囚人検事と見習い操縦士


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「もっとも、御剣のダンナの命とあっちゃァ、断るこたァできねェがな」
「みつるぎの旦那?」
「俺の親分だ。おっかねェ人だぜ」
 彼は粋子に目を向けると、ニヤリと笑った。

 親分。おっかねえ。彼女の頭の中にぼうっとイメージが浮かぶ。牢屋の中で、畳を幾枚も重ねた上にいる人。時代劇に出てくる囚人のボス。たしか、えっと‥‥牢名主。

「じ、じゃあ、その牢名主いや、みつるぎの旦那って人も‥‥事件をいろいろと‥‥?」
「あァ。現場にいた頃なら年間100件はくだらねェだろうなァ」
「ひ、ひ、ひゃくぅっ!?」
「殺人だけでも年に30はやってたンじゃねェか。あのダンナは」
「殺人‥‥30‥‥」

 粋子はクラクラとした。顔から血の気が引いていくのがわかる。そんなおそろしい人間がこの世にいること。それを平然と話すこの人。あずかり知らない闇の世界、殺人鬼がバッコする世界。それがカンゴク。この人の居場所‥‥‥。
 彼女は、震える手で、電撃のリモコンが間違いなくそこにあることを確かめた。怖くてスイッチを押してしまいたくなるが、なんとか我慢する。

 夕神はそんな粋子をじっと見ていた。そして口を開く。
「初の字よォ」
「ひっ!」
「おめえさん、なンか勘違いしてねェか?」
「えっ?」
「御剣のダンナってェのは、検事局長だぜ」
「検事‥‥局長?」
「あァ。俺の上司だ。検事局の中でも一番のお偉いさんさァ」
「あ。ああ‥‥。なんだ」
 びっくりした。旦那とか親分とか呼ぶから、すっかり勘違いしてしまった。

「そういや、ここで起きた事件も、御剣のダンナの仕事だったなァ」
 夕神は美術館を振り返り、その塔を見上げた。
 粋子も振り返る。ところどころ蔦が絡まり、ひび割れているように見える白い壁。無残な落書き。
「どんな事件だったんですか?」
「ここの事件ってェのは‥‥」

 夕神が話し始めたとき、バサッと羽音がした。頬に風を感じ、目の前を茶色い羽根が舞ったと思ったら、頭の上にずっしりとした重み。

「ギン‥‥‥!?」

 ギンは頭の上に乗ったまま、クチバシで粋子の首の後ろあたりをしきりとつついてくる。尖ったクチバシがちくちくと痛い。
「なに!? ちょっとやめて!」
「もう喧嘩かァ?」夕神が悠長に言った。
「いきなりギンちゃんが! イテテ!」
「ヘッ。ついに気づかれちまったようだなァ。その首からぶら下がってるヤツによォ」

 そうか。電撃リモコンの紐の結び目を引っぱって、ほどこうとしているんだ。ギンも本当の持ち主を知っているのだろう。なんて頭のいいやつ‥‥‥。

「イテテテッ!」
「ギン。そいつァ、俺が初の字に貸してやったンだ。許してやンなァ」

 夕神が言い聞かせると、ギンは応えるようにクェエエと鳴いてばっと彼女のもとを離れた。そしてまた対岸の森へ飛んでいく。荒れた気流に巻き込まれないようにか、低空を、悠々と翼を払って。夕神によると、タカは遠くからのほうがよく見えるらしい。それで今リモコンに気づいたのだろう。

(ふぅ‥‥)

 粋子はぐしゃぐしゃにされた髪を両手で整えた。
 ギンが少しなついてくれたかと思ったが全然甘かった。こっちにこのリモコンがあったところで、あっちにタカがいれば互角だ。いや、ギンのほうが何倍も強力にちがいない。
「どうした。むつかしい顔して」
「‥‥‥‥‥いえ」
 ギンと電撃の攻撃力を比較してたなんて、とても言えなかった。


 ◎ ◎ ◎


 その後、またキッチンに戻った粋子は、夕方になるまでずっとラジオを聞いていた。
 気が急いてダイヤルを回しそうになっても、夕神に注意されたことを思い出して、我慢する。事故から日が経ったせいか、定時の全国ニュースでは何一つ報道されない。今は地方局にチャンネルを合わせている。



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