囚人検事と見習い操縦士


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●二

「えー本日はわが大河原航空をご利用いただき誠にありがとうございます。当機は現在、ひのまる漁港上空を64ノットで上昇中、天候は晴れ、視界は良好でございます」
 操縦席の機長がヘッドセットのマイクで機内放送をする。たった4席しかないが、このアナウンスが機長の楽しみの一つだ。大河原さんのことは、事務所では社長、仕事を習う時は師匠、空の上では機長と呼ぶ。

 粋子が副操縦席から航空日誌を差し出すと、それをちらりと見てから機長は続けた。
「えー到着は3時間後の午前11時を予定しております。ご搭乗の番様ならびに夕神様におかれましては、これより快適な空の旅をお楽しみください」

「ジャーァスティスッ!!」

 番刑事が雄叫びを上げ、粋子はビクッとして後ろのシートを振り返った。
「安全航行をお願いするッ!」
 刑事もまたヘッドセットをつけた姿で、サングラスの奥の目を細めニカッと笑った。白い歯が朝日を受けてキラリと光る。セスナ機内はプロペラやエンジンの騒音が大きく、乗員も乗客もマイクのついたヘッドフォンをつけて会話する。

「チッ。どいつもコイツもうるせェな」

 刑事の隣に座る囚人が、不機嫌そうな恐ろしく低い声で言った。鎖に繋がれた両手を上げて、自分の頭の通話機器を外す。

「ぐおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

「ユガミくん、いま我々は大河原キャプテンに命をあずけているのだ。もっと敬意を払いたまえ! さあ、これもちゃんとつけないとダメだぞ!」

 刑事は、囚人が外したものをその頭に戻しながら言う。
 おとなしくそうされる囚人はまた電気を流されたようで、肩を大きく上下させて息をしている。ハァハァという息遣いがヘッドフォンを通して粋子の耳にも聞こえてきた。タカは慣れた様子でシートの背にとまって、片足で首のあたりを掻いている。
 後ろの座席から目が離せないでいた彼女は、番刑事と目が合いそうになってあわてて向き直った。


 ◎ ◎ ◎


 街を抜け、1時間も飛ぶと建物は一気に減って、眼下にはのどかな田園風景が広がってくる。さらに進むと青々とした山並みがどこまでも続く。晴天の今日は風も少なく、機体はほとんど揺れなかった。奥深く山地に入り民家の影もすっかり消えてしばらくしたとき、機長がぼそりとつぶやくように言った。

「電気系統がおかしい」
「え」
「エンジンもだ」
「‥‥‥」

 粋子はヘッドフォンの片方を上げて音を確かめる。たしかにエンジンからは、聞き慣れない異音がしていた。その音が徐々に強くなる。機長の顔色はいつになく蒼白だ。それを見て粋子も血の気がすうっと引く。

「さっきの電撃のせいかもしれん」

 粋子はとっさに後ろの席を振り向いた。刑事は口をぽかんと開けて寝入っていた。その隣の囚人と目が合う。こちらに向けられた陰うつな眼差しに、また背筋がぞくりとする。
 彼女は、副操縦席の前にある計器盤のスイッチを一つ一つ確かめるが、端からどんどん照明が落ちていく。油圧も安定せず、燃料タンクはいつのまにか空の表示。フライト前に間違いなく点検したし、空になるはずはない。プロペラはかろうじて回っている。

「メーデーメーデーメーデー‥‥‥」
 機長は繰り返し地上と交信を試みる。
「だめだ、無線も通じない」
「‥‥‥」

 体が震えてくる。見習いを始めて、こんなことはもちろん初めてだ。高度メーターの針も少しずつ下がっていく。

「ふ、ふ、不時着先を探します」
 粋子は震える手で目の前に航空図を開いた。湖か広い河でもあれば、機長ならなんとかしてくれるはずだ。しかし小さな池すら見あたらない。背中を冷や汗が伝う。



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