囚人検事と見習い操縦士

十一
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●十一

 静かな空気を裂いて、サイレンの音は徐々に高まっていった。赤色灯をつけた車両が、砂煙を巻き上げて次々と対岸に止まる。森を背に並んだのは、パトカーと救急車、それから消防車。見えるだけでも5、6台だ。崖すれすれに止まったパトカーからは、白いスーツの男が、まっさきに飛び出した。

「あっ!!」

 様子を見守っていた粋子は声を上げた。遠くてはっきりとは見えないが、あのいでたちはたぶん、いや間違いない。白スーツの男は大手を振って何か叫ぶが、谷底から吹く風の音にかき消されてよく聞こえない。隣に立つ夕神が手でバツ印を作ると、男は車から何かを引っぱりだして口に当てた。

「ジャァースティーーーースッ!!」

 パトカーの拡声器から大音声が響き渡り、キィィーーンという激しいハウリングが起きる。車から降りていた制服警官たちが耳を押さえてうずくまり、森林の鳥たちが一斉に飛び立つ。
「やっぱり番刑事だ! 無事だったんですね!?」
 夕神の顔を見上げると、彼も口の端を軽く上げた。

「正義のヒーロー参上だッ! ハッハッハッハー!!」

 刑事は片手を腰に当てて、仁王立ちになっている。
「ユガミくんに初場くん! お待たせしてすまない! 報道をコントロールするのに時間がかかってしまってね!」
 
 森に響きわたる力強い声。粋子がそれに応えて手を振ると、番刑事は胸から白いハンカチらしきものを取り出した。それをヒラヒラとさせたかと思うと、目のあたりを押さえる。泣いているのだろうか。震える声が聞こえてきた。

「‥‥くうう。キミタチがそうやって助け合って生きていてくれたなんて‥‥その正義のココロに‥‥ジフンは感動を禁じ得ない‥‥ッ」

 粋子はずっと気になっていたことを、対岸に向かって叫んだ。
「師匠はっ!? 大河原さんは無事ですかぁーーッ!?」
「なんだね? よく聞こえない」
 粋子は両手を広げて飛行機の形を作る。
「ああ。残念だが、飛行機は大破してしまったよ」
 さらに操縦桿を持つポーズ。見えるだろうか。
「ジャァスティスッ! 理解した! 大河原キャプテンはきわめて順調に回復中だ。安心したまえ。キミのことを心配していたよ!」

「よかった‥‥‥」

 粋子はつぶやいた。それから番刑事は、オレンジの服を着たレスキュー隊員に声をかけられ、マイクのスイッチを切った。こちらに時々目をやっては、長いこと話し込んでいる。隊員が何度も首を横に振るのが気になる。番はやがて、粋子たちのほうを向き直った。拡声器から今までより沈んだ声が聞こえる。

「‥‥ううむ。ここへきて非ジャスティスなお知らせだ」
「え‥‥」
「もう一晩、食料はあるかね!?」
 思わず隣を見上げると、夕神が両腕で丸を作っている。
「実はだね‥‥」

 番刑事はマイクを通して、事情を説明しはじめた。対岸から水平にはしごを架けて救助する予定だったが、想定より距離があり、今の装備では難しいということだった。4日前の嵐で山道が一部不通になっているため、今日は大型の消防車両が通れないらしい。

「明日には道路も復旧する! もう一晩だけ待っていてくれたまえ!」
 番刑事はまた力強く言った。夕神が丸を作る。粋子もならって隣で丸を作った。

「では諸君! 明朝、最新鋭のレスキューとともにまた来よう! 正義は必ず勝つッ!」
 刑事はこぶしを振り上げ、さらにピシリと敬礼すると、パトカーに乗り込む。帰りはサイレンは鳴らさず、赤色灯だけをつけて来た道を戻っていった。
 そして、あっという間に今まで通りの静かな風景が戻ってきた。


 ◎ ◎ ◎


 最後の夜が更ける。
 粋子は明かりを消した2階の部屋で横になっていた。捜索隊に発見されるよう、これまで夜通し照明を点けていたが、その必要のない初めての夜だ。窓からは今夜も丸い月が見えた。
 さっきまで、夕神とキッチンでお互い好きなものを好きなだけ飲み食いしたせいでお腹が少し苦しい。彼が「いざという時のために取っておいた」と棚の奥からおごそかに取り出したのは数枚の板チョコだった。彼がそれをとても嬉しそうに食べていたのは、少し意外だった。



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