虹の検事局・後編

□第26話(5P)
1ページ/5ページ


■12月27日 地方裁判所 1階ロビー■

 事件の3日後、午前の法廷が終わったあと、御剣がその関係者たちと裁判所のロビーを通り抜けようとした時、壁際にあるベンチに腰を下ろす仁菜の姿が目に入った。胸に書類を抱えて、心なしかぼうっとしている。彼は、自分を取り囲む人々に「失礼」と会釈してその輪から抜けると、ベンチに向かった。

 人が近づく気配に、仁菜が顔を上げ、御剣を認めて立ちあがる。
「もう働いているのか」
 御剣は彼女のそばで立ち止まり、厳しい口調で言った。眉を寄せ、彼女の様子を確かめるように見る。口調とは裏腹に、彼の目はひどく気遣わしげだ。
「はい」
「‥‥‥大丈夫なのだろうか?」
「働いていたほうが気がまぎれますから」
「そうか」
 御剣が頷き、仁菜も微笑んで見せる。いつもに比べてずいぶん弱々しいその笑顔を見て、御剣の手は、無意識に彼女に向かって少し動く。が、彼の自制心に押しとどめられ、体の脇で固く握りしめられた。
 2人とも無言のまま、しばらく目を合わせる。

 仁菜は、御剣の後方で待つ関係者たちにふと目をやる。御剣も、彼女の視線の先に少しだけ顔を向けると、「では」と言って、戻っていった。

 * * * *

 御剣が人々に取り囲まれ去ったあと、仁菜はまたベンチに腰をおろす。
 事件のあと、1日だけ休みをもらって、昨日からいつも通り働いていた。仕事をしていると、何もかも忘れていられたが、あの日、多くのことが一度に起きて、まだ気持ちの整理がつけられていなかった。ただ、御剣の存在がなければ、自分の身も心もどんなにおそろしいことになっていただろうと、それだけは強く思う。

 昼食を取って午後からの仕事に備えなければ、そう考えるが、先ほどの公判でエネルギーを使い果たして、彼女はなかなか腰が上げられない。

 その時、法廷のほうから、エンブレムのついた青い詰襟姿の男性と、黒髪を編込みしたロングスカートの女性が歩いてきた。斜め前のベンチに並んで座って、今終わったらしい審理について話をしている。仁菜は2人とも見覚えがあった。
(男性は、有名な検事だ‥‥‥。女性は裁判官で、名前はたしか‥‥)
 仁菜はぼんやりと思う。年末近くなり、裁判所も人が少なく静まりかえって、2人の会話がよく聞こえた。



次へ
前の章へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ