剣と虹とペン

6
3ページ/3ページ


「今日はこれから検事局に行って筋トレしろ。事務職員でも休日入館できただろう?」
「えーっ」
「経費でいいから紅茶は弁償しておくのがいいな。種類はわかるか?」
「あ、はい‥‥‥」
 あの出来事のあと、御剣にポットを届けるたびに棚の青い缶をニラみつけていたら覚えてしまった。

「それから、これも渡しておこう。いらぬ世話かな」
 編集長は急に猫なで声で言った。相変わらず手回しだけはいい彼が数冊の本を手渡す。

 どれもやけにキラキラしたファンタジックな装丁の本だ。
 ‥‥‥カリスマ恋愛マスター‥‥‥究極のラブメソッド‥‥‥恋に落とす秘法‥‥‥。見るだけで赤面しそうな文字が並んでいる。

(ううう‥‥‥頭いたい。尾行より100倍頭いたい!)

「じゃ行きなさい」
 奈理は、不気味な笑みを浮かべる編集長に追い立てられて会社を出た。


◇ ◇ ◇


 検事局、上級検事執務室1202号。
 土曜日の夕刻だというのに、御剣の執務は当分終わりそうもない。
 窓から見える空はもうずいぶん薄暗くなってきた。さらに夜中までかかるであろう膨大な捜査資料のチェックに手をつける前に、紅茶を一杯味わって憩いのひとときを過ごそう。そう思った彼は万年筆のキャップをきゅっとしめた。

 冷めた湯の入ったポットを持って給湯設備のある事務室へ向かう。出勤者は少ないようで、長い廊下はしんとしている。
 事務室のドアはなぜか今日はきっちり閉じられていた。

「いつも開けておけと言っているのに」
 物事が常に決められた通りの状態であることを求める彼は、ぶつぶつ文句を言いながらそのドアを勢いよく開けた。週末のこの時間、ここに誰かいるはずもなく当然ノックはしない。

「うおっ」

 彼は驚いて呻き声を漏らした。中は明かりがついて、あの新人事務職員がスクワットのような屈伸運動をしている最中だった。いきなりドアを開けられ、中腰の姿勢のまま固まってこちらをまん丸の目で見る。

「い、一体なにをしているんだ!? キミは!」御剣はドアの前でのけぞって言った。
「‥‥‥あの、き、か、かたづけを‥‥‥」
「‥‥‥‥‥‥‥」

 御剣は彼女が片手に抱えている大量の新聞と、もう片手にある重そうなポットに目をやる。毎朝自分の執務室に届けに来るときの姿だ‥‥‥。

 彼女のほうも御剣が手にしていたポットに気づいた。
「あっ、お湯ですね!」
 彼女は手に持っていたものを慌てて作業テーブルに置くと、御剣に駆け寄りポットを取り上げた。くるりと背中を見せ、急ぎ足で給湯室に入る。

 その後姿に、役立たずと言った時のことがよみがえり彼はひどく居心地が悪い。
 しばらくして渡されたポットを「すまない」とひったくるように取り、さっと立ち去ろうとした。すると後ろからいきなり呼び止められビクリとして立ち止る。

「あのこれ」彼女は事務机に戻って、カバンからゴソゴソ何かを出そうとしている。
 女性のカバンの中から出てくるものはたいがいロクなものではない。ソワソワしながら待っていると、事務職員は袋に入ったものを両手で差し出してきた。
「なんだね」御剣は眉をひそめる。
「紅茶です‥‥‥こないだ、こぼしたのを買ってきました」

「ム‥‥‥そんなものは結構だ」
「でもあの‥‥‥」
「自分で飲みたまえ。朝に合う紅茶だ」
 御剣は彼女の顔を見ずにそう言うと、事務室を出た。
 

 その日、御剣の執務が終了したのは、真夜中近かった。帰りにちらりと見ると事務室のドアは今度はちゃんと開けてあり、室内の明かりは消えていた。

 (つづく) →7へ


次の章へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ