囚人検事と見習い操縦士


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 久しぶりに見る囚人以外の生きもの‥‥。粋子は夕神と二人きりという緊張感が解けて、ほっとしていた。とても高い位置に彼の肩があり、そのさらに上から黄色く丸い目が彼女を見下ろしている。ちゃんと縞々のバンダナもついていた。

「ギンちゃん。元気だった?」

 粋子は背伸びして言った。タカはその言葉に応じるように、翼を軽く動かしたかと思うと、彼女の頭上に飛び移った。
「きゃっ! なにしてんの!」
 髪をぎちっと掴まれ、粋子はヨロヨロとよろけた。

「おめえさんの立場をわからせてンだろうよ」
「え。私のほうが下ってこと?」
「まァ、そういうこったなァ。ククッ」
 夕神は心底おかしそうに笑う。
「ええっ。ひどい、ギン」
 彼女は頭の上に手を伸ばし、むくむくした背を撫でる。ギンは逃げなかった。温かい。優しい温かさだった。


 ◎ ◎ ◎


「ギン!」

 ひえ。粋子は、いきなりの夕神の声に、鳥と一緒にびくっと飛び上がった。翌朝のキッチンでのことである。

「おめえさん。今、ギンになに食わせやがった」
「こ、こ、コーンビーフの缶詰‥‥」
「そんな塩っからいもン食わせんじゃねえ!」
 夕神はテーブルに乗るギンの前から缶をひったくる。

「でも、ギンちゃんが食べたそうに‥‥」
 椅子に座っていた粋子は縮こまって言った。
「このユガミの相棒を手なずけようたァ、百年早ェんだよ!」
 低い声で怒鳴りつけられる。この人はギンのこととなると本当に恐い。相棒だなんて今初めて聞いたし、「そんなつもりじゃ‥‥」と小さい声で言い訳したが無視された。

「ギンもギンだ。のこのことこんな小娘について‥‥」

 ギンも、粋子と一緒にしゅんとなった。ぶつぶつと言いながらも、男はまたケトルをヒーターの上に置く。怒りが少しおさまったように思えた頃、彼女は声をかけた。

「ゆ、夕神さん‥‥」 
「なんだ」
「ギンちゃんとも今話してたんですけど‥‥‥」
「あァ!?」
 まだ不機嫌そうだが、大事な話だ。流し台に腰を預け腕組みしている夕神の目を見上げて、彼女は頑張って続けた。
「ぎ、ギンちゃんに通報してもらったらどうですかね? 足に『せせらぎ美術館に助け求む』とかなんとかメモを結んで‥‥ねえ。ギンちゃん」
 粋子は猫なで声で言って、そっとギンの翼を撫でる。

「ギンは伝書鳩じゃァねェぞ!」
「でも、頭いいんですよね。だったらひとっ飛びして‥‥」
「いいかァ。里まで飛んだところで、ギンがどうやって人に近づけると思ってンだ。タカが人に向かって来たとなっちゃァ、ヘタすりゃァ撃ち殺されちまわァ」
「あ」
「ギンにそんな危ねェ橋を渡らせられるか!」

「そっか‥‥そうですね」
 慣れない人にとっては、タカの鋭いクチバシと爪で襲われるようにしか思えないだろう。バンダナをつけていてもその意味がわかるわけもないし‥‥。
「ごめんね、ギン。ヘンなこと言って」

 彼女は気を取り直して、ニュースを探してラジオのダイヤルを回した。ギンがカツカツとテーブルを爪でひっかきつつ、ラジオに近づき興味深げに彼女の手元を見る。

「おい」

 ギンと粋子が同時にまたビクリと夕神を振り向いた。夕神は交互にその二つの生きものを見ていたかと思うと、「プッ」と吹き出した。ハッハッハ、と声をあげてしばらく笑ってから彼は聞いた。
「おめえさん、名前は何てェんだ?」
「えっ。初場粋子ですけど‥‥」
 事務所で自己紹介はしたけど、この人は全然聞いてなさそうだったことを思い出す。

「これからギンと区別しなきゃァなんねェからな」
「あっ、はい。お願いします」
「おい初の字。ラジオのチャンネルはひとつところにしときな。回してるうちに聞き逃すぜ」
「わ、わかりました」
 初の字という呼び名に、心の中で小首をかしげながらも彼女はうなずいた。その後、夕神はまたコーヒーを淹れてくれた。


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