剣と虹とペン

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「誰か手伝ってくれないかな?」
 
 12階事務室の入口に男の声がする。聞いたことのあるような‥‥‥声。午後遅く、奈理たちは一日のうち一番のんびりできる時間帯だ。彼女は事務机から顔を上げ、その声のほうへゆっくり視線を向けた。

 黒いブーツに細身のパンツ、チェーンベルト、ポケットに親指だけ入れた手‥‥‥胸に輝くGの‥‥‥‥!!!

「きゃっ。ガリュー‥‥検事!!!」
 奈理は叫び声をあげ、椅子から立ち上がった。

 牙琉響也はかけていたサングラスを下げぎみにして、憂いのある青い瞳で彼女の顔をのぞきこむ。
「おや。ぼくの名前知ってるの?」
「あああたり前ですよ! CD持ってます!!!」
「応援ありがとう。事務のお嬢さん」
 響也は彼女を見つめたまま柔らかく微笑んだ。
(うぅ‥‥‥!)奈理はその目線にくらくらして言葉が出てこない。

「13階の事務官も事務職員も全員出払っててさ。スゴク困ってるんだよね」響也はほんとうに困り果てたように言った。
「わたしわたし、手伝います! 何すればいいですか!?」
 奈理は吸い寄せられるように響也のもとに歩いて行き、はっとして振り返る。
「あ、あの。先輩、いいですか?」
 先輩はデスクについたままうなずいた。「いいわよ。どうぞ」


「資料室からファイルを運ぶのを手伝ってほしいんだ」廊下を歩きながら響也が言う。
「もちろんです!」
 奈理はその後をついて行きながら自然と顔がにやけてしまう。
(ガリューすごい背高い。髪きれい‥‥かっこいい‥‥‥)

 彼はリングをはめた長い指でエレベータの下ボタンを押した。奈理はその横顔をぽーっと見つめる。
「ん? どうしたんだい?」視線に気づいた響也はサングラスを取り胸ポケットに入れた。
「いいえ‥‥」
 目がほんとにきれいなブルーだ。浅黒い肌がつやつやしてて、なんかいい匂いもする。

 奈理は響也にうながされエレベーターに乗りこんだ。資料室は地下2階にある。
 途中の階で乗ってきた女性2人組も響也に気づいて、「キャッ」と小さな悲鳴を上げた。彼女たちが頬を染めながら会釈して降りて行くのを、彼は柔和な笑みで見送る。年齢に似合わないこの余裕。スターってなんかすごい‥‥‥。奈理は横目で見ながら思う。

「そういえばキミ、こないだ書類届けてくれた子だよね」
 響也はエレベーターの扉が閉まると、ふと彼女のほうに体を向けて言った。
「えっ。はい!」
「名前はなんていうの?」
「次野奈理です!」
「奈理ちゃん。いい名前だね」
 響也は両手を腰に置き、体をかがめて彼女の顔を間近でのぞき込む。

(こここ、この仕事やっててよかったぁ)
 彼女は検事局に来て初めて思った。

 地下の資料室に着くと、響也はIDカードでドアのロックを解除した。金属製の重そうなドアの中は、図書館のようにスチール棚が整然と並んでいる。
 ここは裁判資料や捜査資料の宝庫だが、事務職員は勝手に入ることは許されていない。奈理も今まで一度も入るチャンスはなかった。棚の各段にはファイルがナンバリングされて並べられ、古い紙の匂いがうっすらと漂っている。

 ワークブーツの重い足音とチェーンベルトのジャラジャラという音を立てながら、目的の棚を探す響也の後をついていく。探し当てた資料を手に取り、確かめるその目は真剣だ。奈理は彼が次々と渡してくるファイルを受け取った。過去の事件の捜査記録のようだ。

 彼はさらに奥のほうへ歩いて行った。ファイルをまた何冊か持たされたところで、奈理は棚の向こうにいる人の気配に気づいた。

(あれ。誰かいる‥‥‥)



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