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□白い魔物
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雪のようだーー。



白い手足もすっと通った鼻筋も、爪の小さいのも乱れた髪が光るのも。


まるで、そう、今この瞬間しゃんしゃんと空に舞う、沫雪だ。

油断すると人の肩に降り積もり、気づけばどこかへ行ってしまう。しとどに濡れた跡だけを、この身に残して。


あっという間に、消えて無くなる。





「苦しそうだな、ナミ」

「あァ」

「起きねェなー」

「病人だからな」

「代わってやれよ、ゾロ」

「無茶言うな」


できるなら誰だって、この船にいる誰だって、そうしているに違いない。

外に出れば、髪も凍るほどに寒い。それなのに、額に汗をにじませ目の下を赤くする女は、灼熱にでもいるようだ。

そんな姿が珍しいのか、頬や首をペチペチ叩き「熱い、熱い」とルフィは言う。

苦しみに悶える女の顔からは、一切視線をそらさない。

まるで、この女が誰よりも大切だと言うように。まるで、この女を守るのは自分だとでも言うように。

しきりに、しきりに顔を覗きこむ。

この、触れれば溶けてしまいそうな女に触れることができる、自分以外の人間。

「笑ってくれ」と女のためにあれこれしてみせるその男に、ちぐはぐな感情が頭をもたげる。


ーー他人の心配や庇護など、届かなければいい。

ーー自分以外の人間には、愛されなければいい。


ひどく湿気ったみすぼらしい情念が、トグロを巻く。

その身を侵す得体の知れない病さえ、妬ましい。

その女のことならばなんだって……


……生死だって、自分のものにしてみたい。



「……見てこいよ。ここはいいから」


見張りの仲間の知らせは、3日も待ち望んだものだった。島だ島だとせわしなく素足を揺らすルフィにそう言えば、やっと女のもとを離れて階段をかけ上る。

今までルフィが座っていた椅子を寄せ、ベッドに腕をかけると、女の顔がよく見えた。


「…………ナミ」


名を呼ぶ。血の気の失せた唇の隙間からただ細い息を吐き出すだけで、返事はない。

こめかみから、枕に散った髪を辿る。眉の頭がぴくりと揺れ、長い睫毛の間から瞳が覗いて目が合った。


「あ、れ……ゾロ…?」

「おれじゃ不満か」

「………みんなは…?」

「島が見えたんで、見に行った。水でも飲むか?」

「いらない……暑い…」


ナミの手によって、首もとの布団が無造作に払われる。

半開きの口から漏れる吐息、寝乱れて皺になったシーツ。

緩んだシャツの隙間からは、呼吸に合わせて動く鎖骨に汗の甘い匂いが染み付いている。

寝苦しさにもぞもぞと身動ぐのは、見ている者に柔な身体の線を意識させる。

これは、男の身勝手で馬鹿な妄想に他ならないが。

熱い目元が、いかにも誘っているようだった。


「おまえ、熱で身体火照ってんじゃねェか?」

「……見りゃ、わかるでしょ…」

「ヤってるときとおんなじ顔だぜ?」


途端にむせた女が潤んだ瞳で睨むから、「抱いてやろうか」と笑ってやると、「お断り」とそっぽを向く。

晒された耳から肩にかけての線が、無防備すぎる。爪痕でも残してやらなければ、隠そうともしないだろう。

ルフィは、ここでずっと、この光景を眺めていたのだ。

おれの女の、この光景を。



「……寝てる間になんかされたかもしんねェな」

「……誰に?……何がよ……」

「さっきまでずっと、ルフィがおまえの様子見てたんだぜ?」

「へぇ……看病なんて、できたのね……」

「さァな。どんなやましいこと考えてたんだか」


少し黙った女が、低めの声で「何が言いたいの」と投げ掛ける。

何が言いたいのか、口から出るのも頭に浮かぶのも全て憶測でしかなくて、支離滅裂で、自分にもわからない。

ただ、ひどく湿気ったみすぼらしい情念が、心臓にがぶりと噛みついて離れない。

放っておけば、そのうち全てを喰い尽くされてしまうだろう。


「んな色っぽいカオ、おれ以外の野郎に見せんなっつってんだよ……」


図らずも語気の強く なった言葉を受けて、振り向かせた女は息を飲み込む。

責めるのが理不尽だとはわかっている。だけどやはり、おれをこんな腑抜けにさせる女に罪がある。


「………そんな、つもり…」

「だいたいな、てめェは日頃の鍛え方が足りねェから変な病気にかかんだよ。いっつも布一枚みてェな薄い格好でうろうろしやがって。どうぞ取り入って下さいとでも言ってるようなもんじゃねェか。病気にも、男にもだ」

「……ちがうに、決まって…」

「そんな状態で説得力もくそもねェぞ。人には死に急ぎだのなんだの散々言っといて、本人がそのザマとは、情けねェにもほどがある。……そんなに死にてェのか、てめェは」

「し、死なない……死ねない……っ、」

「じゃあ、……」




治してみせろ。




雪のようだ。突然落ちてきて、あっという間に消えて無くなる。

白い手足もすっと通った鼻筋も、爪の小さいのも乱れた髪が光るのも。

綺麗ともてはやされて、夢幻のようにいなくなる、天の花。

この女の存在は、雪のようで恐ろしい。



「…………言われ、なくても……」

「………………」

「治すわよ………」

「………………」


誰のために生きるのか。この女の心の奥に問いかけても、自分のためという答えはない。

いつだって、何かのため、誰かのため、村のため、仲間のため。

…………今だって。




「……治さなきゃ……ビビのために……」




あァ、これだから腹が立つ。呆れるほど頑固で、向こう見ずで、お人好しで……



「それから、…………






あんたは、私がいないと、死んじゃうから…」






「………情の深い女だな…」

「あんたこそ、懐の広い、男だわ……」


そうでもないさ。おれは、こうしておまえひとりを包み込む広さしか、持っちゃいない。


「おまえはおれのもんだ。たとえ死神が奪いに来たって、渡してやるつもりはねェ」

「神なんて……信じてない、くせに……」

「あァおれは、おまえを信じる…………だからナミ、」



おれのために、生きてみせろ。



荒い息をしながらも、微笑みに変わった口元。

覆い被さって近づくと、「ばかね、染る」と言うので「染せ」と言って合わさった。

こんなに熱くて、雪は溶けてしまわぬだろうか。

おれはただ、この儚い生き物に狂わされ、心を奪われた。



白い魔物




全てはこの胸に降り積もる、たまゆらの雪のせいなのだ。




END

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