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□夢の、また夢
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「……ねぇ、今日は一段とニヤニヤしてて気持ちが悪いんだけど、何か良いことでもあったの?」
「おっと……今日のナミさんは一段とストレートで、容赦がないなァ」
「理由を話すかそのニヤけ顔をやめるか、今すぐどっちか決めないと、その無駄口好きな唇をホッチキスで留めて、一生笑えなくしてあげるわよ」
「率直で辛辣な君が大好きさ!」
「縫い針でもいいけど、どうする?」
斜め前を歩く彼女の髪が、ゆらゆら揺れる。その動きにつられるように、後を追う。
彼女が無駄口だと思っているこれもまた、おれの愛情表現のひとつでもあるのだが。
今後愛の言葉を紡げなくなるのはさすがに困るので、おれは即座に消去法で前者を選択した。
「もちろん、君とふたりきりのデートが嬉し…」
「それは知ってるわよ。そうじゃなくて、他にも理由があるんでしょ?私はその、他の理由を話しなさいって言ったの」
言ってないよ、ナミさん。
そう口にするより早く、「ちなみにデートじゃなくて荷物持ち。いい?あんたは私の荷物を持つためだけにここにいるの」と、本物のマシンガンよりも殺傷能力の高いトークが繰り出される。
あァ、そんな君の荷物持ちになれただけでも、おれは幸せだ。
「いやー、なんつーか、笑わないで聞いてほしいんだけど…」
「あんたがそんな面白い話できるとは思ってないから、大丈夫」
「ガキの頃に、オールブルーに関する本をいくつか目にしたことがあるんだが、そのうちの一冊が、この島の出版だったのを思い出してさ」
「…………」
「もしかしたら、なんか情報でも得られるかなーとか…」
「………どうして…」
「え?」
どうして早く言わないの。立ち止まって振り向いた彼女は、少しだけ唇を尖らせてそう言った。
「あんたね、貴重な滞在時間に情報収集しないでどうするの。先に言ってくれれば私だって…」
「今だって、ナミさんと過ごせる貴重な時間でしょ?情報集めなら明日にでもできるし、おれはナミさんとデート…じゃねェや、ナミさんの荷物持ちがしたかったんだもん」
「私とならいつだって……ああ、もういいわ。次のお店のマスターにでも聞いてみましょう」
ナミさんは、怒ると早足になる癖がある。
やっぱりホッチキスでパッチンされるべきだったかなァ…
何がそんなにお気に召さなかったのかわからず、揺れる彼女の髪の毛をただ足早に追いかけた。
ーー−
夕食時ともあって満席を覚悟していたが、内装の小洒落たその店は、やや賑わいに欠けていた。
どうやらそれは、店の中央に陣取っている柄の悪い数人の男のせいらしい。
首や腕にドクロのマークを彫った同業者は、親指の爪を歯に挟んでまじまじとおれたちを眺めている。
「あいつら、ナミさんがお美しいからっておれに嫉妬してんじゃねェか?いやー、やっぱりナミさんの美貌は罪だぜ」
「否定はしないけど、そんな私に荷物持ちをさせられてるあんたに同情してるんだと思うわよ?」
こんなに光栄なことはねェのにな。荷物を空いている椅子に置き、ナミさんに続いてカウンター席に腰かける。
それぞれ注文した酒が差し出されると、乾杯もせずに彼女は厨房の方へ身を乗り出した。
「ねぇマスター、私たち旅の者なんだけど、この辺に詳しくなくて。ちょっと聞きたいことがあるの」
「なんだい?お嬢ちゃん。観光案内くらいならしてやれるよ」
「この辺に、出版社ってないかしら?世界中に本を出版しているような、とっても有名なところ」
「あァ、それならセントラル通りの真向かいに老舗があるよ。でっかいガラス張りに本が並べてあるから、行きゃすぐわかる」
「そうなのね、教えてくれてありがとう」
「ところでどうして出版社なんか聞くんだい?あんたら記者か何か?それとも旅行記でも出そうってのかい?」
「あー、いや違うんだ。ちょっとな、ある本について調べてて」
「へェ、そりゃ、なんて本だい?」
「書籍名を忘れちまったんだが、…オールブルーについて書かれた本だ」
「オールブルー?なんでまたそんなもんを調べてるんだい?」
「あんた、オールブルーを知ってんのか?」
「そりゃまァ、幻の海なんて言われてるくれェだからな。だがあの伝説は…」
「知りてェのさ。オールブルーを見つけるのが、おれの夢なんだ」
店主は少し目を丸くして髭をぴくりと動かすと、「そうか、見つかるといいな。ほらよ、お嬢ちゃんにサービスだ」と笑って、綺麗なブルーのカクテルをテーブルに置いた。
「聞いたか?オールブルーを見つけるのが夢だとよ!そりゃてめェの頭ん中は寝こけてんじゃねェのかァ!?」
背中から聞こえてきた大声の主は、振り返らずともわかる。
この手の話題をゲラゲラ笑って小突き回す連中は大勢いる。参ったな。おれひとりならどうってことねェんだが、ナミさんと一緒にいるときに出くわしちまうと興醒めだ。
「違ェねェ!そうじゃねェとそんな夢物語、信じられっこねェもんな!」
「あー傑作だぜ!いい歳して、オールブルー!?どんなふうに育ったら、そんなガキくせェ脳になるってんだ!まったくよォ!世間を知らねェよなァ!」
「なァおいあんた、姉ちゃんよ!そんなおぼっちゃんなんかより、おれたちの方がよっぽど現実的で大人だぜ?」
「ガキに付き合ってねェで、さっさとこっちに来いよ!おれたちの航海してきた海の話はよ、そんなちんけな夢物語より、ずっとすげェぜ?」
「………………」
「……え、ナミさん…?」
彼女は店主サービスのカクテルを手に取ると、カウンター席を立って男たちの方へ歩いていく。
まさか、あいつらと一緒に飲みたいなんて、言うわけないよな。
……いやいやそんなまさか。
一抹の不安に襲われて、引き止めようと床に足をついた。
ーーその刹那。
彼女は手にしていた青い海を、ひとりの男の顔めがけ、躊躇することもなく浴びせたのだ。
「……なっ、……はァ…?!オイ!!なにしや、っがッッ…!!」
なんとそれに止まらず、彼女はその細い腕を大きく振りかぶって、空になったグラスまで思い切り投げつけた。
男は鼻の頭から、だらだらと血を滴らせて悶絶している。
おれを含めた店中が放心している中、彼女は軽くなった右手を腰にあて、氷も寒がるような声で言った。
「あんたのその、猫の額よりも狭い心と視界の中にでも、今ので少しは見えたかしら?……オールブルー」
全く動けずにいるおれの奥で、同じようにフリーズした店主を、見た目天使な彼女が振り返る。
そして、「ごめんねマスター、手が滑って割っちゃった。でも、私の可愛さに免じて許してくれる?」と、ウインクした。
まったく、なんて人だ。「そ、そ、それはいいがお嬢ちゃん、いや、あんた、」なんて、店主は別の方に胆を冷やしてしまっている。
ふらり、椅子から立ち上がった血まみれ男は、こちらに歩いてくるナミさんを睨み付けた。
「オイてめェ……ちょっと待て。オイ、あんただよ小娘……なァおれに何しやがった?おれが誰だかわかってんのか?懸賞金6千3百万ベリー、“凌虐のアドネ”だぞ…」
コツリ、ヒールを床につけ再び男を振り返ると彼女は、「怖い怖い」といつもおばけや虫や敵に怯え倒しているとは思えぬ勇ましさを見せた。
「私の嫌いな男のタイプは3つよ。1、海賊。2、口先だけで海を語るような小さい男。3、…」
「てめェ…!聞いてんのか!?」
「3、………………仲間の夢を、笑う男よ…」
視界の先で、オレンジ色の綺麗な髪が店の照明を受けキラキラ光る。
なんて人だ。まったく、なんて人だ。どうして君はそうやって、そうやっていつもおれの心の中で、もう君でいっぱいいっぱいの心の中で、そんなに大きくなってしまうんだ。
どうして、どうして。いや、本当はわかっている。おれが君を大好きな理由は、おれ自身がいちばんよく知っている。
「あァ?!何わけのわからねェこと抜かしてやがる!!」
「あら、わからない?あんたはね、その3つ全てにあてはまるの。そんな低レベルな男が、私を口説こうなんて思わないことね」
「なんだと!?」
「だいたいね、夢のひとつやふたつ語れないようなミジンコ並みの極小男なんて、目にも入らないわ?現実しか追いかけられない男なんて、つまらない。おわかり?」
「はァ!?オイ、てめェまさか本当にその男の言うオールブルーを信じてるってのか!?オイオイてめェも脳内お花畑かよ!こりゃあ参ったぜ!あるわけねェだろそんなの!夢見すぎて頭腐っちまったんじゃねェのか!?」
そろそろ潮時だ。おれのことならまだしも、彼女まで罵られるのは許しておけない。
降りかけていた椅子から降りて、男に向かって歩いていくと、彼女のしなやかな背中に、ぐっと力が入った。
「ある……」
「あァ!?なんだこの女、可愛いのは外面だけだな!とんだマヌケおん、」
「あるわよ!!オールブルーは、絶対にあるわ……!!!」
「はァ…!?まだ言ってんのか!?」
「私は、世界地図を完成させなきゃならないんだもの……!奇跡の海だって、描きおこしてみせる!必ずあるわ!今まであると信じて、無かったことなんて一度もないっ!あんたたちは、信じようとしないから、見つけられないだけ!!」
「うっせェんだよ!このクズ共!馬鹿みてェな夢を探す前に、てめェらはここでお陀仏だ!好きなだけ夢見させてやるよ!墓の中でなァ!」
「……へぇ、そう。できるもんならやってみなさいよ、えーっと、……“極小の、アドネ”さん…?」
「ッ、言ったなてめェ、調子に乗ったこと、後悔させてやる…!!」
その汚い指が、彼女に触れることは一生ない。
雄叫びをあげる男の顔面に一発、右のシュート。彼女の綺麗な髪だけが、おれの傍でふわりと揺れる。
「……彼女を口説こうとしたこと、後悔するのはてめェだ、ミジンコ野郎」
「違うわよサンジくん、“極小のアドネ”。私が改名してあげたのよ」
「だよね〜!そんなネーミングセンスのナミさんも好きだ!」
「さ、とっととずらかるわよ?思った以上に騒ぎになりそう」
「あいあいさっ!」
再びの静寂を見せた店内で素早く荷物をまとめるおれたちに、店主のポカンと空いた口から声がかかった。
「あ、あんたたち…」
「悪かったな店主。あそこで伸してるやつ、ありゃ賞金首らしいから、海軍が来たら換金してくれ。店の修理費と飲み代くらいは賄えるだろ」
「じゃあねマスター。御馳走さまー」
「い、いや、それはいいんだが……あんたたち、いったい何者なんだい…?」
「あー、ただの夢見がちな連中と、すっっげェ美女の集まりだ」
「私たち、海賊なの」
空いた口が塞がらなくなってしまった彼にもう一度手を振って、おれたちは店を出た。