剣と虹とペン

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 書類の真ん中、御剣の目の前まで滑り落ちたのは、よりによってピンクのハートがいっぱいついたやけに小さい封筒だった。先輩によると、この手のものは検事局内外からのファンレターらしい。

「すみません‥‥‥」
「‥‥‥」
 御剣は無言で封書をつまんで脇によけた。眉間には深い皺がくっきりと刻まれている。
 ムチで打たれてたところも、チビッ子の本を読んでたところも見てしまったが、執務室の御剣はやっぱり怖かった。

 奈理はポットを執務椅子の後ろの棚、紅茶セットの隣に置くと、ふう、と心の中で息をついた。そしてしずしずと引き下がろうとした時、御剣が言った。
「紅茶を頼む」
「えっ?」
「紅茶を淹れてもらいたい。棚の一番右上にある青い缶だ」
「は、はいっ。承知いたしました」
 彼女は、御剣の後頭部に向かってとりあえず返事する。
 

(まずい。淹れかたをネットで調べようと思って忘れてた)
 とはいえ結局のところ、日本茶と同じようにお茶っ葉をティーポットに入れてお湯を注げばいいだけの話だよね、と考えながら彼女は棚の下から、指定された缶を手に取った。
 奈理はその蓋を開けようとするが、固く閉まっていてびくともしない。なにこれ、ちょっと待って‥‥‥。焦って体が熱くなる。

「ぎゃっ!!」

 蓋が開いたと思ったら缶が手から滑り落ち、軽い金属音を立てて床に転がった。茶葉のほとんどが床にばらまかれ、さわやかな香りが広がる。

「ぬおっ」

 御剣も振り返ってその様子を見ると声を上げた。顔に似合わないその声にまた奈理はびくっとする。
「す、すみません!! いま掃除機を持ってきます」
「ああキミはもういい。そのまま放っておいてくれたまえ」
「でも、これじゃあ」

「あとで刑事にやらせるからいい。朝からうるさくされてはかなわん」
 そう不機嫌そうに言って執務机に向き直る。その背中は取りつく島がなかった
「申し訳ありませんでした」
 奈理は御剣の後ろ姿に頭を下げ、逃げるように部屋を出た。


 その日のお昼休み、奈理と先輩は事務室の中でベントーランドのお弁当を食べていた。
「はあ〜」
 朝の出来事をまた思い出してため息をつく奈理を、先輩は慰めてくれた。
「紅茶を頼まれることなんて、ほんとにたまにしかないのに災難だったわね」

 その時、廊下からドスドスと足音が響いたかと思ったら、事務室の入口にコート姿の大男が突然現れた。

「アンタッスね、新しい事務職員さんは!」

 大きな声でそう言い、肩を怒らせて奈理を見る。そして掃除用具のロッカーから手馴れた様子で掃除機をコロコロと引っぱり出した。
「これから御剣検事の部屋の掃除ッスよ。仕事増やさないで欲しいッス」
「ご、ごめんなさい」
 なにごとか気づいた奈理は椅子から立ちあがった。

「御剣検事がランチしてる間にやっとくように言われたッス。おかげで自分のヒルが短くなったッスよッ」
「すみませんっ! わたしやります」
「いいッス。ヒトに頼んだらあの人は絶対気づくッス!」
 男は大きい手で掃除機をひょいと持ち上げて出て行った。


「あれが糸鋸刑事。いい人よ」
 先輩が微笑んで教えてくれた。
「は、はあ‥‥‥」
 奈理は正直、刑事も怖かった。尾行も事務の仕事も何もかもうまくいかない。彼女はこの先のことにますます自信がなくなってきた。

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