虹の検事局・前編

□第1話(3P)
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■5月7日 地方検事局 12階 会議室■

 新人検事のトレーニングは、法廷や捜査の現場と、検事局内の会議室で行われる。早くも新緑の季節になった今日、仁菜と天杉は、会議室で御剣の指導を受けていた。

「アメリカの判例と解説集が、私の執務室のガラス戸棚の中にあるはずだから、誰か取ってきてくれないだろうか」
 御剣に言われて、仁菜はちらりと天杉を見るがノートから顔を上げない。彼は仁菜より1つ年上の23歳。仁菜は「では私が」と立ち上がり、御剣から執務室のカギを受け取った。カギには小さい人形のようなものがついている。彼の持ち物としては珍しく思ってそれを見ると、何かのキャラクターのようだ。

 部屋を出て行こうとすると、御剣が何かを思い出したように「あ‥‥」と声を出す。
 仁菜が見つめると、彼は「あ、いやなんでもない。行ってきてくれたまえ」と、机の上に広げられた書類に戻った。

 御剣の執務室は、いつもきれいに整えられて、かすかに紅茶の香りがする。部屋に入って右奥に、立派なガラス扉の書棚があり、その中には外国語の専門書や古そうな辞書などが並んでいる。仁菜はその中からようやく英文の法律書を見つけ出して、部屋を出た。

 * * * *

 事実認定に関する海外事例のレクチャーが終わったのは、夜の8時を過ぎていた。他の検事の研修がだいたい時間通りの6時に終わるのに比べて、御剣の指導時間はいつも長くなる。熱心なのはありがたいが、皆、御剣も含めてお腹がグゥグゥ鳴っているのに、気にならないのかな?と仁菜は不思議に思う。

 御剣が同じフロアにある執務室に先に戻ったあと、仁菜と天杉の2人は会議室の後片付けをして、階段を下りて9階のロッカー室に向かった。上級検事の執務室は11階から13階にあるため、仁菜たちは、階段で移動することが多い。

 階段を下りていると、急いで駆け下りてくる足音とともに「夜芽くん!」という御剣の声が響いた。
 仁菜が驚いて振り返ると、階段の上に、やや髪の乱れた御剣が、少し息を切らして立っている。天井の照明は逆光になって、全体が薄暗いが、それでも、その目がかなり険しいことがわかる。眉間には深いシワが刻まれていた。

 仁菜はやや怯えた表情で、「はい‥‥?」と答える。
 この検事に指導を受けはじめて1ヶ月、いつも厳しい表情をしてるのは変わらないが、感情の起伏があまりない彼には珍しい態度だった。隣にいる天杉も珍しくこわばった表情をしていた。

 御剣は一つ二つ階段を下りながら、怒りを抑えたような低い口調で、「キミは‥‥‥」と言ったきり言葉が続かない。

 仁菜は恐る恐る「なにかありましたか?」と聞く。御剣は大きなため息を1回ついて、「とにかく私について来たまえ」と踵を返して階段を上り始めた。仁菜は慌てて階段を上る。
 天杉も続こうとするが、御剣に「天杉くんはいい」と言われて、仁菜に目配せをすると、戻っていった。

       
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