囚人検事と見習い操縦士


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●九

「ギンちゃん、そっちのネジ取って。そうそれ」
 ギンは小さく羽ばたいて、青いビニールシートの隅にあるネジをクチバシに挟んで持ってくる。
「ありがとう」粋子はそれを手のひらで受け取った。
 彼女は日の差す階段の踊り場にシートを広げて、その上で無線機を分解修理中だ。手元の仕様書と基盤を何度も見比べる。配線が複雑すぎて、故障の原因はまだ見つかっていない。

 昨日、最後に開いた段ボール箱は、待望の無線機だった。夕神とともに喜んだのもつかの間、電源は入るもののどうやっても送受信できない。ラジオほど簡単な仕組みではなく自信はないが、なんとか修理するしかない。

「ギンの相棒、どうしちゃったんだろうね」

 いつも庭で時間を過ごしていた夕神だが、今日は朝から館長室に引っ込んで出てこない。具合でも悪いのかとさっきドア口から声をかけてみたが、そうでもないらしい。ギンも遊んでもらえなくて退屈なのか、粋子のそばに来て作業を手伝ってくれていた。

 夕神は昨夜からすでにちょっと様子がおかしかった。キッチンで一緒になっても目も合わせてくれないし、どことなく落ち着かない感じだった。
 物置で、彼女を抱きしめたことが気まずいのかもしれないとも思ったが、よく考えたら、セスナから降りるときだって、崖から落ちそうなときだってもっと強く抱かれたし、第一、こっちは全然気にならない。いやじゃないというか、逆にあれからずっと、胸の中には不思議なぬくもりが残っていた。
 ただ粋子は、このあたりの気持ちをどう扱ったらいいのかは、よくわからなかった。

「あーやっぱり断線してる」

 彼女はラジオペンチで青いリード線を摘まみあげた。故障個所の1つがやっとわかったが、何らかの部品がないことには修理は難しそうだ。
 とりあえず立ち上がって伸びをする。昼時もだいぶ過ぎている。朝はテーブルに出ていたものを適当に食べたが、昼食はどうすればいいんだろう。いつもなら声をかけてくれるのに、今日は彼もあまり食べてなさそうだ。

 粋子は階段を降り、館長室の開いたドアから中を覗きこんだ。
「夕神さん。お腹すきました」
「勝手に食え」
 男は、長い脚を持て余すようにソファに寝そべったまま言う。
「じゃあ、夕神さんが大事にとっておいてる鯖缶、食べちゃおうかな」

 その声を聞いて、彼はガバリと起き上がった。
 手にしてた本をぽんとテーブルに投げると、彼女のほうへ歩いてくる。今日は陣羽織も着て、ネクタイもきちんと締めていた。目を合わせようとはせず脇をすっとすり抜け、大股で先に歩いていく。
 粋子は小走りで後を追って、男の顔を見上げた。

「私、気にしてませんよ」
「はァ?」
「昨日のことなら、私は平気ですから」
「何だとォ?」
「ぎゅってされたの、あれで3回目だし」
「がっ‥‥ガキが無駄口叩いてンじゃねェぞ」
 そう言う夕神の白い頬が、一瞬血の気を帯びた気がした。

 キッチンに入ると、彼は食料棚を開けた。粋子は、男の腕をくぐって脇に立ち、一緒に中を覗く。缶や箱が並んでいるが、もう空きスペースのほうが多い。切り詰めたところでやはりあと数日分しかなさそうだ。隅っこにパスタの袋とソースの缶を見つけ、彼女はそれを手に取った。

「夕神さん。今日は一緒に、パスタゆでて食べませんか?」
 ここには調理用具も食器もある。今までも一人でなら保存食に軽く手を加えて食べたこともある。
「‥‥‥」
 夕神は棚を睨んでしばらく無言だったが、「遠慮しとく」と低く言って棚の扉を閉めた。粋子は少しがっかりして、手にしたものをテーブルに置いた。

「おめえさん、あのスイッチはどうした」
 後ろから声をかけられ、彼女は「あ」と胸に手を置いて振り返った。
「あれ重いしビリビリするし、2階に置いてきました」
「ちゃんとつけとけ」



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