剣と虹とペン

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 日に日に余裕がなくなっていく編集長は、奈理がカフェテリアで御剣と話した翌週、平日の夜に彼女を編集部に呼びつけた。

 検事局の仕事のあと、重い足取りで法律速報社への階段を上る。同僚記者が何人かデスクに残っていたが、みんな冴えない顔をしていた。彼らも、それぞれの現場で頑張っているはずだが、最近めぼしい記事はほとんどあがっていない。編集長もこのあいだ見た時よりも疲れた顔をしていた。

 心なしか薄暗く感じる会議室で向き合うと編集長は言った。
「御剣と次会うのは土曜日だったな」
「そうです」
「あの堅物相手によくやってるじゃないか。一時はどうなることかと思ったが」
「はい‥‥」
 このあとはもうないだろう、と奈理は思うが、編集長のいつもよりすぐれない顔色を見ると何も言えなかった。

 彼はじっと奈理を見たまま言った。
「だが検事局はいつかは去る場所だ」
「はっ? 当たり前じゃないですか」
 いきなり何を言いだすんだろう。奈理は編集長の目を見返した。この仕事は早く終わらせてほしかった。ずっとそう言ってきたのに今さら何を。

「御剣ともその時までの付き合いだぞ」
「‥‥‥‥‥わかってますよ」
「こっち側が本気になってもなんの得もないからな」
「いったい何の話ですか!」
「君の心配をしてるんだ」
「そんな心配はいりません!」
「ならいい」

 編集長は目を外してふうっと息を吐いた。
「もしこのまま成果が出なければ潜入は近いうちに中止だ」
「えっ」
「いいな」
「‥‥‥はい」
 いいな、がどういう意味なのか奈理はよくわからなかったが、聞き返すことはできなかった。話が終わると、編集長は手で払うようにして彼女を部屋から追い出した。


 ◇ ◇ ◇


 土曜日。
 風が強く寒い夜だった。日が落ちてだいぶ時間は経ったが空にはまだほんの少しだけ青みが残っている。御剣との待ち合わせは、中心街にある時計台の下。人で混雑するところだが、この界隈に不案内な奈理がかろうじてわかる場所だった。

 寒いから待たせないようにと少し早めに行き、念のためきょろきょろ見回してみると、やはり今日も御剣は先に待っていた。人が行き交う先に、黒いコートの襟を立てた姿がある。空気はひどく冷たいのに、その姿を見ると、奈理の体はぽっと温かくなった。
 そして悲しくなる。どうしてだか。
 御剣も奈理に気づき、人波の隙間で目が合うとゆっくりこちらに歩いてきた。

 近くで見ると、彼女がプレゼントした黒いマフラーを巻いていた。
「あ。それ」奈理は襟元を見つめて言う。
「ああ」
 穏やかな眼差しで見下ろされ、彼女は早くもドキドキしてくる。

「早速行こう。予約を入れてある」
「予約?」
「うム。そういうものらしいな」
 御剣は独り言のように言うと、奈理の困惑を無視して歩きはじめた。

 葉の落ちた街路樹はイルミネーションで白銀に輝き、週末の夜、そぞろ歩いている人は多い。人に紛れて見失わないように、彼女は黒いコートの斜め後ろにぴたっとつけて後をついていった。



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