剣と虹とペン
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奈理がにやけ顏で階段を降りていると、上って来た御剣と12階の踊り場で出くわした。小脇に書類ファイルを一つはさんでいる。ガリューもかっこいいが、この人もやっぱり絵になる。
「下から階段ですか?」少しだけ息が上がった様子の御剣に、彼女は声をかけた。
「ああ。検事というものは体力をつけておかねばならないからな」
「そうなんですか‥‥‥」
「なんだね、それは」
御剣は奈理がまだ両手でうず高く抱えているものに目を向けた。
「えっと資源ゴミです。捨てといてって‥‥‥」
彼女の手にあるのは、響也の執務室から出るときに持たされた音楽雑誌数十冊。さっきのファイルよりさらにずっしりと重い。
また御剣がフッと笑った。
彼女を見下ろすその瞳は思ったより優しくて、奈理はどきんとする。さっきはバカにされたと思ったのに‥‥‥。
御剣は彼女が抱え持つ雑誌の一番上に、自分が手にしていた書類ファイルをポンと乗せた。
(あっ、この!)
「半分持ってやろう」
「いいですよ。あ」
御剣は彼女が手にしていたものを全部取り上げた。
「キミはそこの扉を開けてくれたまえ」とフロアへのドアを目で示す。
「えっ。はい‥‥‥」
「事務室までか?」
「すみません‥‥‥」
なにこの人、優しいの‥‥‥? 奈理は先を歩いていく御剣の背中を追いながら、怖いとかイヤな奴とか思ったとき以上に胸がどきどきして気持ちが乱れる。おかしいな。なんかすごく調子狂う‥‥‥。彼女は頭に浮かんでくるいろんな思いを振り払った。
◇ ◇ ◇
週末、奈理は報告のために編集部に顔を出した。矢張と出会ったことだけが良いニュース、あとはすべて悪いニュースだ。
「型通りではだめだと言ってるだろうが」
成果がないことに編集長はひどく不満げだ。マニュアルを渡してきたのは自分のくせに‥‥‥。
「はあ」彼女は生返事をする。
「一つ言っておくが、御剣は孤独が弱みだからな」
「孤独?」
「資料を読んだだろ。あの男には家族がない」
「母親は‥‥」
「消息が一切謎だ」
「そうなんですか‥‥」
そういえば、DL6号事件後の少年御剣の肩を抱いていたのは看護師‥‥‥。
「弱みと言うのは狙えるところ、隙という意味だ。孤独があの男の隙だ」
「‥‥‥気が進みません」奈理は目を逸らす。
編集長は、うつむいて黙りこくる彼女の顔をしばらくじっと見つめた。
「もうきれいごとは言ってられない段階なんだよ」
「‥‥‥」
「そういえば、失踪のとき遺書を書いていたという噂もある」
「遺書を?」彼女は顔を上げ聞き返す。失踪の話は資料で読んだけど、遺書‥‥? あんなに不敵な感じなのに。
「噂だけどな」
「はあ」
「実際生きてるしな」
「‥‥‥」
「まあとにかく、あまり固い事を考えずに適当に面白い記事をデッチあげるぐらいの勢いでいいんだ」
「そんな‥‥‥」
それじゃあゴシップランドみたいな三流芸能雑誌と一緒だ。あんな記事を書けとでもいうのだろうか。
「状況はどんどん厳しくなっている。君にかかってるんだよ」
編集長は有無を言わせない目で奈理を見た。
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