剣と虹とペン

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 所轄署の刑事糸鋸圭介は、上司の御剣検事と一緒に検事局のカフェテリアに並んでいた。やたらと混んでいて、レジ前の行列がなかなか進まない。

 糸鋸のトレーにのっているのはきつねうどん。いつも素うどんだが今日は御剣検事殿が「それでは栄養バランスが悪い。油あげでもトッピングしたまえ」と言って油あげをオゴってくれた。
 上司がこうやって何かオゴってくれるときは、いつもそれなりの理由がある。だからこないだベントーランドのフィレステーキ弁当をオゴると言われたときは、恐怖におののいてしまったのだ。油あげ程度であれば、糸鋸にとっても許容範囲内だ。おそらく。

 さっきから御剣検事は、先月入局した新しい事務職員についてひたすらこぼしている。
 たぶん自分に注意しろとか担当を代える交渉をしろとか言いたいのに違いない。長いつきあいで御剣の何気ない言葉から真意をつかむのが得意になった糸鋸は考える。この上司は犯罪に立ち向かうときは大胆不敵なくせに、こと女性に対してははっきりモノを言うのすら苦手なのだ。

(自分のことはすぐに怒鳴りつけたりグーで殴ったりするくせに、検事殿はちょっとズルいッス)

 糸鋸はそう思う。もっともここ最近は殴られることはめったになくなった。自分のミスが減ったせいなのか、御剣検事がヒト回り成長したせいなのか。

「まったく、彼女にはホトホト困り果てる。何一つ当たり前にできないのだぞ。新聞を私の机に置くことすら、だ」
 御剣は渋い顔をしている。ここ最近、事件がたてこんでいてただでさえ機嫌が悪い。糸鋸は同情をこめた目で上司を見つめた。

「そりゃよっぽどッス‥‥」
「紅茶缶が床にぶつかる音など、生まれて初めて聞かされた」
「いい音しそうッスね!」
「‥‥‥」イラつく検事は刑事を横目で睨む。
「す、すまねっス」

 糸鋸は、御剣が仕事に厳しいのはよく知っている。己にも他人にも。デキの悪い人間にヨウシャがないのもいつものことだ。自分のような刑事を長年部下にしてくれているのはフシギだが。

「あのような思いをさせられるのはイトノコギリ刑事、キミひとりで十分だ」
「うぅ‥‥‥自分もあそこまでひどくないと思うッス」
「まあたしかにキミは、チェステーブルをひっくり返したことはないからな」
「そうッスよ」
「‥‥‥ぐッ」御剣は唸った。
「どうかしたッスか?」
「ナイトを壊されたことを思い出した」苦虫をかみつぶしたような顔で言う。

 ナイトというのは、執務室にあったチェスの赤いコマのことだ。こないだその事務職員がバッキリ割ってしまった。青じゃなく赤だったことがよけいにマズかったのかもしれない。
 それでもやっぱり検事殿は女性には甘い、と糸鋸は思う。自分なら殴られた上に給料まるまる一か月分減給されてもおかしくない失態だが、彼女にはロクに文句も言っていないに違いない。

「えらい目にあったッスね」
 上司をなだめるため相槌を打ちながら、カフェテリアレーンの上に載ったトレーを滑らせる。こうゆっくり進むのではせっかくのきつねうどんが伸びてしまう。糸鋸は気を揉みながら何気なく後ろに並んでいる人物に目をやった。その人物は頬を染め、気まずそうな顔をしている。

(!!!)

 糸鋸は一瞬息を飲み、角刈りの頭をかきかきひきつった笑みを浮かべた。
「で、でもホラ、事務職員さんもいないと困るッスよ、ね?」
 しかし御剣は両手を広げて肩をすくめ、首を振る。
「新聞一つまともに運べないような役立たずなどいらん」
「むぐ‥‥‥」
「なんだ急に口ごもって」
「御剣検事‥‥‥そのぅ‥‥後ろ‥‥」糸鋸はその大きい体に首をうずめるようにして、ささやいた。



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