囚人検事と見習い操縦士


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『ここで、最新のニュースをお伝えします』

 粋子は、ニュースになるといつもそうするようにさっとボリュームを上げた。政治や事件の情報が続く。あきらめかけたころ、アナウンサーが、ついに言った。

『次は、一昨日起きました軽飛行機墜落事故の続報です』

 来た‥‥‥! 彼女は思わず立ち上がって、ラジオに耳を寄せる。

『一昨日、大河原航空のセスナ機が山中で墜落しましたが、依然として乗員乗客3名の安否は不明です。奇跡的に命を取り留め入院中だった女性は、事故機の機長とみられています。機長は今朝がた意識が戻り、事情聴取に応じているとの情報です。乗員乗客の氏名はまだ発表されていません。事故3日目の今日も、早朝から周辺の捜索が開始されましたが、現場上空は非常に気流が悪く‥‥』

 粋子は聞き終えると部屋を飛び出し、夕神を探し求めた。求めているという自覚がないまま探した。「夕神さん!」と叫びながら、廊下を駆け抜ける。まだ外にいるのではと玄関口まで来たところで、「どうしたァ」という声がどこからともなくする。

 きょろきょろとあたりを見ると、館長室のドアが開いている。
 中を覗くと、夕神がソファに横になって、本を読んでいた。この部屋の本棚にあったやつだろうか。肘掛に頭を持たせて、反対側の肘掛の上でブーツの足を軽く組んでいる。

「夕神さん‥‥」

「なんだってェんだ。切羽つまった顔しやがって」
 彼は胸の上に、読んでいた本を伏せた。難しい漢字の並んだ本だった。
「し、師匠が‥‥」
「‥‥‥」
 夕神は険しい顔でゆっくり体を起こす。
「命を取り留めたって。今ニュースで。意識が戻ったって‥‥!」
「そうかァ」
 彼はふっと安堵の顔付きになった。「そいつァ、よかったじゃねェか」

「はいっ!」
 粋子は男の瞳を見つめながら視界が潤んでいく。あんなに怖かった瞳なのに、それを見つめていると涙がこみ上げてくる。
「大切な師匠だもんなァ」
 夕神は優しい声で言った。
「ありがとうございます。ありがとうございます‥‥‥」
 誰に対してとも知らず、彼女は何度も頭を下げた。それからはっとして顔をあげた。

「ば、番刑事はまだ見つかってないみたいです」
「あのオッサンなら大丈夫だろ」
 夕神はいつもの声色に戻って言った。粋子も、刑事の安定したパラシュート降下姿勢を思い出す。
「名前は公表されてないって」
「そりゃァそうだろうなァ。囚人が行方不明となっちゃァ、ここら一帯は大パニックになっちまう」
「師匠が話したとしてもですか?」
「そんなもン、いくらでも握りつぶせらァ」
 夕神はそう言って、また本を手に取ってごろりと横になった。



 夕食のようなものを取ったあとも、粋子はキッチンで一人ラジオを流していた。館長室にあるのは難しそうな本ばかりで、テレビもないこの館では、ラジオが今のところ彼女の唯一の娯楽でもあった。嬉しいニュースのおかげで、久しぶりに晴れやかな気持ちだった。陸上からの捜索も始まったと報道されたし、意外に早く見つけてもらえるかもしれない。

 夜もだいぶ更けてから、粋子はラジオを持って2階への階段を上った。
 師匠は奇跡的に助かったが、もし自分があのままセスナに乗っていたら、もし夕神が一緒に降りてくれなかったら、今頃この命もどうなっていたかわからない。あの瞬間、夕神は正しい判断をしてくれたのだと思う。

 ―――大切な師匠だもんなァ。

 そう言った声を思い出す。深い感情がこもっているように聞こえたのは、たぶん気のせいじゃない。

(いったいどんな事情があったのだろう。殺人まで犯すには‥‥‥)

 明りをつけずに寝室の窓から見上げれば、満天の星空が広がっていた。上も下もわからない闇の中に無数の星くずがまたたいている。この部屋を明け渡して、あの人はどこで寝ているのだろうか。
 粋子は、もう少しだけ、夕神のことが知りたいと思った。


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