囚人検事と見習い操縦士


1ページ/3ページ


●六

 事故から2晩を過ごして、3日目。
 夕神がギンを伴ってキッチンから出ていった後も、粋子はラジオを聞き続けた。正午のニュースでも何も報道されず、自分がいま置かれている状況を知ることはできなかった。
 上空をヘリが飛ぶ気配も、一度きりであの後はまったくない。陸路で捜索されているのかもわからない。食料だって、夕神の言う通りならあと1週間かそこら分しかないはずだ。
 そして師匠。墜落の日に見た黒い煙をまた思い出す。山向こうに細く立ちのぼっていた煙‥‥‥。

(そうだ‥‥!)

 粋子はあることを思い立って、ラジオを切ると庭に出た。相変わらず強い風が地面を舐めるように吹き抜けている。雲は早く動いて、日が差したかと思えばすぐ陰る。夕神は今日も崖のふちに座っていた。後ろに束ねた長い髪が風にあおられているが、気にするそぶりもない。
 向こう岸の森、幹の間に見え隠れするのはギンだろうか。
 彼女はそろそろと近づいて、夕神からちょっと離れた岩の上に腰を下ろした。

「あれって、ギンちゃんですか?」
「あァ。昼メシでも探してンだろうよ」
「メシっていうと‥‥」
「ヘッ。俺達よりいいもン食ってんのは間違いねェな」

 夕神は、立てた片膝のうえに腕の手枷を乗せるようにして、森に向けた目を細めている。唇の間には茶色い羽根があった。うっすらと縞模様の、ギンの羽根だ。

「それでその、夕神さん」
「なんだ」
 顔を向けられると、鋭いまなざしと黒い隈がやはり恐ろしい。
「け、煙を出すっていうのはどうですかね。遭難信号として」
「のろしのことか?」
「あ! そう、それです!」
「それなら俺も試してみたが‥‥」
「えっ! もう!?」

 夕神の目線を追うと、石がかまどのように組まれている場所があった。
「いい火種がない上に、この風だ。火の粉が散るだけで、煙なんざ上がりもしねェ」
「そうですか‥‥」
「のろしはあきらめな。ヘタすりゃ山火事を起こしちまうぜ」
「あ、はい‥‥」

 粋子は肩を落とした。せっかくいいアイデアだと思ったが、こちらが思いつくことは、この人はいつもとっくに考え済みだ。いったい何者なんだろう。検事って。

「俺の右隣りの囚人が言ってたぜ。炎と煙は人生を狂わすってなァ」
「ほ、ほ、放火魔かなんかですか!?」
「いいや。禁煙に苦労したオトコさァ」
「‥‥‥」

 そしてなぜ、この人は、囚人なのに検事なんだろう。

「あの‥‥。検事って、裁判に出るんですよね?」
 そのためにうちの飛行機を利用したはずだ。
「おう」
「どんな仕事するんですか?」
「検事ってェのは、まァ言ってみりゃァ‥‥‥」夕神はあごに手をやった。重そうな手錠をものともしない大きい手。「罪人をブッタ斬る仕事さな」
「えっ。ブッタ斬る‥‥?」
「あァ。裁きの戦場でなァ」

 彼はそう言うと、ぷっと口から羽根を飛ばした。素早く刀を抜くようなしぐさをしたかと思ったら、羽根が真っ二つに切れて断崖をひらひらと落ちて行く。

(な。なんだ今のは‥‥‥)

 粋子は電撃リモコンを下げた赤い紐を、無意識に胸の前でぎゅっと握りしめた。
「さ、裁きの戦場っていうと‥‥裁判所?」
「当たりめェよ。法廷で罪人を有罪にして、カンゴクにブチ込むのが検事の仕事だ」
「あ!」
「なんだ」
「ということは、無罪にしようとする弁護士と戦うんですね!?」
「よくわかってンじゃねェか」
「こないだドラマで見たのを思い出しました。裁判のシーンがあって‥‥」

「へえ」
 夕神は興味なさそうに言った。
 それから、両手を体の後ろにつく。しばらくその姿勢で森を眺めていたが、低い声でぼそりと呟いた。
「俺みてェな人殺しが検事たァ、妙な話だよなァ」
 その自嘲めいた口調に、粋子は返事に詰まった。いつも人を食ったような態度なのに、そんなふうに言われるとなんだかヘンな感じがする。



次へ
前の章へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ