゃんくらいだろうよ」

「ボーーン……フランキーさんひどい」

「あれこれ気にしてんのはてめェだけだぞナミ。まァ、ガキ一人増えたところで騒がしくなるだけで、どうってことはねェ。なんつったってうちにはチョッパー大先生がいるからな」

「大先生なんて言われても!嬉しくねェぞ〜!!」

「それに、産まれるまでに彼と会えないと決まったわけではないわ。同じ新世界にいるんだもの。可能性はいくらだって…………あら?」

「……どうしたロビン?」

「……さっきから、能力で外の見張りをしていたのだけれど、なにやらカモメさんたちが騒いでいるわね」

「おれ、見てくるぞ!」


チョッパーが席を立ち、外の様子を見ている間も、私はルフィにしがみついたままだった。

何度も考えた。してしまった結果の大きさに、なかったことにしたい。なかったことにしてしまおうと。

言うに事欠いてこんな危険な海の真ん中で、よりにもよって航海士の自分が身籠ってしまうなど。

何を言われても仕方ない。呆れられ、罵られるだろう。見捨てられるかもしれないと。

ところが誰ひとり、私どころかお腹の中の命すら、見捨てなかった。

ひとりで悩んでいたのが馬鹿らしく思えてしまう。私の仲間は全てを守ってしまうほど、強いのだから。

背中に感じる手のひらが、とても温かい。


「き、ききききっ、!!」

「き?……なんだチョッパー、どうした?」

「か、カモメに聞いたんだ!う、噂でっ!!」

「何をだ?」

「来てるんだよ…!!」

「だから、何が?」


外から戻ってきたチョッパーはなにやら慌ただしく手を動かして、大きな瞳をいっぱいに見開いた。



「白髭の船がすぐそこまで来てるんだって!!!」
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