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□シュガーコーティング
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甘い匂いがしたのは、間違いだ。
口にすればひどく苦くて、胸の奥がじりじりと軋み出す。
羽織っただけのシャツを握りしめ、眠りに落ちる体温に埋もれていったあの日の夜。
君は、おれの鎖骨に爪を立て、ただ一言「好きな人がいるの」と呟いた。
「……知ってるよ」
「やっぱり知ってたのね。あんたに隠し事はできないわ」
「おれはね、ナミさんのことならなんでもわかっちまうんだよ」
「……応援、してくれる?」
「もちろん……君が望むのなら」
豊かな絹の髪が、掬った指の隙間から溢れ落ちていく。
彼女は伏せた瞳に少しだけ笑みを乗せ、ここではないどこか遠くを見つめていた。
長い爪が、カリリと皮膚にヒビを入れていく。
「サンジくんって、甘い匂いがするのね」
甘くて、とてもやさしいの。そう言ってキスをせがむ唇は、この世の何よりも柔らかく、残酷だった。
ーー−
「あんたはどうなの?」
「あ?」
「だから、好きなタイプとか、好きな人の話よ。惚れてる女とかいないの?」
天から降ってきたそんな話題で、宴の席は盛り上がりを見せていた。
さりげなさを装って話を振ると、面白みのない男の顔をチラリと伺って、彼女は小さなグラスを握りしめる。
「まァ、………」
「えっ…!?ちょっとなにそれ!?いるの!?」
「嘘だろ!?ゾロにそんなやついたのか!」
「へェ、獣でも人並みに恋とかするんだな」
「どういう意味だ!」
「どうもこうも、そのままだ。人語も解せねェのかてめェは」
「あァ?!」
相手が誰かなど火を見るよりも明らかで、問うまでもないのだが。
何も知らないふりをして、忙しく手元に目線を移す。彼女はオレンジを愛らしくあしらった酒には見向きもせず、男の顔を食い入るように見つめた。
「だっ、……誰よ?その女って……」
「……さァな。まだいるとも言ってねェだろ」
「ちょ、ちょっと!教えなさいよ!」
「…………てめェは…」
「え……?」
「そう言うてめェはどうなんだ。なんだかんだ、惚れてる男の一人や二人、いるんじゃねェのか?」
「…………そ、それは…」
言葉に詰まった彼女が、チラリと視線を寄越してきた。
おれに、助け船を求めているのだろう。あの日のいたいけな瞳がよみがえる。
“応援、してくれる?”
「そういや最近、ナミはサンジとばっかつるんでるよなー」
「……え?」
「んん?だからかなァ?匂いまで似てきたんじゃねェか?なんつーかこう、旨そうな、」
甘ェ匂い。
何の考えも無しに、あるいは何か思うところがあるのかもしれない。
何気なくルフィが放ったそれに、辺りは一瞬だけ静まりかえる。
「へェ…?」
「あっ!おまえら内緒で甘ェもん食ってんだろ!ずりィぞ!」
「え、えええ!?ま、まさかナミとサンジが…?そ、そういう関係なのか!?」
「ちょ、ちょっと…!勝手に話を進めないで!」
ーーあァ、違うよ。
一言、そう言ってやればいい。
おれと彼女はあくまで身体だけの関係で、そこにあるのは情であり、愛ではない。
少なくとも、彼女が“そうなりたい”と願っているのは、おれではないのだから。
「まじかよ!それならそうと言ってくれりゃいいだろォ?今さら恥ずかしがることでもなし!」
「だからウソップ!私たちはそんなんじゃ……!ちょっとサンジくんもなんとか言ってよ!」
ーーあァ、違うよ。
わかってる。おれと君は、ただの仲間だ。そうだよね?
「ーーあァ、そうだよ…」
煙草の苦いのを吐き出せば、出てくる言葉も泥の穴を抜けたようなものだった。
「……え?」
「おれとナミさんは、深い仲だ」
「……ちょ…!」
「たとえナミさんに、惚れてる男の一人や二人いたってなァ、おれには、ナミさん一人だぜ?」
「サンジくん…!!」
「今さら隠すことねェさ……おれは知られたってかまわねェ。だって、」
本気なんだから、君のこと。
「………………」
…………どうして。
彼女の唇がそう動いたような気がして、やさしく微笑みを浮かべてやった。
細かく左右に揺れるその瞳に映ったのはきっと、偽善を纏った裏切りだ。
「…………そういうことかよ…」
「…………ゾロ…」
「……ーーねェ…」
「………………」
「惚れてる女なんざ、いねェよ……」
……いるわけねェだろ。
酒瓶を乱雑に放ると、男はおれたちの横を通りすぎていく。
全ての興味を捨てたような、醒めた眼差しを残して。
「どうして……あんなことを言ったのよ……」
「………………」
「応援してくれるって……言ったじゃないっ、」
君はいつだって、気がつかない。
この両手が創造するのは、舌の上ではとろけるようにやさしいけれど、喉を焼き尽くすほど苦いもの。
まるで砂糖のような男だなんて、ついついつられてやって来てしまったのかもしれないけれど。
甘いところは残さず全部、鋭い爪で剥がされて、君の唇の奥に消えてしまった。
「どうしてって……だっておれは……」
嘘なんて、たったのひとつもついていないよ。
シュガーコーティング
甘い匂いがしたのは、間違いだ。
END