剣と虹とペン

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「茶化してごめん。誰の?」
「次野奈理‥‥という、12階にいた事務職員だ」
「ああ、彼女ね。携帯の番号とメールアドレスなら知ってるよ」
「‥‥‥‥‥‥!」
 またもや御剣は絶句する。コイツも知っているのか! いったいいつの間に。

「ガリューウエーブの情報を送ってあげてるんだ。チケット情報とかね。御剣さんも登録する?」
「結構」
 御剣は即座に断る。
「彼女、どうかしたの?」
「いや。こちらの問題だ」
 邪魔をした、と言って御剣は電話を切った。

 牙琉の情報もすでに御剣が知る内容だった。それにしても、彼女はなぜ自分以外の男とはこのように連絡先を交換しているのだ。釈然としない気持ちが御剣の心に渦巻く。

(こっちは誕生会までしたというのに!)

 彼はじっと座っていられない気分になり、立ち上がると部屋をうろうろと歩き回った。
 その時、糸鋸がノックをして入って来た。手には彼が依頼していた夕闇町殺人事件の捜査記録らしきものを携えている。
「まさかキサマも‥‥‥!?」
 部屋の真ん中に立つ上司から険しい顔で睨まれ、刑事はおびえた表情であとじさった。


 ―――時間は過ぎていく。手がかりはない。
 御剣は糸鋸が置いていった書類のチェックが一段落すると、執務室の窓際に立った。いつの間にか雲が低く垂れ込め、街も灰色に霞んでいる。彼女がこの空の下のどこにいるのか、目星ひとつつけられない。捜査機関としての強力な情報網やデータベースがあっても私的利用ができるわけもなく、地道な手しか使えないのがもどかしかった。


 ◇ ◇ ◇


 数日後の夜、御剣は糸鋸とともに夕闇町の捜査現場にいた。今年に入って最初の殺人事件がさっそく発生していた。西鳳民国の組織と、地元組織との縄張り争いはまだ収束する気配はない。
 現場はいかがわしい店の並ぶ通りから少し入ったところにある、古い雑居ビル。普通の市民はあまり足を踏み入れない一帯の、さらに奥まった場所だ。

 現場検証を終えた御剣と糸鋸は、点滅するネオンが七色の光を投げかけるビルの裏口に出た。錆びた鉄の非常階段を、カンカンと音をたてながら下りていく。
 御剣はビルのまわりに集まった野次馬のほうへなにげなく目を向けた。黄色いバリケードテープにものものしく囲まれた外から、群衆が好奇心に満ちた顏つきでこちらを見ている。

(!!!!!!)

 階段の途中で御剣はぴたりと立ち止った。その背中に後ろから来ていた糸鋸がぶつかりそうになる。

「検事殿‥‥‥?」

 ほんの10メートルもない、人だかりの向こうに奈理がいた。たまたまそこを通りがかったかのような立ち姿で、驚いたような表情でこちらを見つめている。

 御剣と目が合うと、彼女はすぐさま背を向けた。

「待てッ!!!」

 御剣は階段を駆け下りると、警官がさっと持ち上げた黄色いテープをくぐった。野次馬を押しのけ彼女を追う。その鋭い眼光に、人々は気圧されあわてて道を開けた。

 人垣を抜け、視界が開けたときにはもう奈理の姿はなかった。去った方角へ全力で走るが、すぐに十字路に行きあたった。どの通りも毒々しい看板が並んでいるだけで彼女の足音すら聞こえない。さらに走って見回しても、ひと気のない細かい路地が入り組んでいるだけだった。彼は奈理を完全に見失った。

「どうしたッスか?」息を切らして刑事が追い付く。

 御剣はそれには答えず、膝に手をつき前かがみになって荒く息をした。寒い夜なのに、額に汗とも冷汗ともつかぬものがにじんでくる。

 彼女はこの街にいる。
 だが、こんな場所の、こんな路地裏になぜ。
 ―――なぜだ。

 奈理を見つけたことの喜びと、それがここであったことの怯えが、同時に彼の心を満たした。

 (つづく) →21へ


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