剣と虹とペン
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「‥‥‥若いですね」
奈理は、青い詰襟姿の男の写真を見て思わず言った。
「一柳弓彦、検事局長だった万才の息子だ」
「ああ‥‥‥あの」彼女はしばらく前に紙面をにぎわせた事件を思い出した。
「しっぽは掴みやすいかもしれない。だが、まだまだ小物だ。この男のネタをつかんだところで、たいしたインパクトにはならないだろうな」
「なるほど」
「次の候補はこの男だ」
編集長は2枚目の写真を差し出す。「牙琉響也。ただ、こう見えて意外と慎重な男だからな。叩けばホコリが次々出るというようなタイプではない」
「牙琉がいいと思います!!」
奈理はとっさに口をはさんだ。牙琉響也はよく知っていた。女の子に大人気のイケメンロックスター兼検事。ガリューのところに潜入するのは悪くない。うん、ぜんぜん悪くない。
「まあ待ちなさい」
編集長は、最後の写真を一番上に置いてトントンと指で叩いた。「最後に、これが本命だ。数年前まで黒い噂のあった御剣怜侍。最近の評判は悪くない。だからこそ、スクープになりうる。何か新情報があれば‥‥」
「ミツルギレイジ‥‥‥」奈理はつぶやいた。
刑法関係者であれば、知らない者はない有名人だ。奈理ももちろん知っていたが、襟元がヒラヒラしている人という程度で顔はよく知らなかった。彼女は写真をじっくりと見る。この人もかなりの美形だ。だけどなんだか怖そうで冷たそう。この眉間のシワがすごく神経質っぽいし、どっちかっていうと苦手なタイプかも‥‥‥。
同じように写真を見つめながら、編集長は独り言のように言った。
「やっぱり御剣だな。社会に与えるインパクトも大きい。大胆不敵なタイプだし、最近の勝訴率もハンパない。なにか裏があってもおかしくない」
「はあ‥‥‥」
奈理は気の進まない様子で返事をする。
「この男のまわりでは事件が尽きないしな。いろんな意味で禍々しい男だ‥‥‥」
編集長の中では結論が出ていたようだった。
「さっそく事務職員として入局の手筈を整える。御剣のいるフロアに、ちょうど1名欠員が出たらしい。またとないチャンスだ。君は無名記者だから本名でいいだろう」
「そ、そんなに簡単に手配できるんですか?」
「ちょっとしたハイプがあるんだよ。だが君はそんなことを心配する必要はない。じゃあそういうことで‥‥‥」
「まま、待ってください。検察不祥事なんて、そんな大きなネタを簡単につかめるとは思えないんですけど」
話を終わろうとする編集長に奈理はあわてて言った。
「そりゃそうだな。当面は、ちょっとしたゴシップ程度でもまあいい」
ライバルの刑法新聞は司法関係者のゴシップ記事なども積極的に掲載しており、それも売り上げを伸ばす理由の一つになっていた。
編集長は続けた。「あまり深く考えず、面白い情報があったらその都度報告してくればいいんだ」
「は、はい」
「お茶くみの練習もしておきなさい」
「‥‥わかりました」
奈理が重い気持ちで立ち上がると、編集長は椅子に反り返って容赦のない目線を向けた。
「どんな手を使ってもスクープを取って来い。何度も言うが、社運がかかっているんだからな」
「はい」
奈理は頷く。頷くしかなかった。
「女を武器にしてもいいぞ」
「はあっ? なにかあったらどうするんですか!」
「こんなにいい男なんだから、何かあってもいいじゃないか」
編集長は初めてにやりと笑った。
「いやですよ。全然タイプじゃないし」奈理はムッとして言うと部屋を出た。
「ふぅーっ」
自分のデスクに戻ると彼女は大きくため息をついた。憧れの記者になって半年。新米の自分が、こんな仕事を任されるとは思ってもみなかった。
その様子に、隣の事務の女性が声をかけた。
「大丈夫?」
「ありがと。そうだ、お茶の淹れかた教えてくれる?」
「え? お茶の何?」
隣りの女性は驚いて聞き返した。
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