剣と虹とペン

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 それから数日間、奈理はなんとなくふわふわとした気持ちのまま過ごした。冥の「面接試験」は無事クリアできた感じだが、それでもまだへんな誤解をされたままだったような気がする。奈理が不思議に思うのは、御剣がそれを最後まではっきり否定しなかったことだ。
 彼にとって、どうでもいいことだからなのかもしれないけど‥‥‥。

 その日、彼女は休みを使って数社の求人先を回り、マンションに帰って来た。広い空間のロビーを抜け、エレベーターホールも通り過ぎて階段に向かう。御剣の部屋は2階なので、ほとんどの場合階段を使っていた。落ち着いた照明に照らされた黒い石の階段だ。
 ちょうど2階まで上り切ったところで、下から勢いよく駆けあがってくる足音が聞こえてきた。奈理が何事かと振り返ると、タオルを手にしたスポーツウエアの男性だった。

「あっ!」

 彼女はそれが御剣と気づいて仰天した。

「今帰りかね」
 そう声をかけ、奈理に並んだ彼は、赤いTシャツと膝丈の黒っぽいハーフパンツという見たこともない服装だった。いつも整えられている髪はラフな感じに乱れ、しかも‥‥‥無精ひげまでもがうっすらとある。

「ひ、髭が生えてる‥‥‥」

 奈理は御剣の顔から目を離せないまま、思わず口にした。

「ハッ、ずいぶん妙なことを言う。私とて髭ぐらい生える。今日は朝から剃っていないだけだ」
 御剣はあごのあたりに軽く手を置いて言った。その仕草も、いつもよりちょっとだけ男っぽい感じがする。ヒラヒラやきちんとした部屋着を見慣れた奈理にとって、スポーツウェアの彼はあのパジャマ姿と同じぐらいに衝撃的だった。が、この格好の目的はたったひとつ。

「ああ。走りに行ってたんですね?!」

 彼は検事局でもいつも階段を使っていたし、体力をつけなければと言っていた。
「地下に住人用のジムがあるのだ」廊下を歩きながら御剣は教えてくれた。
「へえ!」
 彼の胸板の厚みや腕の逞しさはどこで鍛えてるのかと思ったら、スポーツジムがマンションの中にあるんだ。すごい。

「いいですね。わたしも運動しなきゃ」何気なく奈理は言った。
「ならば今度一緒に行くかね。記者にも体力が必要だろう」
「え? いいんですか!」
 奈理が驚いて声を上げると、御剣はうなずいた。


 ◇ ◇ ◇


 次の週末。
 奈理は御剣に連れられて、黒い石材の階段を地下まで降りていった。一つ屋根に住んでいたところで、当然ながら連れだってどこかに行くような機会はない。奈理はどんな時間になるのか楽しみでワクワクとする。

 この日のために彼女は、ひそかに可愛い感じのスポーツウエアを購入していた。さっき彼はその姿をちらりと見たものの、残念ながらノーコメントだった。安物だしジムにふさわしいウエアかもわからないし、なにか外してしまったのかもしれない。御剣のほうはというと、見慣れてくるとTシャツ一枚でも肩幅があって十分カッコよかった。

 ジムは奈理が想像していた以上に立派な設備だった。曇った窓の向こうに温水プールまでもが見える。ランニングマシンや、彼女が初めて見るような複雑な機械が何台も並んでいた。混みあってはいないが、そこそこ人もいる。
 2人が入って行くと近くにいた若い女性が人の気配に振り返った。

「御剣さん!」

 そう嬉しそうに声をかけてきたのはすらりとしたきれいな人だった。ショートパンツから伸びた素足と、広く開いた胸元がやけにまぶしい。仕事上、女性のあらわな姿を見慣れた奈理も目を奪われるような、華やかな色気のある雰囲気。

「こんにちは」

 御剣も軽く会釈をした。同じマンションの住人なのだから知り合いでもおかしくはない。が、御剣がそのまぶしいい素肌に幻惑されている様子はないか、奈理は念のため横目で確かめる。彼の表情はよくわからなかったが、むしろその女性が奈理に気づいてパチクリとまばたきした。
 


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