剣と虹とペン

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 まともな記事を1本も書けないまま奈理の検事局潜入もひと月近くが過ぎようとしていた。尾行する予定の日曜日も、御剣がまったく外出しない日もあって情報がなかなか集められない。編集長からは毎日のように催促の電話が来るし、事務の仕事にはぜんぜん慣れないし、奈理にとって法律速報に入社以来最も過酷な日々が続いていた。

 13階のガリューの執務室に書類を届けに行ったことが、ここに来て唯一の悪くない出来事だった。中からドアが開けられ、すぐ目の前に紫のジャケットと輝く金髪が見えたとき奈理はぽーっとなってしまい、無言で書類を差し出すのが精いっぱいだった。それでもガリューはニッコリ微笑んで「お疲れさま!」と声をかけてくれた。
 日に焼けた肌に青味がかった瞳。そこにいるだけで漂う華やかなオーラ。ロックスターなのに驕ってなくてすごく感じいい‥‥‥。

(御剣怜侍と違う! 全然違う!!)
 彼女はその日、記念にガリューウエーブの新しいCDを買って帰った


 奈理はその日から、仕事が終わってから時々13階に上がってみるようになった。
 今日もガリューの執務室のドアの前までそろそろと行ってみる。噂ではこの部屋は防音が完備されていて、ガリューがフルボリュームで音楽を流したりギターをかき鳴らしたりしているらしい。
 彼女はそっとドアに耳を押し当てた。

(あぁっ! 聞こえる。今日は聞こえる)

 扉越しにリズムを刻む低音が響いてくる。いるんだ‥‥‥この中に。奈理はワクワクしながら、廊下にひと気がないのをいいことにしばらくその辺りをうろうろする。
 するとそれを見とがめるかのように、ポケットの携帯が震えた。編集長からの着信だった。彼女はとたんに気分をそがれ、廊下のベンチにがっくりと腰を下ろした。

「まだ検事局なので、あまり話せません」
 執務室のドアは全部閉まっているが、彼女は用心のために小声で答える。
「今日はどうだった?」
「ゼロです。とにかく御剣は近づきにくくて。‥‥‥あのぉ、スクープって最悪、他の検事でもいいですか」
「何を言ってるんだ。ターゲットは御剣だぞ!」
「それはわかってるんですけど‥‥。念のためガリューも尾行してみていいですか? 牙琉響也」
「念のためとか考えなくていい!」編集長はきっぱり言った。「そもそも牙琉はほとんどバイクだから尾行は無理だ。そんな暇があるなら資料をちゃんと読むのが先だ!」
「あ、はい‥‥‥」
 奈理は御剣に関する分厚い資料を渡されていたが、言われる通りあまり読み進んでいなかった。事件や裁判の記録は話が入り組んでいてわかりづらく、なかなか読む気になれないのだった。


 ◇ ◇ ◇


 その週の日曜日も、奈理は御剣の車を追った。編集長の指示で車種も変装方法も定期的に変えてある。だいぶ慣れてきたとはいえ、先の見えない尾行は毎回気が重い。
 赤いスポーツカーは市街地を抜け、住宅街も抜け、田園風景が広がる道をさらに走ってから、ひょうたん湖自然公園という案内板で道を曲った。

(ここは‥‥‥)

 御剣は公園の駐車場に車を止め、慣れた様子で歩いて行った。空気が冷えるせいか質の良さそうな黒いハーフコートを着込んでいる。
 後をつけると、緑に囲まれた青い湖が視界に入ってきた。湖面は風で小さく波立ち、雲の隙間から差し込む日にキラキラしている。家族連れやカップルが散策してのどかな雰囲気だった。湖畔の鉄柵の脇に、『ナゾの怪獣ヒョッシー出現地』と書かれた古びた看板がある。

(デート? でもこんな場所で待ち合わせするかなあ) 

 御剣は湖畔の手前、とのさまんじゅうというのぼりのある屋台の前で立ち止まった。オレンジ色のジャケットを着た男から袋入りのまんじゅうらしきものを買うと、近くのベンチに座る。すると、男もついて行って御剣の隣に腰を下ろした。事件の聞き込みでもしているのだろうか。

 奈理は少し離れた場所のベンチを確保して双眼鏡を取り出した。ここはヒョッシーを探してるふりをすれば双眼鏡も違和感がなさそうだ。



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