剣と虹とペン
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御剣は渋滞を縫って30分ほど車を走らせ、速報新聞本社の駐車場に入った。夕明かりにそびえるビルの隣、その日陰に沈む別館が目的の場所だ。
別館玄関の古びた木製の扉を押し開けると、軋んだような耳障りな音がする。彼は眉間を寄せたまま寒々とした薄暗い階段をゆっくり上っていった。
案内板に従って3階まで行くと、法律速報社のドアが目に入った。その上半分にはめ込まれたすりガラスの向こうに、黄みを帯びた光と人影がぼんやりと見える。
御剣はコートも脱がずそのドアを開けた。入口に立って、さっと室内を見渡す。本や雑誌の積み重なったデスクが20ほど並んだ狭いオフィス。ぽつりぽつりと人が座っているが、あの記者はいなかった。日当たりの悪そうな窓はもうすっかり暗くなっている。
近くに座っていた女性が怯えたような表情で立ちあがった。彼女が口を開く前に、御剣が言う。
「責任者は」
その落ち着き払った物言いに、デスクについていた何人かが顔を上げた。
「い、一番奥が編集長です。あの、どちらさまでしょう‥‥?」
彼女の言葉を無視して、御剣は編集長と呼ばれた男が座る場所にまっすぐ歩いて行った。窓を背にした他より一回り大きいデスク。その正面に彼は立った。
「御剣怜侍だ」
いきなり目の前に現れた人物の威圧的な態度に、デスクの男は頬をひきつらせ絶句した。
御剣怜侍―――。刑法専門紙の編集長であれば、知らないはずがないその整った面立ち、黒いコートから覗くフリルタイ、鮮やかなワインレッドのスーツ。
「私の所に、内偵記者を送り込んだのはキサマか」
その若き検事は、怒りに満ちた眼差しで男を睨んだ。
「ひっ」その迫力に編集長は喉が詰まったような悲鳴を上げる。
「あの記者が書いた原稿を出してもらおう」
「はっ?」
「民法709条に基づき差止請求権を行使する。印刷に回っているならばそれも差止める」
「な、何の話だ」
「とぼけるなッ!」御剣は鋭い声で言った。「検事局で嗅ぎまわって書いた記事のことだ。私の‥‥家族についての原稿があるはずだ」
「ああ‥‥」デスクの男はため息を洩らす。「なんであんたが知ってるのかわからんが、それは受け取ってない」
「なにッ?」
編集長は視線を外すと続けた。
「第一そんな原稿があるならアイツをクビになんかしていない」
「クビ‥‥だと!?」
「ああ昨日な」
「昨日? 今日も検事局にいたというのに、そのようなごまかしは通用しない。私にバレて慌てて逃がしたか」御剣は低く言った。
編集長はふうと息をつく。
「なるほどな。今日バレたのか。なんで検事様がここに来たかやっとわかったよ」
「ヘタな偽装をしても調べればすぐにわかることだ」
「こまかしでも偽装でもない。彼女は昨夜、確かに入稿のためにここに来た。だが、ひったくられて原稿はないと言いだした。データはあるはずなのにそれも渡せないと言う。ぎりぎりになってな」
そう言って編集長は御剣を見上げた。「あんたの母親の記事だったらしいな。だがこっちには一行も渡そうとしなかった。なぜだか知らんが」
「‥‥‥」御剣は唇をきつく結んで睨み返す。
「だからその場で退職届を書かせた。命令に従わないような記者を置いておく余裕はないからな」