囚人検事と見習い操縦士


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 まるで心を読まれたかのようなその言葉にどきりとして、粋子は必死に首を振った。てこでも動かないつもりの彼女をしばらくじっと見て、夕神はため息まじりに言った。
「チッ。しょうがねェな。こいつを貸してやらァ」
 夕神は太い手錠のついた手で陣羽織を払って、腰のポケットから小さな機械を取り出す。
「包丁よりは使い勝手がいいだろ」

「そ、それは‥‥!」

 白いスーツの刑事が持っていた、電撃のリモコンだ。たぶん手錠に電流を流すやつ。なぜここにあるんだろう。

「オッサンの懐から拝借しておいた。飛んでる最中に何回も使われちゃァ危ねェからな」

 機上でのこと‥‥エンジンが途絶える音を思い出して、粋子の全身に悪寒が走る。師匠はどうなってしまったのだろう。刑事は。そして、この人‥‥。あの時、ひどく無気力で無関心に見えたけれど、いろいろ考えてくれていたんだ。刑事から拝借するのがいいのかは別として。

「こいつに紐をつけてやるから、首から下げときな」

 男は立ち上がると、キッチンの引き出しをガタガタいわせて探しはじめた。
 その広い背中を、長い髪を、ぽかんとして粋子は眺める。そんなものを私に渡していいのだろうか。電流はものすごく強そうだったし、あんなに苦しそうだったのに‥‥。
 やがて男は目当てのものを見つけたようで、それを機械の取っ手に通している。包装で使うリボンのような赤い紐だ。

「ほらよ」
 夕神は彼女へと近づき、頭の後ろに手を回して紐をかけてくれた。メダルでもかけるように。髪に一瞬男の手が触れ、どきりとする。
 彼女は、なかば呆然としつつ、その機械を掌にのせてみた。夕神の説明によると使い方は簡単だ。安全装置を外して、スイッチを押す。

「コラてめェ!」

「は?」
 粋子は手を止めて立ったままの男を見上げた。
「今、試しに押してみようとしやがったな」
「あっ。つい整備のときのクセで。すみません」
「油断もスキもなンねェ小娘だな。いいかァ。そいつはオモチャじゃねェんだ。使うときゃァ、本気で使え!」
 夕神は怖い顔で言った。
「あの、はい。わかってます。すみません」

 この人も、電撃はイヤなんだな。当たり前といえば当たり前だが、夕神の形相を見て粋子は改めて思った。この様子だとリモコンは偽物じゃなさそうだ。
 首に下げられたそれなりの重さのある機械。囚人への恐怖心が、その機械に吸い取られるように薄れていく。それにしても、ますますよくわからない人だ。粋子は恐怖心のかわりに、不思議な感情で胸がどきどきとしてくるのだった。


 結局、彼女は言われた通り2階の部屋で寝ることにした。首から電撃のリモコンを下げ、シーツとラジオを持って階段を上がる。
 寝室の窓は一面、紫がかった夕空を映していた。ここも熱気がこもっている。窓を開けると、日暮れどきのひんやりとした風が吹き込んできた。彼女はマットだけのベッドに腰を下ろし、ラジオのダイヤルを回してみる。今はどこもニュースはやっていない。

 ふと、外から笑い声が聞こえた。彼女は窓辺に行き、狭い庭を見下ろす。
 雑草が生い茂っているあたりに夕神が立っていた。強い風に吹かれながら、空に向かって何かを求めるように片手を伸ばしている。その黒いシルエットが今までより恐ろしく感じない。むしろ、端正な立ち姿に思えてくるのはこのリモコンのせいだろうか。
 男が手を伸ばす先、濃さを増した空には、翼を広げた影が旋回していた。

「ギン‥‥‥!」

 戻ったんだ。鳥は男に向かって舞い降りてきたかと思うと、翼の先でその髪を払ってまたヒュンと空気を切って舞い上がる。遊んでいるんだ。鳥が降りてくるたびに、男は楽しそうな笑い声をあげた。窓から顔を出している粋子に気づいたのか、ギンはクェェエエと高い声で鳴いて目の前を横切った。
 彼女はふいに嬉しくなって階段を駆け下り、外に飛び出した。

「ギンちゃん来れたんですね!」

 彼女は、夕神に駆け寄った。ギンも、羽根を広げてゆっくりと男の肩に降り立つ。

「ああ」男の表情はいつになく柔らかい。大きな手で、ギンの首元を優しくさすった。「川沿いに飛んで、吹き上げる風に乗ってきやがった。頭のいいヤツだ」



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