囚人検事と見習い操縦士
□三
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●三
土と草の匂いがする。懐かしくて温かい匂い。だけど背中は痛いし、頭もなんだかぼおっとする。あたりは強い風が吹いていて、髪が風にあおられるたび思い出しそうになったことが消えていく。
―――今、いたわるように触れていたのは、誰の手だろう‥‥?
それにしてもほんとうに風の音がすごい。
ビュウビュウと情け容赦なく吹き荒れている。
しばらく、風がおさまるまでおとなしくしていよう。何も考えず、何も思い出さずこのままじっと、横たわって‥‥‥。
「一体どうなってンだ。こいつはよォ」
苛立つ声が耳に飛び込んでくる。
―――誰?
聞き覚えがあるようなないような、すごく低い声。
粋子はそろそろとまぶたを開いてみる。雲の動きが早い。遠くにはうっそうと木々が茂り、近くには青々とした草が揺れている。草の陰から男の広い肩と、鳥の背のような長い髪が見えた。その髪が風に吹かれるたびに、 背中の丸い紋様が日の光にさらされる。羽根の図案の‥‥。
(!!!)
粋子は息を飲み、またたく間に全てを思い出した。機上でのこと、そのあと起きたこと――。
生きてたんだ。そしてどこかに降りたらしい。風の強いところに。
目の先にいるのは、そう、あの殺人鬼だった。殺人鬼の囚人。名前は‥‥夕神‥‥。
夕神は地面に腰を落とし、その向こうで、パラシュートの傘がバサバサと強風にはためいている。男の腕にパラシュートの紐が絡まって、それを外すのに格闘しているようだ。
監視役のあの刑事は‥‥‥いない。
なにか気配を察したのか、男はいきなりクルッと振り返った。切れ長の鋭い眼が、目玉だけで彼女を見下ろす。
「ひいっ!」
粋子は喉の奥で悲鳴を上げてガバッと身を起こした。尻をついたままズリズリとあとじさる。
「おいこら、待ちな」
体ごと向き直って、夕神は強い調子で言った。
「なっ、なにか?」反射的に出た声が掠れている。
「こっちに来い」
囚人が手招きをした。太い手錠が鈍く光り、鎖がシャリンと金属音をたてる。
「いやいやいや」
なにをするつもりだ、この殺人鬼は。
「後ろを見てみろ」
「後ろぉッ!? ‥‥‥そっ! その手には乗りませんよ!」
彼女はさらに後ろへさがりながら言った。
「チッ。なに言ってやがる。このウツケが」
男は軽く舌打ちすると、鎖をピンと張って両のコブシを振り上げた。その両手を「らァッ!」という声とともに地面に強く打ちつける。コブシが固い地面を打つ振動が粋子の体に伝わると同時に、鎖が高く鳴った。太い鎖が、見事に切り離されている。
「キ、キ、キャーーーーーーッ!!!!」
粋子は脳天から悲鳴をあげた。腰が立たないままくるりと後ろを向き、よつんばいで逃げる。草をかき分けて必死に。背後から重い靴音と鎖の音がして一瞬で追いつかれた。ガッシと後ろ襟を掴まれ、首が締まる。
「ぐえ」
彼女は必死にもがいた。手をかき出して空をつかみ、地面を蹴る。
「やめてやめてゲホゲホ殺さないでッ!! ゲホゲホゲホッ」
シャツの首根っこを捉えられて、前に進もうとするからさらに喉が締まり、苦しさと恐怖で全身がわななく。