剣と虹とペン

21
1ページ/3ページ


21

「検事さんよお」

 夕闇町殺人事件の捜査会議が終わったばかりの警察署廊下。検事局に戻るべく急ぐ御剣の後ろから太い声で呼びかける男がいた。
 振り返ると、黒いレザーパンツに両手を入れた男が肩をそびやかせて立っている。同じ会議に出ていた西鳳民国の国際捜査官、狼士龍だった。

 夕闇町では、西鳳民国の組織も絡んで凶悪事件が頻発し、殺人も今年2件目となる。不夜城で繰り広げられる組織抗争、狼はその合同捜査のため隣国から出張してきている男だ。

「アンタ、大丈夫か?」
 狼はサングラスをさっと取ると御剣を見据えた。きりりとつり上がった眉に、力のある強い眼差し。黒服の部下が大勢整列して後ろに控えている。

「ム‥‥‥。なんのことだろうか」

「こっちでアンタの妙な噂が立ってるぜ」
「私の、噂‥‥‥?」御剣は反射的に眉間に皺を刻む。
「検事さんはオボッチャマだからなあ」
 狼は白い歯を見せてにやりと笑った。

「な。なんの話だ」
「あんまり入れ込むなよ。捜査に集中してもらわねえと、こちとら迷惑なんだよ」
「なんの話かと聞いている。言いたいことがあるならはっきり言いたまえ!」
 御剣は体を斜に構えて狼を睨みつけた。

「ハッ! アンタが夕闇町に入り浸ってるって噂のことだよ。ガラにもなく女のことを聞き回ってるらしいじゃねえか」

「ぐ‥‥ムムッ‥‥」
 苦しげに呻く御剣に、狼はまた含み笑いを浮かべた。
「あの街にお気に入りの女でもできたんだろ?」
「ミスター・ロウ!」御剣は頬を赤く火照らせながら叫ぶように言った。「そのような根も葉もない噂を本気にしないでいただきたいッ!!」

「アマいな!」
 
 狼は腕を振り下ろして御剣の前に人差し指をつきつけた。
「オレの部下達も見てるんだよ! アンタが歓楽街のスミで捨て犬みてえにウロウロしてるのをな!」
「すす‥‥捨て犬‥‥‥ッ」

 狼は軽くあごを上げ、後ろに一糸乱れず整列する部下に軽く目配せする。「だろ?」
「応!!」男達の低い声が廊下に響き渡った。
「オレたち相手に、捜査だっつう言い訳は通用しないぜ!」
「ぐぬぬぬぬ‥‥‥」
 御剣は赤い顔をしたまま目を剥く。

 狼士龍はすかさず顔の前で巻物をさっと引き伸ばした

「狼子曰く! “執着は悪なり”」

「‥‥‥うぐぐッ」御剣は何も言い返せずに目を白黒させている。

「身を滅ぼさない程度にしとけよ。はっはっはっはっはっ!」
 狼は金の龍が刻まれたジャケットの肩を大きくゆすって、高笑いしながら去っていった。その後ろを足並みをそろえて黒服の部下が従っていく。
 御剣は肩で息をしながら廊下の真ん中に立ち尽くした。

 彼が夕闇町に足しげく通っているのは事実だった。まさしくあの男の言うように捜査ではない。時間ができると近くの駐車場に車を止めては、奥まった路地をぐるぐると歩き回ったり、いかがわしい店に入って話を聞いたりしている。通りを見渡せる深夜営業の喫茶店で時間をつぶすこともあれば、情報屋を呼びつけて話を聞くこともある。その理由は‥‥‥ただ一つ‥‥‥。

 奈理。

 彼女に渡したいものがあるからだ。それから話をして‥‥その‥‥‥。

「あのオオカミオトコ、エラそうになに言ってたッスか?」
 会議室の片付けを終えた糸鋸が、鼻息荒く声をかけてきた。御剣はそれには答えず、糸鋸を払いのけてむっつりとした表情のままそこを後にした。


 ◇ ◇ ◇


 その数日後、御剣宅の寝室。サイドテーブルに置いた携帯電話が鳴る。御剣はうす明かりの中、ベッドから手を伸ばした。かつては昼間のように煌々と照らされていないと眠りにつけなかった彼も、いつからかこの程度の明かりで休めるようになっていた。



次へ
前の章へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ