囚人検事と見習い操縦士


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「このあたりは山ばかりだ。高度が落ちる。パラシュートの用意を」
 機長は前をにらんだまま言った。窓には緑の尾根が連なり、遠くはもやに霞んでいる。

「はい。‥‥‥‥‥‥だっ、だけど2つしか積んでません!」
 残りは定期メンテナンスから戻っていない。急なフライトプランだったのでそのまま出発してしまった。粋子がこの会社に入ってから、使ったことは一度もないパラシュートだ。
「わかってる。乗客に」
「はっ。はい」

 振り返るとまた囚人と目が合う。今度は、その目をすっと閉じた。ヘッドセットはつけているし会話は聞こえているはずだ。今は肩にとまっているタカだけがじっとこちらを見ている。

 粋子は急いで自分の通話機器とシートベルトを外すと、前座席の間から後ろに移動した。狭いキャビンの中、男たちの足元に膝をつき、座席下にある荷物入れからパラシュートをなんとか引っ張り出す。
「番刑事、起きて下さい!」
 彼女は、寝入る男の頭からもヘッドセットを引きはがした。
「む。なにをしているんだね」
 刑事は目の前にしゃがみこむ彼女に目をパチクリとした。

「この飛行機はもうすぐ墜落します!」
 粋子はエンジン音にかき消されないように大声で言った。
「ふごおッ! ヌぁんだってえッ!!」
 その叫びを無視して、大型のリュックのようなパラシュートを刑事の膝の上にどんと置く。
「これをつけて降りてもらいます」
「じ、ジブンは囚人を護送中の警官だ! 正義の名にかけてッ‥‥‥」
「もう時間がありません。早く!!」

 気圧されて刑事がパラシュートを背負う間に、もう一つのパラシュートを引きずり出して、「あなたも」と隣りの男に声をかける。頭からヘッドセットをゆっくり外す男の手。粋子はその手錠に気づく。あれでは肩ストラップに腕を入れられない。

「ゆ、夕神さんの手錠は外せないんですか!?」
「鍵は持ち歩いていない。どうしよう‥‥‥」
「な、なんとかします」
「ぐ‥‥ぬぬ‥‥! ジブンはユガミくんを置いて脱出などできん! ユガミくんを守らなくてはならないのだ‥‥ッ!」
 パラシュートは装着したものの、刑事は両手で頭を抱え、冷や汗をかいている。

「急いで!」
 操縦桿を握った機長が言う。風が出てきたようで主翼があおられる。エンジン音は、ときどき途絶えては回復する。

「夕神さんもすぐ後で降ろします。今は機長の命令に従ってください!」
「しかし‥‥ッ! ジブンの正義のココロは‥‥ッ」
「降りるのが正義です! ここ狭いですから!」

 ドアを開けると、一気に風が流れ込む。遥か下方に山々の尾根が見えた。
「10数えたら、そのハンドルを引いて下さい!」
「う、うむ。わかった! ユガミくんを頼んだぞ!」
 番刑事は、最後には生真面目な表情でピシリと敬礼した。

「ジャースティースーーーッ!!」

 大声を轟かせ、刑事は空中へと舞った。白いスーツが、明るく輝きながら緑の大地に吸い込まれていく。警官は訓練でも受けているのか、降下姿勢も安定していた。大丈夫そうだ。傘が開くのを見守る時間はなく、彼女はキャビン内を向き直る。

「さあ。夕神さん、あなたもこれを」

 推進力を失った機体は風でガタガタと揺れ始めた。機長がきつく操縦桿を持ち、なんとか翼を水平に維持している。

 夕神は、粋子がつきつけたパラシュートを、払うように押し返した。
「そいつァ、おめえさんが使いなァ」
「はあっ?」
「ヘッ。そこの機長サンと二人で遊覧飛行ってェのも悪くねェ。あの世までのなァ」
 男は血の気の薄い唇でニヤリと笑った。

「な、なに言ってるんですかッ」
「早くしないと間に合わないよっ」
「夕神さん!! 早くこれをつけてくださいっ!!」
「てめェで使いやがれ」
 夕神は拒絶するように腕を組んでそっぽを向いた。
 粋子は頭が真っ白になりかけて、肩にとまる鳥と目が合う。大事に扱われていそうな艶やかな羽根、縞のバンダナは首の後ろで丁寧に結んである。



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