剣と虹とペン
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御剣は奈理を連れて宝石店の先の角を曲がり、さらに裏通りに入って行った。
少し歩いて、赤いレンガの素朴な店構えの扉を開ける。アーチ型の小さい木の扉をくぐると、中はこじんまりとしたレストランだった。床には石が敷き詰められ、白壁に寄せたテーブルがいくつか並んでいる。ヨーロッパの田舎を思い起こさせる飾り気のない雰囲気だ。
「感じのいいお店ですね」
案内された席につきながら奈理はあたりを見回した。「外国のおとぎばなしに出てきそうっていうか、優しい魔法使いとかが住んで‥‥‥‥イテッ!」
あちこち見過ぎたせいで、彼女は低く下がったガラスのランプシェードに頭をぶつけてしまう。
「大丈夫か」
御剣は反射的に彼女の頭を守るようにすっと手を差し出し、軽く笑った。そんな何気ない仕草にも奈理は胸がときめく。
テーブルについた彼の表情は、いつになく寛いで見えた。
やがて香りのよい料理とワインが運ばれてくる。丸い穴の並んだ皿で出てきたものはエスカルゴだと御剣が教えてくれた。
レストランでこうやって向き合うのは2週間ぶりだ。あのとき渡したマフラーのかわりに、今日は御剣がプレゼントしてくれた小さな袋がある。
奈理はさっきの御剣の言葉を思い出してくすっと笑った。
「本当に御剣検事は仕事が好きなんですね。あそこで法の神が出てくるなんて思いませんでした」
「ム‥‥‥キミは仕事が好きではないのか?」
「えっ。まあ、嫌いじゃないですけど‥‥‥」
奈理は無意識に記者の仕事について答えてしまう。今までは好きだったのに最近では自信がなくなってきたこの仕事について‥‥。
「歯切れが悪いな」
御剣は口の片端を少し上げた。
この話題はなんとなく気まずくなる予感がするが彼は止めてくれない。「キミはなぜ今の仕事を選んだのだね?」とさらに突っ込んで聞いてくる。穏やかな声ながら、彼の質問には逃げ切れない威圧感がある。職業柄か。
「あの‥‥‥ええっと‥‥‥」
奈理は口ごもる。どうしよう。見つめてくる御剣の目に彼女は硬い笑顔を返した。
「じつは父に憧れて‥‥」
いや、この返しはまずかったかな。御剣の眉間にシワが寄ってしまった。
「お父さんも事務職員だったのだろうか?」
「あっ‥‥‥‥‥‥‥‥‥はい」
まずい。いよいよヘンな流れになってしまった。父親が事務職員だったなんて適当すぎる。
「し、司法に関心があったらしくて‥‥‥」奈理は必死に言葉をつないだ。
「なるほど」
「子供の頃よく父の話を聞いていて‥‥‥それで、わたしも同じように憧れて‥‥‥司法の世界に。‥‥‥だから検事局に」
「そうか」
御剣はゆっくりうなずくと微笑んだ。「私と同じだ。私も父に憧れてこの道に」
ああ、そうだった。この人の父親は弁護士だったんだ。無理な言い訳のような気がしたが、おかげで納得してくれたようだ。奈理はとりあえず胸をなでおろした。
それにしても、この人は微笑むとなんて優しい顔になるんだろう。今は執務室でいつもしかめ面してる人と全然別人に見える。
ほんとうに自分が事務職員だったらよかったのに‥‥‥。奈理の頭の中にぼんやりとそんな考えが浮かんでくる。そうしたら嘘なんかつかないでずっと傍にいられるのに‥‥‥。おとぎばなしの主人公のように、魔法をかけられて王子様と出会ったら、こんな気持ちになるのかもしれない。このまま魔法が解けず、嘘が嘘でなくなるようにと願うのかも‥‥‥。
(‥‥‥!)
奈理ははっと我に返った。なにを考えてるんだ、わたしは! ヒラヒラした御剣がいくら王子様みたいだからって。
彼女は御剣の胸のあたりをぼーっと見つめていた目をあわてて逸らした。