剣と虹とペン

3
1ページ/3ページ


3

 秋晴れの日曜日、奈理は高速道路の上で必死にハンドルを握っていた。数台前を御剣のスポーツカーが走っている。編集長から数日にわたって特訓された成果か、なんとか見失うことなく追尾できていた。低い車体ながら目立つ赤い色、スポーツカーのわりにはきわめて安全運転、という好条件だからかもしれない。

 事務職員として御剣と顔を合わせるのは朝だけ。ごくたまにちょっとした雑事を頼まれるが、それも他の検事より圧倒的に少ない。尾行で情報を得るしかないのは、彼女も認めざるを得なかった。いまだに御剣に顔を覚えられていないようすなのは、こうなるとむしろ都合がよかった。それでも彼女の頭にはつややかなロングのウィッグが乗っている。
 変装して検事の私生活を追うことが、法律専門紙の記者の仕事とはとても思えなかったが、会社が厳しい状況の今、言われた通りに動くしかない。
 

 助手席には、編集長から渡された尾行グッズの入ったバッグが置いてある。小型カメラ、双眼鏡、ボイスレコーダー、高級住宅街にある駐車場の契約書。この駐車場からは、御剣の自宅マンションのカーゲートを見張ることができる。今日も彼女はそこから尾行してきた。編集長の手回しの良さだけは相変わらずだった。
 

 御剣の車は、制限速度をほとんど越えない。2、3台後につけていれば安全に追うことができた。

 尾行の指示を受けてから奈理は、タイミングを図るべく御剣の動きを観察した。日中は法廷や捜査に出ていて、夕方ごろ執務室に戻ってくると夜遅くまで籠っている。退勤時間から言って帰宅途中にどこかに立ち寄っている可能性は低い。休日出勤も多い御剣が、かろうじて休みにしている日曜日に尾行の標的を絞った。  


 御剣の車は、羽咲国際空港の標識で高速を降りた。
(あれ、今日出張だったっけ)
 奈理は事務職員も共有できる彼のスケジュール表を思い返してみるが、そんな記載はなかったような気がする。

 御剣は空港の立体駐車場に車を止め、迷わず国際線の到着ロビーへ向かう。奈理も後を追った。バランスのいい体格に、私服らしい黒っぽい色のスーツ。その後ろ姿はやはり際立っていて、雑踏に紛れそうになってもすぐに見つかる。

(到着ロビー‥‥‥誰かのお迎えかな)

 御剣がベンチにまっすぐ近づいて行くと、大きなスーツケースを携えた女が立ち上がった。水色のようにも見えるきれいな銀髪が目を引く。シャープで整った顔立ちは大人びて見えるが、思ったより若いかもしれない。青い石のついた大きなリボンタイ、パフスリーブが特徴的なファッション。黒い皮手袋をした手に持っている細長いものは‥‥‥なんだろう? 離れた位置に立つ奈理からはよく見えなかったが、さすがに双眼鏡を持ち出すのははばかられた。

 待ちくたびれたのかイライラした様子で、銀髪の女性が腕組みをして何か言っている。御剣がそれに言い返しているようだが、圧倒的に女の発言量が多い。人差し指を突きつけられ、たじたじとなっている御剣がちょっと面白い。

(あれがカノジョ?)
 奈理は何を話しているのか気になって御剣の死角からさりげなく近づいていった。確かに雰囲気もお似合いな感じがする。服の感じとか髪の色の薄さとか目の鋭さとか‥‥‥。

 歯切れのいい女性の声が届いてくる。聞き取れるのは「レイジ」という呼びかけ、それと「バカ」という言葉。バカは何度も言っている。

(怜侍のバカ‥‥かな? カノジョで間違いなさそう)

 写真を撮るチャンスを伺いつつ奈理が遠巻きに観察していると、女は頭上に細長いものを両手で掲げた。と思ったらそれをいきなり御剣の肩のあたりに向かって振るいおろした。奈理にもそのしなる音が聞こえる。

(ム、ムチ‥‥‥!?)

 まわりの人々もぎょっとしたようすで振り返るが、御剣は1回のけぞっただけでわりと平然としている。

(なんなのあの人達‥‥‥)

 銀髪の女性がムチを振るった瞬間をカメラに収められなかったことを残念に思いつつ、空港内を撮影しているふりをしながら何枚か写真を撮る。
 御剣は、そのあと何事もなかったように彼女のスーツケースを転がして、連れだって歩いて行った。 



次へ
前の章へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ