虹の検事局・前編

□第8話(4P)
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■8月6日 地方検事局 12階 上級検事執務室■

 その日、夜11時過ぎ、御剣は執務室で、やっと次の公判の書類を整理し終えた。事件をいくつも抱えながら新人を教育するのは負担ではあるが、よい検事を育てるためには、致しかたない。彼は執務椅子の上で軽く伸びをする。

 御剣は今まで、新人指導の依頼が来るたび、気が重くなっていた。頻繁に執務室に出入りして、指示を仰いだり教えを乞う新人たちは、常に少々わずらわしいものだった。
 しかし、今年は以前ほど負担に感じないどころか、教えることが楽しくすら感じている。単に自分が年を取り、仕事に慣れたからかもしれない。2人とも目が輝き、自分も検事になり立ての頃は、あんな目をしていたのかと懐かしく思う。

 そして彼女。夜芽仁菜。
 鈍感とも無邪気ともつかぬおおらかさが、狩魔に師事した自分や冥とはあまりに対照的で、御剣には興味深かった。天才には程遠いが、面白い検事になりそうだ。牙琉のアレにまで付き合わされたのはまいったが。

 御剣は、そう考えながら、デスクの上の資料を引き出しにしまい、鍵をかけて廊下に出た。冷房の切られた廊下も、この時間になるとさすがにしのぎやすい。今夜は、久しぶりに階段を使おうと、階段へ続く扉をあけ、踊り場に足を踏み出す。

 その途端、勢いよく駆け下りてきた女性とあやうくぶつかりそうになった。
 と同時に、階上から「仁菜ちゃん」と呼びかける低い声が響く。

 御剣は一瞬何事か理解できなかった。

 ぶつかりそうになった女性は、仁菜だった。苦しげな瞳に涙をためており、それを見た瞬間、御剣の心臓がドクンと打った。
 仁菜は、見られたことにひどくバツの悪そうな表情を浮かべると、すぐにうつむいて「失礼します」とだけ言って階段を駆け下りていく。
 
 上階の踊り場から、体を乗り出して声をかけたのは、ゴドー検事だった。彼は13階に執務室がある。この2人に一体なんの接点があったか、御剣はめまぐるしく考えた。
 彼女は今日は、ゴドーの研修だったか? 
 いや違う。彼の執務室にいたのか? なぜこんな遅い時間に? 
 そもそも「仁菜ちゃん」とはどういうことだ?

「おぅ、御剣検事、遅いな」ゴドーは落ち着いた口調で声をかけた。
「‥‥ム。今帰りだ」
それ以上会話を進めることもできず、御剣は会釈してその場を去った。

 
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