剣と虹とペン

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 潜入も2ヶ月が過ぎ、季節も秋から冬へと移り変わりつつあった。御剣への接近作戦は終わりでいいと言われたものの、奈理が検事局から解放される気配はなかった。この先のことを尋ねても、編集長は「今は時期が悪い」と繰り返すだけでまったく何を考えているのかわからない。

 彼女は淡々と事務職員の日常をこなしながら、日々の出来事を報告する。得た情報で時々記事を書かされるが、いつも大きく修正された。法律速報の販売部数はなかなか回復せず、本社からの圧力もさらに強くなっているようだった。

「スクープを取ることだけ考えていればいい」
 あれだけ準備万端だった編集長も、最近の指示はそれだけだ。編集長も余裕がなくなっている感じがする。多少あざとい記事が掲載されるのも、今のこの状況ではやはり仕方ないのだろうか。


 そんな日の夕刻、奈理は別フロアでの仕事を終えて、12階でエレベーターを降りた。ふと見ると事務室のドア口に御剣が立っている。ジャケットは着ておらず白いシャツに黒いベスト姿だ。奈理が駆け寄ると、彼は珍しく焦った表情を浮かべて言った。
「事務官は全員帰ったのだろうか」
「あっ、はい。もうみなさん帰られました」
 今日は先輩も含め検事以外の職員はみな退勤していた。

「ううム。まいったな」
 御剣は首の後ろに手を置き、軽くうつむいて言った。目の下に隈が目立ち、いつもより疲れているようにみえる。
「どうかしましたか?」
「人手が必要なのだ。さきほどから事務官の携帯にも電話しているが誰もつかまらない」
「わたしでよければ手伝いますけど」
「すぐに終わりそうもない仕事なのだが‥‥」
「この後とくに予定もないので平気です」
 御剣はそう言う彼女をしばらく眺めてから小さくうなずいた。
「では頼む」



「キミが残っていてくれて助かった」
 廊下を一緒に執務室に向かいながら、御剣は奈理をちらと見下ろして言った。
「とんでもないです」
 大股の御剣を小走りで追いながら、初めてかけられる言葉に頬が少し熱くなる。 

 執務室に入ると、デスクの上に数個のファイルボックスが乱雑に出され、部屋の隅には段ボール箱がいくつも積み重なっていた。
「引っ越しですか?」
 普段の整然とした執務室とあまりに違うことに驚いて奈理は言った。御剣はその言葉に苦笑する。
「キミは申し送りのことは知っているだろうか」
「はい。先輩から聞いてます」

 検事たちはもうすぐ年に1度の《申し送り》と呼ばれる証拠品の整理を行う。警察局にある保管庫から、解決済みの証拠品を警視庁に移送する手続きだ。それと同時に捜査に関する書類も移送される。大がかりな作業になるため、1、2か月前から準備するのが通常らしい。

 今日はその準備中だったのだが、と御剣は説明した。何の手違いか、明日の裁判で必要な証拠品までもが移送用の書類に紛れ込んでしまったのだという。それが判明したのが半時間ほど前。もちろん作業していたのは御剣ではなく‥‥‥糸鋸刑事だった。

「今日は朝から多忙で、彼の仕事ぶりをチェックする余裕がなかった」
 御剣はため息まじりに言った。糸鋸は今しがた事件現場から緊急の出動要請があってそちらに向かったらしい。奈理はついさっきまでここで繰り広げられていたにちがいない修羅場を想像して震え上がった。

 その証拠品が紛れ込んだ可能性があるのは、壁一面にある書棚のファイル半分以上と、書類のぎっしり詰まった移送用の段ボール箱すべて。
「か、かなりの量ですね。そして裁判は明日ですか‥‥」奈理はつぶやいた。
「うム。朝一の公判だ」
 御剣は苦い顔で応える。

 証拠品は燃えさしの小さなメモ紙で、ビニール袋に入ってはいるが形が崩れないように慎重に探す必要がある。そう説明しながら、御剣はどんどん苛立ちの表情になっていった。

「なぜこんなことになったのか、まったくもって謎だ。あの男の行動は謎が多すぎる。そもそも‥‥」
 今にも怒りがぶり返しそうな御剣の様子に奈理は急いで言った。
「探し物は得意なので大丈夫ですよ! わたし頑張って見つけますから!」
 御剣は黙り、そう言う彼女をまたじっと見る。
「大丈夫ですよ」奈理はもう一度繰り返した。



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