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□恋は、稲妻みたいに落ちてくる。
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稲妻みたいに落ちてくる。そんな恋があってもいいじゃない。
刺激的な誘惑になら負けてあげてもかまわないから、私もいつか、溺れる愛をしてみたい。
誰も想像できないでしょう。天涯魔性の裏切り女が波の音色で感傷に浸っているなんて。
シックな表紙の小説では、私達のような敵同士、愛欲に溺れるのがセオリーなのよ。
なのにねえ、どうすれば巡り会うことができるのかしら。そればかりを思っているの。
どんなに探したって、そんな海はあなたの中に見つからない。
「おまえを気に入った!泥棒猫、ナミ!」
「…………」
「おれのところへ嫁に来い!」
厳めしい海賊旗の後方で、カモメが呑気に鳴いている。
見知らぬ男の顔よりも、数時間後に降る雨の気配が気にかかる昼下がり。
「………………」
「嬉しくて言葉も出ないか?おれは、おまえに惚れたんだ!」
ああそうだ。霧のように潮風にさらわれてしまったから、理解するのに時間がかかった。
風船みたい。かわいらしくそう例えてみたところで、所詮は重みのない言葉。
「………………」
「さあ来い、おれの船に!」
「……悪いんだけどねぇお兄さん、“あんたじゃない”のよ」
「そうだぞくそ野郎!ナミさんを嫁にするのはてめェじゃねェ!おれだ!!」
「あんたでもないわ、サンジくん」
「ナミー、話終わったかー?おれ早く飯食いてェんだ」
「ええルフィ、どうぞお好きに」
襲撃ついでにプロポーズだなんて、近頃の海賊業界はお手軽だ。
久しぶりのカモだと浮き浮きしていた今しがたの気持ちはどこへやら。
なんだか付き合いきれなくなってしまって、飛び出していったルフィと入れ違いにダイニングへ逆戻り。
背中では、「必ずおれのものにしてみせる!」なんて言葉が、霧吹きから吹き出た水のように散らばって消え去った。
“あんたじゃない”そう言ったことに嘘はない。
私が求めるたった一人は襲撃魔の頭でも、惚れっぽい料理人でも、ましてや隈の濃いあの男でも、未来の海賊王ですら、ないのだから。
星の数ほどの口説き文句はどれもこれも、風より軽くて満足なんてできないし。
歯の浮くような台詞だって、相手が彼なら一生心に留まって、飛んでなんていかないのにね。
「ねぇ、どうしてマルコは私と付き合ってるの?」
他意はない。今さら何かを責める気もさらさらない。ただ、そうなってからずっと、ぼんやり抱いてきた素朴な疑問を口にした。
灯した炎で闇が揺らめいて、少し痩せた彼の横顔に時折影をかけている。
「どうしたんだよい、急に」
「いいから教えて」
「おめェ…そんなもん、どうして海は青いのかって質問と同じくらい難しいだろい」
大人はずるい。なんだって知っているくせに、何も教えてなどくれないから。
この、困ったような顔を見る度に思ってしまう。きっと私たちは、どこまで行っても答えの出ない関係なのだ。
「…………」
「……ナミ?」
「この前、プロポーズされたのよ。うちの船を襲いにきた海賊の船長に」
「…は?」
「嫁にしたい理由はね、私に惚れたから。それだけですって」
「…………」
「そりゃあ私がモテるのはいつものことだし?全然、これっぽっちもときめかなかったわ?……でもね、」
「…………」
「………でもね、何も言ってくれない男よりは、マシじゃない…」
「…………」
「だってマルコは……」
私と付き合っていることに、理由なんてもってないんだから。
波が船縁に打ち付ける音が、男たちの陽気な声に入り交じって聞こえてくる。
「……そういうことかよい…」
声のした方を見上げると、冷たい目で見下ろしている男の顔。
女心は、移り気な猫の瞳と同じだろう。私はさっき、何かを責めるつもりはさらさらない と思っていたが、そんなことはとうに忘れてしまったのである。
「…そういうことって何?」
「おめェが何を言いてェのか、だいたいの想像はできた。他の男に言い寄られたのを今まで黙っていた理由もな」
「話を、すりかえないないで。どうでもいいでしょ、今は、そんなこと」
「どうでもいいことねェだろい。じゃあ聞くが、どうしてすぐに言わなかったんだ」
「どうせマルコには興味のない話でしょ!?そんなことより、まずは自分が私の質問に答えなさいよ!」
「おめェ、そいつにほだされてんじゃねェのかよい!?だから急におかしなこと聞いてきたんだろい!」
「はぁ?!おかしいのはあんたの方よ!なんで私が逆ギレされなきゃなんないの!?」
「おめェが話をそらすからだろい!その男とやましいことでもあんのかよい!?どうなんだ!?」
「バッカじゃないの!?都合が悪くなったからって話そらしてんのはあんたでしょ!?私のことが好きじゃないならそう言いなさいよ!あんたじゃなくたってねっ……相手なら、いくらでもいるんだから!」
目の前にこの男がいるだけで、自分の仲間や白髭のクルーさえ消え去って、この世界はふたりになる。
惚れた方の負けというのなら、とっくに白旗を揚げなければならない立場にあるらしい。
これが負け惜しみというやつで、小説のような稲妻を期待した私が、間違っていたのだろう。
「おれはーー…」
現実の世界は、蜂蜜みたいな色なんてしていない。そんなこと、心のどこかで気づいていたのに。
風がいつもよりしょっぱく感じる。おめェが嫌なら、やめてもいい。今にも容易くそう吐いてしまいそうな唇を、息もできずに見つめていた。
「よォ!迎えにきたぜ、おれの花嫁!」
怪物のうなり声のような音を響かせ、黒光りした大砲が海を揺らした。
煽られた船でよろけた私を、マルコの腕が抱きとめる。
もう何度も味わった。こんなときにやってくるのは、決まっていつも、呼ばない嵐だ。
「あの男かよい……」
そう呟いたマルコの肩を、青い炎が走って覆う。
きっと世界中の神様は、天が退屈なせいで人間にちょっかいばかりかけるのだろう。
世界最強の男が率いる海賊団と、世界一の型破り一味の中に乗り込んでくるなんて、神に選ばれし哀れな男だ。
「今のは祝砲だ!今夜、おれとおまえは結ばれる!晴れて夫婦になるのさ!」
「あっ!おまえ!また来たのか!しつけェなー!」
「そいつの相手はおれだよい、エースの弟…」
「んん?そっか…?ならいいぞ。そいつめんどくせェんだ」
「ナミ、おめェはここを一歩も動くな」
「…あ、ちょっと…!」
ゆらりと立ち上がりルフィの前に歩み出たマルコを、この騒ぎに少しも動じる様子のない白髭が、酒を飲みながら横目で眺めている。
男の瞳がマルコを写して鋭く横に引かれていく。ふたりが対峙すると、囃し立てることさえ忘れたかのように、海の上が静寂に包まれた。
「……おいあんた、おれの花嫁にずいぶんなれなれしいじゃねェか」
「おめェの嫁がどこにいる?寝言は寝て言うもんだよい」
「噂には聞いてるぜ?白髭の従順な部下、不死鳥の隊長さんよ。あんた、その女のなんなんだ」
「おめェこそ、どんな了見でここにいる?答えによっちゃ黙って帰すわけにはいかねェぞい」
「なぜおれがここにいるのかだと?ハハッ、そいつは愚問だなァ!よく聞けよ、おれはな…!」
あんたから、その女を奪いにきたーー
瞬間、青い閃光が弩の矢のように夜の海を駆けていった。
既視感にも似ている。何度も見てきたやさしい青の灯火が、何よりも熱をもって飛んで行く様を、私は開いた唇の間から声ひとつ出せずに凝視した。
言うなれば、荒波だ。鬼の唸りのようでいて、空の叫びにも聞こえてくる。
勝負は一瞬で、男を船板に叩きつける瞬間のマルコの瞳は、背筋も凍るほど冷酷だった。
「ちょっ、……どこ行くのマルコ…!」
「…………」
「痛っ、…ねぇってば!放して…!」
見るも無惨な残骸を背に真っ直ぐ戻ってくると、マルコは私の腕を掴んで引きずるように甲板を進み、船室へと向かった。
触れた部分から痛いくらいの熱気と圧迫が身体を伝う。彼の力がこんなに強いことを知らなかったと言ったなら、笑われてしまうだろうけど。
無理もない。彼が今日のように荒々しく私に触れたことなど、ただの一度もなかったのだから。
「もうっ…!いい加減にーー!」
何を言っても無言のマルコに苛ついて、誰もいない通路を通って自室に入るなり固く掴まれた腕を振りほどく。
ところがマルコはさらに強い力で私を壁に押さえつけ、小言も息もその乾いた唇の奥に全てを飲み込んだ。
「……少し、黙れよい…」
「…………」
「勝手に変な妄想抱いて、あんなくだらねェ男に目移りしやがって」
「…………」
「おめェをおれから奪い取る力もねェ、口だけの男のどこがいい」
「…………」
「疑うも裏切るも自由だ。だがなナミ、おめェが“おれの女”をやめられると思うなよい」
「…………」
私もいつか、溺れる愛をしてみたい。
そんなことを思って感傷に浸っていたけれど。
探していた愛欲とかいう海は、彼の中で息を殺して、私の足が取られるのをずっと待っていたのだろう。
「おめェと付き合うのに理由がいるなら、教えてやるよい。簡単なことだ…わざわざ口に出す必要もねェと思ってた……」
広い手の甲がするりと頬を撫で、私の癇癪がたちまち胸の高鳴りに変わっていく。
伏し目に見下ろす瞳から目を放せないまま、焦らすように吐息を吐いたその唇に問いかけた。
「理由って……何?」
熱を残した唇の手前で、甘い息の音が響いたときーー
「おめェを、おれのもんにするためだろい」
私の中に、雷鳴が轟いた。
恋は、稲妻みたいに落ちてくる。
「他の男に揺らぐとは、甘くしすぎたようだねい。今夜は心しておれの罰を受けろよい」
「ちょ、ちょっと待ってマルコ、話を…!」
「言い訳はベッドの中で聞いてやる」
END