剣と虹とペン

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 それから数日後の昼休み、奈理は検事局のカフェテリアの隅でベレー帽の矢張と向き合っていた。ベントーランドのお弁当を売り切った矢張に、ランチを経費でおごりつつ例の相談である。彼女としてはこれで最後にしたい恋愛メソッド―――“共通の友人にとりもってもらいましょう”。

「そんなオネガイかよォ〜。ガッカリだなァ」話を聞き終わった矢張は椅子の背に伸びをした。
「すみません‥‥‥」
「小学生ンときもよく女の子にたのまれたなァ。これ御剣くんに渡してってさ。バレンタインのチョコとか」
 矢張はあごヒゲをさすりながら言った。「モチロン、チョコはオレが食っちまうんだけどな」
「‥‥‥‥‥」
「あ。でもちゃんと手紙のほうは渡すぜ」
「さすがです」奈理はうなずく。

「せっかくの奈理ちゃんのソウダンだけど、ムズカシイなァ」矢張は一度聞いただけで彼女の名前をしっかり憶えていた。「アイツ、合コンとかって呼び出してもゼッタイにこねえから」
「そうですか‥‥」
 だったらこれで作戦は終了だ。編集長にはやるだけやったと伝えて、と‥‥‥。

「ケド、オレ、女の子のオネガイは断らないぜ! 御剣とのチャンス、ナントカ作ってやるよ!」
「ええっ! ありがとうございます!」
 奈理は自分でも意外なことに、ちょっと嬉しくなる。
「どんな方法がいいかなァ‥‥‥‥‥」
 矢張は腕組みをして斜め上を見ながら考えはじめた。かなり一生懸命考えてくれている。見た目に似合わずいい人なのかもしれない。

「ひらめいたッ! 御剣をカクジツに呼びだす方法!」矢張は突然大声で言った。
「ほんとですか!」
「オレってやっぱ天才ゲージュツカだな!! あとはまかしときなッ!」


 ◇ ◇ ◇


 奈理は矢張のあとをついて、しんとした室内に足を踏み入れる。広い玄関は白大理石が敷き詰められて靴は一足も出ていない。矢張は慣れた様子で室内の明かりをつけながら、どんどんと中に入って行った。
 金曜日、約束を取りつけたという矢張と検事局の帰りに待ち合わせしたのだが、御剣の自宅にまで来るのは予想外だった。こうやって合鍵を貸すのはやっぱり親友だからだろうが、奈理は矢張の存在がまだ少し不思議だ。

 リビングダイニングも一人暮らしとは信じられないぐらいに広い。真ん中に高級そうな絨毯が敷いてあり、その上に深紅の布張りのソファがいくつか配置されている。奥には小ぶりなグランドピアノまであった。アンティークっぽくて上等そうな木目のピアノ。壁際では、立派な床置き時計がカチカチと時を刻んでいる。
 ‥‥‥今の時代の部屋とは思えないな、ここ。

「スゲーだろ。アイツ、カネモチだよな」
 矢張は借りてきた鍵をダイニングテーブルにポイと置き、その先にあるキッチンへずかずかと入って行った。ワインセラーらしきものからワインを1本抜くと、2個のグラスと一緒に持って戻ってくる。
「そこに座って酒でも飲んで待ってようぜ。まだしばらく帰ってこねえだろ」
 奈理はうなずいて、矢張が指した瀟洒な作りのソファにそっと座った。矢張はそのあとも冷蔵庫からチーズやら瓶詰のオリーブやら次々と探し出して持って来た。


 ワインを飲みつつ、御剣のことをいろいろ聞き出しつつ待っていると、思ったより早く、といっても9時過ぎに玄関ドアの音が聞こえた。思わず目を合わせると、矢張はいたずらっぽい表情でウィンクする。開け放ったリビングの扉から足音がどんどん近づいてきて、奈理は急にドキドキしてくる。

「矢張、お前‥‥‥」
 この部屋の住人は入ってくるなりそう言って、奈理に気づいて入り口でぴたっと足を止めた。
「お、おじゃましてます」奈理は、軽くのけぞったままの御剣におずおずと声をかける。
「ど、どういうことだ‥‥なぜキミがここに‥‥」
「成歩堂は遅くなるらしくてさァ。かわりに奈理ちゃん呼んだ」
 ケロリと矢張が言った。
「かわりに‥‥だと‥‥?」 
「突然すみません。あの‥‥検事局のカフェテリアでマシスくんと知り合って」
「マシス‥‥‥」御剣は眉間に深い皺を寄せ絶句する。
「ヒトが多いほうが楽しいだろ?」
 矢張はワインボトルを御剣にかかげて見せた。

「ああッ。き、キサマ、そのワインは」
「おぅ、コレけっこうウマイぜ。ずいぶん古そーなヤツだけどな。オマエも飲むか?」
「‥‥‥‥‥」御剣はしかめ面で、ほろ酔い気分の男をニラむ。



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