SIDE STORIES

□DISTANCE[1/3] (5P)
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 なぜそんなことをいきなり口走ったのか彼女は自分でもわからなかった。彼にその言葉を先に言われるのがこわかったのかもしれない。しかしその一言で、小さな歯車が回りだした。
 御剣は、呆れたようにため息を一つくと、「バカなことを」と言い捨てて書斎に戻って行った。


 早朝、御剣は、おそらく一睡もせずに出勤していった。夜中何度か様子を見に来てくれた形跡があり、出かける前に彼女のために買い物もしてくれていた。仁菜は申し訳なくて、御剣とあまり目を合わせられなかった。

 彼女は、特別な予定がなかったため彼に言われるまま仕事を休み、ベッドに横になっていた。

 ‥‥‥そろそろ、御剣の裁判の判決が出る頃だ。昼過ぎ、仁菜は起き上がって寝室を出た。

 きっと大丈夫だ、彼が負けるわけない。


 広いリビングの奥には高級そうな天然木の壁面収納がある。仁菜はソファに座ってそこに収まっている大型のテレビをつけた。

 ―――映し出されたのは、太く書かれた「無罪」の垂れ幕。その隣で、被告側弁護士が、喜色満面にインタビューに応えていた。

(そんな‥‥‥‥ウソだ‥‥‥)

 放送は続き、レポーターはカメラに向かって興奮気味に話す。

『検察側は、まさかの敗訴に衝撃を隠しきれない様子です!』

 画面にはマイクを突き付けられる御剣が一瞬映る。ひどく険しく、疲れのにじんだ顔をしていた。彼が無言でカメラの前を通りすぎるのを見て、仁菜は胸が締め付けられる。

『天才と謳われる検事から、無罪を勝ち取った被告側の歓びは格別のようです。このあと弁護団の全面勝利の記者会見が予定されています。裁判所前からお伝えしました』
 番組は次のニュースに移った。

 ‥‥‥彼が心血をそそいで捜査をし、証拠集めをしていたあの事件が敗訴してしまった。私が前日にこんな邪魔をしなければあるいは‥‥‥。いやきっと‥‥‥。 

 その時、仁菜の心を支配したのは、恐怖心だった。

 ずっと心の隅にくすぶっていた考えが、はっきりと形になってきた。
 仁菜は、御剣の帰りを待つことはできなかった。彼女は、熱っぽい震える手で、書き置きをして、官舎の自室に帰った。


(つづく)
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