剣と虹とペン

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 御剣は人垣を離れ、ポケットから携帯を取り出した。心拍数があがり、体温が上昇してくる。上空を通過していくおそらく報道ヘリの轟音が携帯の音をかき消すたび、彼は強い苛立ちにおそわれた。奈理の電話は何度かけてもツーツーツーという不通音が繰り返されるだけだ。

『負傷者などの情報は入っているでしょうか?』

 アナウンサーが問いかけ、御剣は反射的に画面に目を戻した。

『はい。かなり大きな爆発が発生したため、検察と同行のマスコミ全員が巻き込まれたものと思われます。犯人側や通行人も含めて多数の負傷者が出ており、現在わかっているだけでも心肺停止のかたが3名、重体のかたが数名』

 全員が巻き込まれ―――心肺停止3名―――!

 御剣は片手で口を覆った。
 テレビの音声が、カフェテリアのざわつきが遠のき、視野がどんどん狭くなる。これから公判はあったか頭の中が真っ白になって、どう考えても思い出せない。彼は我知らず取り落としそうになっていた携帯電話を持ち直して、事務官の番号を押した。その指は小さく震えていた。

 応答があると、彼はやっとの思いで声を絞り出す。
「み、御剣だが」
「あっ、はい」
「今日はこの後、裁判はあっただろうか」
「ええと。どなた担当の裁判のことでしょうか‥‥?」
「私のだ!」

 事務官は、はじめての質問に面食らったのかしばらく沈黙したあと「ありません」と答えた。公判がなければあとはなんとでもなる。御剣は緊急の用事で外出すると告げ、電話を切ろうとした。

「おっ、お待ちください!」事務官はすがりつくように言った。
「なんだッ!」
 御剣は声を上げ、カフェテリアの人だかりが一斉に振り返る。
「け、検事局長が先ほどからお探しです」
「ム‥‥何の用件だ」
「1時からの記者会見に同席してほしいと‥‥爆発事件の」

 御剣はそれにはもう返事をせず電話を切った。直後にかかってきた局長からの電話にも出ず、駐車場へと急ぐ。
 彼は運転席で幾度か深呼吸を繰り返したあと、エンジンをかけた。



 ビル前は、火災現場独特の強い臭いと、目に染みる煙が立ち込めていた。初動の機動捜査隊と消防士が、時折怒号を上げながら慌ただしく行き交っている。ビルの破れた窓から炎はもう見えないが、黒煙の勢いはまだ強く、梯子車からの消火活動は続いている。
 御剣は、放水のためあちこちにできた水たまりを跳ねながら走り回っている糸鋸を見つけると、大声で呼びつけた。

「イトノコギリ刑事ッ!!」

「あっ、検事殿! ご苦労さまッス!」
 糸鋸はハタと立ち止って駆け寄ってくる。
「今どんな状況だ? 負傷者は?」
「今やっと重傷者の搬送を終えたところッス。御剣検事に報告入れようとしたッスけど、このあたり一帯は今携帯がつながらないッス」
「搬送先は?」
「検察のかたでしたら、みなさん運よく軽傷でほとんどのかたはあそこの救護所に‥‥」
 消防車の奥にブルーシートが引かれたエリアが見えた。スーツ姿の男性たちが座って処置を待っている。

「検察ではない!」
「へっ?」
「マスコミ関係者だ。搬送者名簿は!!」
「え? マスコミッスか? 名簿なら今ちょうど消防から預かったとこッス」 
 糸鋸は脇に挟んでいたバインダーをガサゴソとめくる。

「貸せッ!」

 御剣はそれをひったくった。性別や年齢や名前などのうちわかるものだけを記載した一覧だ。煙のせいか目が霞み、指でなぞりながら必死に文字を追う。負傷の重症度を示すトリアージ区分も書き込んである。カテゴリーVが軽症、数が減るにつれて重篤となりTが重症群だ。

「なぜこんなにマスコミに重傷者が多いんだ‥‥」
 御剣はカテゴリーTが並ぶ名簿を見てつぶやいた。
「背後から爆薬を投げ込まれたらしいッス。御剣検事、大丈夫ッスか? 顔色がモノスゴク悪いッス」

 名前も年齢も所属もわからないが、女性は2名搬送されている。1人は堀田クリニックと、もう1人は伊丹大学病院。いずれもトリアージT区分。

「検事殿、どこへ!?」

 御剣は糸鋸が呼び止めるのもかまわず身を翻した。

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