囚人検事と見習い操縦士


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●十

「ザレごとほざいてねェで、メシ食うぞ。メシ」
 夕神は、自分に寄りかかる粋子を気にも留めない動作でさっと立ちあがった。そして振り返りもせず、館のほうへと歩いて行く。彼女は寂しさと物足りない気持ちで後を追った。

 その日、粋子は夜になっても、1階と2階の間にある階段の踊り場で、無線機の修理を続けた。館長室から持ってきたデスクライトの白い光で手元を照らし、配線を確かめる。心当たりを探してみたが、まだ役に立ちそうな部品は見つかっていない。

 昼間、庭であんなことがあってからも、相変わらず距離も態度も崩さない夕神。もっといろいろ聞いてみたいこともあるのに、もうそんな雰囲気にもならないのだった。ただ今は、これを修理するほうが先だから仕方ない。

 彼女は、複雑な思いを吐きだすようにふうと小さくため息をついた。その時、背中側から階段を上ってくる重い足音がした。
「夕神さん‥‥」
「館長室で、古い工具箱をみつけたぜ。こいつァ、どうだい」
「あ! 見てみます」
 彼女は、金属製のずっしり重い箱を受け取る。錆が目立って、相当に古そうだ。

 すぐいなくなるかと思ったが、夕神は階段に腰掛けた。
「ヘッ。懐かしいねェ」
「懐かしい?」
 工具箱を開ける手を止めて、粋子は言葉を返す。
「こうやって床一面に部品をぶちまけちゃァ、組み立て直してたヤツがいてなァ。そいつを思い出しちまったのさァ」

 照明の影にいて表情はよくわからないが、彼の声は楽しそうだった。
「そこら中の機械をかたっぱしから分解しやがってよォ。最後にクルマにまで手ェ出し始めた時にゃァ、さすがに止めたがな」
「クルマ!?」
「ああ。ぶっ飛んでンだろ」
「し、囚人仲間ですか?」
「囚人? クッ。ハァッハッハッハッハ!」 
 夕神は大きく笑ったが、誰とは教えてくれなかった。


 ◎ ◎ ◎


 そんなことのあった翌日。
 事故から早くも7日目の早朝。粋子は本館のあの扉の前に立っていた。立入禁止の黄色いテープが、何本も重ねて貼られた扉。テープに手をかけると、ぱりぱりと乾いた音を立てて簡単にはがれていった。
 彼女はドアを開ける前に、大きく深呼吸する。

 どんなことでもいいから知りたかった。
 彼に関すること。
 人を殺すということ。その理由と結末。
 聞いたところで、教えてもらえないのはわかっていた。
 彼が話してくれないなら、この目で確かめるしかない。殺人というものが何か知るために、いや知ることはできなくても、彼に少しでも近づくために、それが行われた場所を見る。これは昨夜から心に決めていたことだ。

 胸の動悸は治まらないが、彼女は意を決して両開きの扉をぐっと押した。扉は、重々しい音を立てて内側に開く。
 殺人のあった場所は、一見したところ、何の変哲もなかった。
 淡いライトに照らされた、それほど広くはない部屋。右手の壁の前に、仕切用のポールが2本整然と立っている。たぶんあの壁に《ゴホンのおまわり》が展示してあったのだろう。

 もう一歩踏み出してから、彼女はギクリと立ち止った。
 絵の展示してあったあたり、カーペットの床に赤黒い染みがある。よく見ると、壁にも点々と飛沫が散っていた。

 殴打する音。血しぶき。呻き声。絶えていく息―――。
 残酷な光景が生々しく目に浮かんで、胸が苦しくなってくる。

 カーペットに染み込んだ血痕は、その場所から、引きずったように彼女の立つほうへ延びていた。彼女はそれをそろそろと目でたどった。膝が震える。大きい血溜まり跡の上に自分が立っていることに気づいたとき、突風が吹き込み、ポールが2本同時にバタンと倒れた。

「ギ、ギ、ギャアアアアアアァァァァ!!」

 彼女は絶叫して、展示室を飛び出した。



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