剣と虹とペン

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 編集長からとんでもない指令を受けてから1週間後の朝、奈理は地方検事局12階の事務室にいた。先輩の女性職員に指導されながら、必死に届け物の振り分け作業を行う。これを届けながら、検事たちに奈理を紹介するらしい。もちろん、先輩は彼女をただの新人としか思っていない。

 2人して廊下を何往復しても、1202号室分の届け物だけは作業テーブルに置かれたまま動かなかった。奈理はそこに重ねられた『御剣怜侍様』という宛名の封書を横目で見ながら尋ねた。
「この部屋のかたは‥‥‥?」
「ああ、御剣検事は出張中なの」
「そうですか‥‥‥」
 さっきから妙に緊張していた奈理は拍子抜けする。

 朝の慌ただしさが一段落すると2人は一息ついて、それぞれの椅子に腰を下ろした。
 先輩によると、法的な仕事は検察事務官という専門の職員がサポートするので、彼女らの仕事はコピーしたりお茶を淹れたり、簡単な雑務が多いということだった。

「こまごまプライベートなことも頼まれるから、結構大変よ」先輩は軽くため息をつく。「お弁当を買いに行かされたりとかね。あ、ここで『お弁当』って言われたら、ベントーランドのお弁当のことだから」
「ベントーランド?」
「売り子さんが来るの。あとで場所を教えるわ」
「フロアの全員分ってきついですね‥‥」
「まあ、私的な用事は言いつけない人もいるけれど。この御剣検事もそうよ」
 残された新聞の束を差して先輩は言った。

「へえ」
「そこらへんは糸鋸刑事が一手に引き受けているから」
「刑事が?」
「そう。一応部下なのよ‥‥‥そのうち紹介できると思うわ」


 その日、先輩は定刻に退勤したが、奈理はもう少し仕事の復習をしてからと居残った。
 彼女は事務室の中を歩いてみる。検事たちの執務室より一回り狭いものの、奥には大きい窓があり12階だけあって眺望はよい。夕暮れのビル街の向こうに、ひのまる漁港も見渡せる。壁際に事務机が2つあって廊下側が彼女に与えられた。反対側には作業テーブル、入口脇には給湯室につづくドアがある。

(ここには何の情報もないな)
 並んだ棚の中身を一つ一つ確かめながら奈理は思う。あるのは事務用品や庶務にまつわる資料だけ。検事の仕事に関するものは、それぞれの執務室や事務官の部屋にあるようだ。
 こんな形で働いていて、はたして情報が集められるのだろうか?と奈理は不安になる。
(仕事覚えるのも大変そうだし‥‥‥)
 彼女は、スクープを取れと言った時の編集長の目を思い出して、沈んだ気分になった。

 さらに事務室から廊下に出てみる。スペースを取った広い廊下だ。紫がかった格子模様の絨毯が敷き詰められていて、木製の重厚なドアがずっと奥まで続いている。
 ところどころに座り心地のよさそうな革張りのベンチが配置され、壁にある花のような瀟洒な形のライトが、やわらかい光を投げかけていた。まるで高級ホテルの廊下だ。

(検事局ってなんかすごい)
 改めてそう思いながら、奈理はドアのプレートを確かめつつ、奥へ向かって歩いて行った。
‥‥‥1205、1204、1203‥‥‥1202、ここか。

 そのドアの前に立ち真鍮製のノブをそっと回してみる。当然ながら、鍵がかかっていた。潜入とはいっても、さすがに犯罪まがいのことまではできない。基本、合法的に情報を集めるだけだ。基本ってところが微妙だけど‥‥‥。
 

 事務室に戻ろうと向き直った時、廊下の先のほうに人影が見えて奈理はドキッとした。その人影は考え事でもしているのか、うつむき加減に歩いてくる。すらりとしているが肩幅は広く、赤いスーツを違和感なく着こなしている。襟元は間違いなくヒラヒラしているし、片手に下げられているのは銀のアタッシュケースのようだ。顔はよく見えないが、それ以外はすべて写真で目にした通りの姿だ。

 奈理は急いで1202号のドアの前を離れ、男に向かって歩いて行った。大股でどんどん近づいて来る男に正面から声をかける。

「お疲れさまです!」



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