囚人検事と見習い操縦士


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●八 

 嵐の翌朝、渡り廊下の割れた窓から見える空は青く晴れていた。粋子は、夕神と顔を合わせるのが気まずいような胸苦しいような、今までにない気持ちで展示室を出て別館に向かった。だいたいにおいて、彼のほうが早く起きている。
 キッチンの近くまで来ると、ラジオの音声とそれに重ねて夕神が何やらブツブツ言うのが聞こえてきた。不平のような怒りのような声の調子だ。

「どうかしたんですか?」
 粋子は入るなり、朝の挨拶もそこそこに聞いた。
「どうもこうもねえぜ」
 椅子に座っていた夕神は、憮然とした表情を浮かべていた。気温が上がっているせいか陣羽織は着ておらず、ネクタイもしていない。黒いジャケットの前ボタンだけはきちんと全部留まっていた。
「捜索が今日いっぱいで打ち切りだとよ」

「えええええェーーーーッ!」
 彼女は悲鳴に似た声を上げた。

「まだ5日目じゃないですか! どっ、どういうことですか?」
「残る3人は生存が絶望視だとさ。ふざけてやがる」
「そんな! こうやって生きてるのに! 番刑事だって! そうですよね!?」
「ああ」
「あきらめるのが早すぎますよ! いくらなんでも!」
 粋子は焦燥に駆られて、狭い場所をソワソワと行ったり来たりした。

「まァ落ち着け。報道が規制されてるだけかもしれねェ」
 自分にも言い聞かせるように、夕神は低く言った。
「規制?」
「世間の目を引き続けりゃァ、そのうち囚人が行方不明だとバレちまう。表向きだけ中止したってェことも考えられるぜ」

「でも本当に中止されてたら? ここに見捨てられたんだとしたら? 周りは断崖絶壁でどこにも出口がないんですよ!?」
 早口でまくし立てる。この先のことが不安でたまらない。「食べ物だってどんどん減っていくのに、こんなところに閉じ込められて私たちはいったいどうなるんですか!?」

「あぁッ、うるせェ!」
 夕神は片方の拳でテーブルをドンと叩いた。腕の手錠と鎖のせいで、軽く叩かれてもテーブルからは壊れそうな音がする。「朝っぱらからヒヨドリかてめェは。ギンのエサにするぞ!」
 粋子はその迫力に口をつぐんだ。

「いざとなったら俺がなんとかする」
「なんとかって?」
「まだあと5日ある。考えさせろ」
「でも‥‥!」
「手始めはこいつだ」
 粋子がまた言いつのる前に、夕神は手元にあった小さい冊子を差し出した。受け取ると、固定式無線機の取扱説明書だった。アマチュア無線機、いわゆるハム通信の機械が表紙に掲載されている。今さっきこのテーブルの引き出しから見つけたらしい。

「説明書があるってェことは? 初の字?」
 クイズでも出すように夕神は言った。それにつられて彼女は答える。
「‥‥現物もあるっていうこと?」
「正解だ。その頭にも、ヒヨドリ並みにゃァ脳みそが入ってるようだなァ」

 夕神は自分のこめかみを人差し指で叩き、ニヤリと笑った。誉められたわけでもないのに、彼女もニッと笑った。これはありがたい発見だ。この無線機があれば外部と交信できる。希望の光が見えた気がした。
「こいつを探すぞ」
「はい!」
 粋子は勢いづいて返事をした。


 ◎ ◎ ◎


「ないですね‥‥‥」
 階段を下りながら粋子は、ため息とともに言った。
 電気が戻った配電室、館長室、キッチン、そして2階も一通り調べてみたが、無線機は見つからなかった。サイズから言って、どこかの引き出しや棚の隅に紛れるようなものではない。あとは本館の展示室しか残っていないが、あの場所にあるとも思えない。
 彼女が肩を落として1階にたどり着くと、一足先に降りていた夕神が壁のフロアマップの前で立ち止まった。



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